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工場の小さな窓から、自分の心を見た。
今日もタイミーの倉庫でバイトでした。
段ボールを積み上げるだけだから、頭の中でいくらでも考え事ができてしまう。(以前今できることはいつもひとつと書いたけれど、今日はどうしようもなかった)
ここのところずっと登り続けている心のなかの山を乗り越えたくて、何かを掴みたくて、この苦しさを超えて明るいところに出たいから、「そうかこういうことだからこうしよう!」という答えが出るように辺りを探し回って疲れ果ててしまってるような感じだった。
そんな時、今受けているカウンセリングマインドの講座の中でセンスオブワンダーの話をしていた時、松木さんの見てきた先住民族や自然、世界のあまりの鮮やかさに心を奪われて、ぽろっと呟くように「いいなあ」と言ったら、「そんなん満ち溢れてるで。」と返された時の言葉が浮かんできた。
この講座で、考えることや過去じゃなくて、今この瞬間心にあるものを見ること、瞬間瞬間、いのちは何かを生み出そうとしているということを学んだ。
「こうなったのはこうだったからで、これが間違ってたんだ。だから次はこうすればもうこんなことにはならないんだ。」
傷つかないように、苦しいことがなくなるように、そうやって生きようとするのは、生存本能として自然なこと。
でも、それじゃあ感じられないことがある。
そのままじゃ生きられない世界がある。
それでも諦めずに、わたしたちは"そのようになろうとしていく"という本質をもついのちだから、感じてみたい。今ここにあるものを感じて、そのようになろうとする力を感じて、そのように(わたしがなろうとしている本質の方へ)いってみたい。
考えすぎてもうなにもわからなくなっている虚な目をあげて、四角い小さな窓から空を見た。
夕方に差し掛かった、淡い水色、雲に少しピンクが差した空だった。
「ああ、今ここにも、明るいものが流れてるんだ。」と思った。
苦しくて、早くこの痛みをなんとかしなきゃ、何を間違えてるのだろうとその力が鳴り止まなかったのに
頭を止めてただ今を感じてみると
窓に切り取られた小さな、でもたしかにそこにある美しさが、わたしの心にもある。そう感じた。
「問題」として見てたら見えなかった
今いのちにある美しさ。
いろいろ過渡期でつらいけど、痛みも止まないけど、美しいんだ。
今、生きているんだ。
ただそのことを、今生きている自分のことを、信頼できるというだけで、心が生き返っていきました。
そのことを今振り返って思うのは、自分を否定するということは、やっぱりほんとうに悲しいです。
自分を信じて、自分の心で自分を生きていくということが、ずっと一番の願いです。
窓の向こうの、海辺の工場地帯の空を見て
世界はこんなにきれいで、
わたしは今灰色の箱の中にいる。
そのすぐ外にこんなにきれいな世界がある。
その景色から今のわたしを感じたら、それがどう問題でどうしたらいいという話ではなく、
感じたその今の自分に「ある」生きようとするパワー、どんなにげっそり悩んでいてもやっぱり心の底にある希望を感じました。
谷川俊太郎の詩、断片しか覚えていないけど、晴れたり曇ったりする心の中に「一筋の清らかな流れ」があるというような言葉も思い出しました。
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