大正時代の学習を深めていきます。
①1912年(大正元年)7月30日に在位45年の明治天皇が健康を崩して59歳で崩御した。同日に皇太子の嘉仁親王が大正天皇として即位した。大正時代が始まった。
②明治時代から1天皇につき1つの元号という一世一元の制が定められていた。中国王朝の清は1912年(明治45年)1月に滅亡して大韓帝国は1910年(明治43年)8月に併合された。
元号は日本でしか使われなくなった。
③大正とは中国古典の『易経』の一節である「大亨以正、天之道也」(政治が天の道に沿って正しく行われる)に由来する。国府種徳(国府犀東)が提案したと云われている。
④大正天皇は即位時には32歳であった。明治天皇には正室である皇后と複数の側室がおりその間に15人の子どもがいた。
⑤大正天皇は幼少から病弱であったが青年期は健康的であり皇太子だったころには日本各地を巡啓した。大正天皇は青山御所(東京都港区)生まれであった。東京で生まれた初の天皇である。
⑥8歳の時に学習院予備科(初等科)に入学した。10歳で皇太子となり成人となり華族の九条節子(貞明皇后)と結婚した。以降の皇族は一夫一妻制となった。
⑦1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が制定されて1890年(明治23年)に第1回帝国議会が開かれて約20年間が経過し議会政治は定着しつつあった。同時に長州藩や薩摩藩出身者が権威を持ち藩閥政治を行っていた。
⑧帝国議会は貴族院と衆議院の二院からなる。貴族院議員は主に皇族や華族から構成された。有識者や高額納税者も貴族院議員となった。明治時代までは貴族院は概ね保守派が多かったが大正に入り多様化していった。
⑨衆議院議員は選挙で選ばれた。選挙権は満25歳以上の男性で国税を年間10円以上納めている人のみであった。この当時の日本人口約5000万人で選挙権を持つ有権者は2%であった。
⑩大正元年の衆議院は381議席があった。
立憲政友会の所属議員が半数以上を占めた。政友会は明治で初代首相であった伊藤博文により結成された。第2次世界大戦後に結成された自由民主党の源流の一つである。
⑪立憲政友会は概ね穏健改革派であった。政友会より急進的な改革派であった立憲国民党は藩閥政治の打倒と政党内閣の確立を唱えて政友会と協調した。長州閥と陸軍の影響を受けた保守派の政党の中央倶楽部や無所属議員もいた。
■参考文献 『1冊でわかる大正時代』 大石学 河出書房新社