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【歴史概要81】アイヌ・和人・コシャマインの戦い・松前藩

①アイヌ民族は古くから蝦夷地(北海道)を中心に
サハリンや千島列島全体から東北の広い地域に住んでいた。

②BCから5世紀にかけてアイヌ民族は本州と同様に狩猟採集中心の縄文文化の担い手であった。寒冷地だったので稲作は行われなかった。狩猟採集が中心であった。

③独自のアイヌ文化が形成されたのは14世紀から15世紀であった。アイヌとはアイヌ語で人間という意味である。特徴は文字がない事とカムイと呼ばれる多数の精霊を信仰している事である。

④山のカムイである熊を生贄として神の国に返すイヨマンテは文化的支柱であった。

⑤14世紀前半には蝦夷地の箱館(函館)や松前に和人(本州系日本人)が居住し始めた。畿内地方では蝦夷地産の鮭や昆布が多量に流通していた。箱館から津軽、若狭(わかさ)をつなぐ和人を介した海運ルートがあった。

⑥この当時アイヌと和人の交易を仕切っていたのが津軽を拠点とした豪族の安東氏であった。15世紀前半に台頭した南部氏に追われて蝦夷地へやって来た。渡島半島の南西部に蠣崎氏などの家臣らと和人の館を築いた。

⑦和人は増加したことで和人がアイヌ漁業への侵入が進んでいった。アイヌと和人の間に軋轢が起こった。

⑧1456年(康正2年)に安東氏が分家の誘いで秋田に移ると蝦夷地内の和人の結束が緩んだ。翌年に鉄製品の交易価格の問題から和人とアイヌとの間でコシャマインの戦いが勃発した。函館地域の和人の拠点が壊滅した。

⑨蠣崎氏がこの戦いを鎮圧した。安東氏の家臣だった蠣崎氏は
蝦夷地の和人勢力の支配者となった。蠣崎氏は1514年(永正11年)に松前に移住しアイヌと講和した。

⑩1593年(文禄2年)には豊臣秀吉によって安東氏からの独立が承認された。1599年(慶長4年)に徳川家康に蝦夷地支配が認められた。そして松前に改姓した。江戸幕府が開かれると蝦夷地で唯一の藩である松前藩の藩主となった。

■参考文献
『30の戦いからよむ日本史 下』 小和田哲男 日本経済新聞出版社

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