【歴史21】スイス史備忘録15(坊主協定・ネーフェルスの戦い・ゼンパハ協定)
スイス史の学習内容を深めていきます。
①チューリヒやベルンは戦略的にオーストリアと同盟を結んで協調路線をとった。
②ハプスブルク家の勢力がスイスで失った土地の奪還の動きをみせるとベルンとグラールスを除く六邦は対抗措置として1370年に坊主協定を結んだ。
③この協定ではオーストリア臣民であっても盟約者団の領域に住む者には盟約者団に忠誠を誓わせる事、聖職者が訴えられた場合には盟約者団内の裁判に服させる事などが約束された。
④ルドルフ4世の弟であるレオポルト3世がスイス方面への進出を積極的に試みるとオーストリアと盟約者団は軍事的に衝突する事になった。
⑤1386年7月にルツェルンと原初三邦の軍勢はシュヴァーベンやアルザスから侵入してきた四千人のハプスブルク側の騎士軍とルツェルン北西のゼンパハで戦った。
⑥ゼンパハの戦いで盟約者団はハプスブルクの騎士団を敗走させた。レオポルト3世は戦死した。
⑦盟約者団の土地はシュヴィーツという名で代表される事が多い。これがスイスという国名の由来と云われている。
⑧グラールスの周辺地帯がハプスブルク家との領土争いとなった。グラールス軍が1388年にハプスブルクの騎士軍を撃退した。これがネーフェルスの戦いである。
⑨翌年にハプスブルク家はスイス諸邦と休戦協定を結んだ。この協定でハプスブルク家はグラールスのみならずルツェルンとツークに対する古い特権を放棄した。
⑩1393年7月に8つの邦がすべて参加するゼンパハ協定が結ばれた。私的略奪や暴力行為の禁止など戦闘の共通ルールを定めて盟約者団の結びつきを強めた。八邦以外ではベルンの同盟都市のゾロトゥルンが協定に参加した。
■参考文献 『1冊でわかるスイス史』踊 共二 河出書房新社
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