「脱力」という言葉(ラッパの吹き方:Re加筆修正版)
隔週土曜日に掲載しています「ラッパの吹き方:Re 加筆修正版」。
先日26日(土)に掲載したのは46個目の記事「脱力 〜言葉の受け取り方〜」でした。
管楽器は余計な力が入っていると良いことがありません。
レッスンでよく「足し算をすればするほど上手くいかなくなることが増える」とお話します。例えば高い音が苦手な方は、その特徴として踏ん張るように全身の力を使ってしまう場合が多く、お腹も背中も肩も首も指も顔の筋肉も全部に力を込めるためにかえって高音域を出すための状態を生み出すことができなくなります。というよりも中音域も出にくくなり、音色が悪くなり響きがなくなります。
タンギングでも同じことが起こります。例えばアクセント=強いタンギングだと思ってしまうことで(完全に間違った解釈ではありませんが)、ハッキリした強いタンギングをしようと舌に力を込めてしまったために破裂音の準備ができず、理想とは真逆のハッキリしない発音になってしまうのです。
このように必要のない力が入ってしまうことでマイナスの結果が生まれてしまうことは度々あります。
では、力は敵なのかと言えばそれも違います。
例えば、バテるのは力を使っているから、と考えてできるだけ脱力した状態で音を出そうとすれば、本来必要である部分が働かないために、代替としていつもは使われていない部分が発動してバランスが崩れ、かえってバテを誘発しやすくしてしまいます。
ですので、必要なところに適切に力を働かせることが大切であり、結局はバランスなのです。
今回のテーマである「脱力」という言葉は、僕個人の考え方として指導者は安直に使うべきではない、と考えています。もしどうしても伝える必要がある場合は、もっと具体的に、根拠を持って伝えたいところですし、できるなら違う角度から話題にして、結果的に不要な力をかける必要がなくなるようなアプローチを促すほうが適切だと思っています。
という感じで、トランペットや音楽に関する様々なお話を隔週土曜日に掲載しております。これまでの記事も全部こちらにストックしておりますので、よろしければぜひご覧ください!
荻原明(おぎわらあきら)
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