正しいと信じて突き進むことが正義では無くなる瞬間。 ~ 舞台 ザ・ドクター ~
大竹しのぶさんの舞台は出来るだけ観劇したいと、力みながらチケット抽選に挑んでいました。
なにとぞ、なにとぞ~~!!
祈りが届いて、無事に第一希望で当選♪
観劇日までウキウキの日々でした。
そして、当日。
席はまさかの有人3列目!!!
首を振らないと舞台が全部見渡せないという、激ラッキーな近さでした。
舞台は、医療者として危機的な状況の患者へどう対応すべきか、から始まります。
ここで大竹さん扮する医療研究所所長のエリート医師の示した態度が、SNSに端を発して、小さなさざ波から、人としての立ち位置や人格攻撃など、匿名の大勢から「秘密にしたいこと」をもさらされそうな恐怖に変って行きます。
そこへ宗教問題や病院内での力関係の確執、登場人物それぞれの出自における考え方、ジェンダー問題、過去の出来事の記憶など、次々と登場人物のエゴや保身まで含めて剥き出しになっていきます。
SNSがさざ波から大波へ、そして津波のような巨大なうねりとなってくる過程で、誰が味方で敵でといったことでも無かったはずなのに、あからさまな敵対関係が生まれて行きます。
大竹さんが心の拠り所としている「パートナー」や「小さな友達」とも、状況の悪化に翻弄されて関係性が崩れ始めます。
第一部はある意味「問題提起」のような形でした。
「判断ミス」と断定して突き付けてくるような、畳みかけて来る出来事に観ていて苦しくなりました。
第二部の始まりは今のご時世的なクスっと笑える会話から始まり、緊張を少し緩めることが出来ました。
しかし、緩やかながら守られていたはずの大竹さんが、SNSを超越した可視化されたメディアに出て行かざるを得なくなってしまうことで、味方もいない殆んど吊し上げ状態で、とにかく「謝れ」という当事者では無い義憤に駆られる「ある意味の匿名者」になぶられ続けます。
そこでの大竹さんの最終的な判断としてのセリフが、最終的に正義とか職種としての当たり前の出来事を突破した結果をもたらします。
政府から予算を取って「アルツハイマー病」への研究や治療へ、医療研究所は並々ならぬ力を入れています。
アルツハイマーは「積み上がった記憶の一番上の新しいものから火が点いて、段々下の記憶も燃えていってしまう病」との表現がありました。
自分はこれを「あらゆること」を外から見た場合の「熱しやすく冷めやすい」とも受け取りました。
忘れてはいけない不祥事をどんどん忘れてしまうような、〇〇だから仕方ないで横へ避けてしまうような。
なぜ、大竹さんがアルツハイマー病治療に強い執着を示すのか。
なぜ、問題となった患者の治療に関する対応に頑なだったのか。
大竹さんの役柄の10代にあった出来事から「パートナー」との関係性、選んだ最終判断による「外野のジャッジ」を思うと、壮絶なラストシーンに涙ぐんでしまいました。
自分は大竹さんの最初の判断に賛成と思って最後まで観ていました。
ただ、大竹さんの貫いた意志判断に倣うことが出来るかは、わかりません。
易きに流れたくありませんが、大竹さんと同じ道を辿る壮絶さに堪えることの出来る自信は、情けないことに正直ありません。。
カーテンコールが繰り返されての4回目。
自分はスタンディングで拍手しないでいられませんでした。
「考える機会として」
ぜひ、チャンスがあったら観に行って欲しい舞台です。