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truthpenguin
【日本史10】大正史備忘録8(シーメンス事件・沢崎寛猛・藤井光五郎・ヴィッカース・岩原謙三・松本和・第1次山本内閣総辞職)
大正時代の学習を深めていきます。
①山本内閣は政友会と協調性を維持して概ね安定していた。1914年(大正3年)1月22日にイギリスのロイター通信がドイツの重工業メーカーのシーメンスが日本海軍から軍艦受注するために日本の海軍関係者に賄賂を贈った。
②社員がこの秘密を暴露すると言い会社から金をゆすり取ろうとして逮捕されたという内容であった。この海軍贈収賄事件はシーメンス事件である。この不正な取引は1910年(明治43年)のことなので山本権兵衛とは無関係であった。
③海軍と薩摩閥の代表者であった山本は立憲同志会に属する多くの議員から議会で非難された。
事件の調査が進んで賄賂を受け取った海軍大佐の沢崎寛猛と海軍機関少将の藤井光五郎が検挙された。
④この2人は軍艦発注や製造の担当者だった。海軍がイギリスの重工業メーカーのヴィッカースとも不正な取引を行っていた事もわかった。仲介者の三井物産常務取締役の岩原謙三と数名の重役、賄賂を受け取っていた海軍中将の松本和たちが収監された。
⑤1914年(大正3年)2月10日に立憲同志会や立憲国民党などの野党議員が衆議院に内閣弾劾の決議案を提出したが議席の過半数を占める与党の政友会に否決された。
⑥この日には数万の群衆が帝国議会の議事堂を取り囲んで抗議デモを行う事態となった。警官との衝突で群衆や報道関係者が負傷した。内務大臣の原敬を弾劾する決議案が野党により衆議院に提出されたがこれも否決された。
⑦山本内閣は国家予算の審議に海軍の大幅拡張を盛り込んだ予算案を提出していた。
貴族院では多数の議員が海軍関係予算の大幅削減を唱えた。
⑧この時期の貴族院は政友会と敵対する官僚議員が増えており元陸軍軍人や長州閥の議員の多くは海軍と薩摩閥への対抗意識があり山本内閣に反発していた。
陸軍と海軍の対立は昭和前期まで継承された。
⑨山本は両院協議会を開いたが合意が得られず予算案の成立を諦めた。1914年(大正3年)3月24日に内閣は総辞職した。
■参考文献 『1冊でわかる大正時代』 大石学 河出書房新社
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