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昭和25年のてるてる坊主【てるてるmemo#28】


1、昭和20年代への注目

 ここ最近、昭和20年代のてるてる坊主に注目して、その特徴の分析を続けています。前回までに昭和29年、28年、27年、26年とさかのぼってきました(★詳しくはマガジン「昭和20年代(1945-54)のてるてる坊主たち」の各記事を参照)。

 引き続いて、本稿では昭和25年(1950)のてるてる坊主に注目します。検討の材料とするのは、てるてる坊主研究所でジャンルを問わずに蒐集してきた文献資料。かつて分析した昭和30年代のてるてる坊主の傾向とも比較しながら検討を進めていきましょう。
 まず注目したいのは絵のある資料。この年は10例を数えます(★後掲の「昭和25年(1950年)のてるてる坊主【てるてる坊主図録Ver.5.2】」、および、表1参照)。

2、姿かたちと色

 絵のある資料10例をめぐって検討の切り口としたいのは、てるてる坊主の「姿かたち」「色」「目鼻の有無」「文字の有無」の4点。
 第一に姿かたちをめぐって。昭和20年代と30年代のてるてる坊主の姿かたちは2種類に大別できます。ひとつは、昨今のてるてる坊主のように裾をひらひらとさせたスカート姿のもの、もうひとつは着物を着ていて、ときには帯を締めている着物姿のものです。
 スカート姿のものと着物姿のものの事例数を比較してみると、昭和30年代にはスカート姿が圧倒的に優勢でした。いっぽう、それに先立つ昭和20年代の終わりごろには、26年から29年にかけては着物姿がやや優勢です(★後掲の表2参照)。そうしたなか、この昭和25年はめずらしく、スカート姿(7例)が着物姿(4例)より優勢です(③は両者が併存)。

 ⑨と⑩は着物と言えるのかどうか微妙なところですが、そでの輪郭がはっきりとしているので、ここでは着物姿と捉えておきましょう(★図1参照)。

 第二に色をめぐって。多くの場合、てるてる坊主は白い色をしていますが、例外も散見できます(★後掲の図2参照)。スカート姿の④は頭も衣も真っ赤です。また、着物姿の⑤は黄色っぽい地に赤い花柄模様の着物を着ています。帯は白です。あるいは前掲した⑨(図1の左)は、白い衣の下からはみ出している、軸の部分が赤いようです。

3、目鼻と文字の有無

 第三に目鼻の有無をめぐって。眉・目・鼻・口など顔のパーツがあるものと、それらがないのっぺらぼうのものにわけた場合、昭和26年から39年にかけては、ほぼずっと前者の目鼻のあるもののほうが優勢でした。
 そうしたなか、昭和26年と30年と37年の3カ年だけは、両者の事例数が拮抗しています(★後掲の表3参照)。そして、26年に続いてこの25年もまた両者の事例数が拮抗しています(⑧⑨は不明)。

 第四に文字の有無をめぐって。昭和27年から35年にかけては、願いごとを文字にしててるてる坊主に記す作法が毎年見られました(★後掲の表4参照)。しかしながら、この昭和25年には絵のある10例に限っては、そうした作法はまったく見られません。

4、設置場所

 てるてる坊主の絵がある10例の資料から読み取れる情報をもとに、昭和25年のてるてる坊主の傾向を大づかみにしたところで、続いては絵のない文字資料にも目を向けてみましょう(★表5参照)。

 前掲した表1と表5を合わせて、まず注目したいのがてるてる坊主を吊るす場所。木には9例(①③④⑥⑦⑧⑨⑬⑳)見られます(★後掲の表6参照)。具体的な樹種が明記されている例としては、ヤツデ(⑧)、柿(⑨)、桜(⑬)、茱萸ぐみ(⑳)が挙げられます。樹種が明記されているわけではないものの、⑥と⑦もヤツデの葉のように見えます(★図3参照)。

 あるいは、軒(⑩)や縁側(⑭)に吊るされている例も見られます。軒と縁側を「建物の周辺部」として一括りにしたうえで、「建物の周辺部」と「木」の事例数を年ごとに比べてみましょう。昭和32年~39年(1957-64)の8カ年では、「木」が優勢なのは35年のみで、実に7カ年で「建物の周辺部」が優勢でした。
 いっぽう、それに先立つ昭和25年~31年(1950-56)の7カ年では、29年のみ同数で、そのほかの6カ年は「木」が優勢です。とりわけ、昭和25年と26年は「木」がだいぶ優勢です。

 木や軒ではない場所も散見できます。資料⑱では望遠鏡にぶら下げてあります。この例についてはあとでまた詳述します。
また、資料⑲では祭壇に設置されています。句集『ゆく春』23号に収められた半田只穂(生没年不詳)の次のような句です[『ゆく春』1950:32頁]。

照々坊主も悲し無月の祭壇に

 おそらく、月見を前にして空が晴れるように、てるてる坊主を作って願ったのでしょう。月に供え物をするために祭壇を設えており、そこにてるてる坊主も祀られていたようです。しかし残念ながら曇り空で月は見えず、祭壇のてるてる坊主も悲しそうにしている様子が詠われています。

5、作る動機(学校行事)

 てるてる坊主を作る機会として目立つのは学校行事。遠足が3例(⑧⑪⑬)、運動会が1例(⑨)見られます。
 あるいは、学校行事のキャンプ前日に作る例に触れているのが、全生文芸協会が編んだ『癩者の魂』(資料⑰)。ハンセン病療養所の全生園(東京都東村山市)にあった全生学園の生徒たちの作品を集めた作文集です。てるてる坊主が登場するのは「キヤンプの一日」と題した一文。作者は中等部の生徒で、「孝子」と名前が記されています(同じ音の繰り返しを表す「くの字点」は横書きできないため本稿では「〳〵」と表記)[全生文芸協会1950:214-215頁]。

明日はキヤンプだ。……(中略)……夕方になり又曇つて来た。何だか気が気でない。夕方大急ぎでテル〳〵坊主を作つた。私は明日履く下駄に鼻緒をたてた。
……(中略)……
あくる朝、五時十五分前に起きて外に出た。まだあたりは暗い。昨日つるしたテルテル坊主がぬれずにいる。Yさんはまじめくさつてその前に立ち、「テルテル坊主さん、天気にして下さつて有難ふ」といつている。私はふきだした。

 ハンセン病療養所で隔離生活を余儀なくされていた子どもたちにとって、キャンプは貴重な外出の機会であり、心待ちにされていたことでしょう。

6、作る動機(日蝕観測・石炭生産)

 学校行事ではない事例もふたつ見られます。ひとつは、日蝕観測に際しててるてる坊主を作る例。この年の9月12日、北海道東部を中心として部分日蝕が観測されました。
 先に少し触れた、望遠鏡にてるてる坊主をぶら下げる光景が、『天文月報』43巻11号(資料⑱)に収められた「帯広日食行状記」という一文につづられています。著者は作家の富田弘一郎(生没年不詳)[『天文月報』1950:125頁]。

一夜明ければ日食当日。キジヤ台風の影響は何処へやら仲々の上天気である。……(中略)……9時頃から雲行きがあやしくなり、慌ててふだんは余りあてにしない測候所の御宣示を電話できく。溺るる者藁もつかむ、というところだ……(中略)……何とか前線が丁度日食の頃、帯広を通過する予定だとか。大急ぎで大きなテルテル坊主を作り、「晴れたら一升」などと書いて望遠鏡にぶる下げたが霊験あらたかならず、遂に雲の中で日食は始まつてしまつた。

 文中にある「キジア台風」は、キジヤ台風とかキジャ台風とも呼ばれ、この年の9月13日に大隅半島(鹿児島県)あたりに上陸、九州から近畿にかけて甚大な被害をもたらしました。

 学校行事ではないもうひとつの例は、石炭の生産にまつわるお話。『九州石炭鉱業協会月報』23号(資料⑯)に「九州管内電力用炭に就て」と題する一文が寄せられています。著者は「日本発送電株式会社九州支店石炭課長」の肩書をもつ藤沢隆(生没年不詳)。冒頭にあるのが次のような記述[『九州石炭鉱業協会月報』1950:9頁]。

公園廃止以来若松の「港の見える」当社石炭事務所にも炭鉱業者、石炭販売業者の方々が屡々お見えになるようになったが色んな話の末異口同音に漏らされるのは、
「一つ筑豊炭田のド真ん中にでっかいテルテルボーズの銅像でも建てますかな」
と言う言葉である。
テルテルボーズの銅像を建てれば日照りが続くであろう、日照りが続けば水力電気が不足するであろう。水力電気が不足すれば火力発電をヂャン〳〵やるであろう。火力発電をヂャン〳〵やれば電力用炭が売れるであろう。電力用炭が売れゝば石炭屋は儲るであろうと言うこの聊か「風が吹けば桶屋が儲る」式の論理にも似た言葉を吐かねばならぬ程電力と石炭とは密接なつながりを有している訳である。

 若松(現在の福岡県北九州市若松区)あたりの炭鉱業者や石炭販売業者の口々にのぼるのが、「筑豊炭田のド真ん中にでっかいテルテルボーズの銅像でも建てますかな」というフレーズだといいます。筑豊炭田とはかつて福岡県にあった大規模な石炭産地。てるてる坊主を作って日照り続きにすることで水力発電を不足させ、まわりめぐって火力発電に用いる炭の需要を増やそうという目論見が、冗談として交わされている光景です。

7、効力アップの工夫(大きさ・お礼・文字)

 最後に注目したいのが、てるてる坊主の効き目をアップさせようとする工夫の数々。先ほどから何度か触れている日蝕観測の事例(資料⑱)では、ちょうど日蝕が観測される時間帯に悪天候が予想されるため、大急ぎでてるてる坊主を作ったといいます。
 このてるてる坊主には「晴れたら一升」などと文字を書いています。願いどおりに晴天にしてくれたらお礼に酒を1升あげる、という意味でしょう。ごほうびの酒をちらつかせたり、それを文字にして書き込んだりして、てるてる坊主の効力アップを狙う工夫です。
 この資料⑱で望遠鏡にぶら下げられたのは、「大きなテルテル坊主」だったといいます。同じく、てるてる坊主を大きく作っている例が、児童文学作家・奈街三郎(1907-78)らが編んだ『童話三百六十五日』(資料⑬)に見られます。そのなかに収められた小説家・野上弥生子(1885-1985)の「梅雨つゆのころ」と題する作品です[奈街ほか1950:173頁]。

幼稚園では、みんなしておおきなてるてる坊主をこしらえて、まどの前のサクラのにつるしました。お天気になりしだい、植物園しょくぶつえんへ、遠足えんそくにいくことになっているのでした。
そのけのは、てるてる坊主のおかげとみえて、ひさしぶりに雨がやみ、はい色のくもあいだから、うすい日のかげがさしました。ばんざあい。光子さんはおともだちと幼稚園のまどから、さくらの木のてるてる坊主のほうへ、手をあげてさけびました。

8、効力アップの工夫(数・縛り上げる)

 あるいは、てるてる坊主をひとつだけではなく、いくつか作る事例も見られます。小説家・今井達夫(1904-78)の『熱球空を射つ』(資料⑭)に収められた「車中の感激」と題する一節から[今井1950:80頁]。

百合子はむきになって、障子しょうじのそとをゆびさした。
大丈夫だいじょうぶよ。雨なんかけっして降らないわ。だって、百合子、ちゃァんとてるてる坊主ぼうずをこしらえて、お願いしておいたんだもん。」
「へエ。いつこしらえたんだい?」
そういわれて、縁側えんがわへ出てみると、なるほど、てるてる坊主が二つぶらさがって、朝日あさひをまぶしそうに受けながら、朝風あさかぜにゆれている。
「や、お母さんにこしらえていただいたんだな。しかし、二つとはよくばりだなあ、百合子ちゃんも。」
「あら、だって、ひとつは百合子のだけど、もうひとつは、お兄ちゃまのためなのよ。お兄ちゃまだって、きょう雨だったらがっかりでしょ。」
「ああ、そうか。そいつは、まいった。」

 自分のためのてるてる坊主に加え、兄の分までてるてる坊主を別に用意しています。
 また、てるてる坊主をただ単に吊るすのではなく、縛り上げると記している資料もあります。それは、作家・小泉八雲(1850-1904)の童話を集めた『日本童話小説文庫 耳なし芳一』(資料⑮)の巻末に収められた、英文学者・山宮さんぐうまこと(1890-1967)による解説文「小泉八雲の作品」。小泉八雲の「乙吉のだるま」という作品を解説したなかで、だるまの信仰とともにてるてる坊主についても触れています(傍点は原文のママ)[小泉1950:34頁]。

雨ふりが続く時、晴天を願いもとめて、てるてる●●●●坊主をしばり上げる信仰があるように、何かの利益をもとめて、眼のないだるまを用意して、その利益りやくがあった時に、はじめてそのだるまに眼をいれるという信仰は、関東地方にもないことはない。

 本稿は昭和25年のてるてる坊主をめぐる粗い覚え書きでした。もっと長い目で見た昭和20年代全般におけるてるてる坊主の動向については、また稿をあらためて検討できればと思います。

参考文献

【表1と表5に関わるもの】(発行年はいずれも昭和25年(1950)。丸数字は表の左端の№に対応。うしろのカッコ内は詳しい掲載箇所や作者等。)
①『小学一年』5(6)、二葉書店(大木雄二〔作〕西村保史郎〔絵〕「てるてるぼうず」)
②『よい子ども』2(6)、よい子ども社(にしつせいじ〔絵〕表紙)
③『少女の友』43(6)、実業之日本社(藤田桜「てるてるぼうずをつくりましよう」)
④『ぎんのすず』B5(11)、ぎんのすず(きたうらひさお〔作〕はやしよしお〔絵〕「そうごうがくしゅう たのしいうんどうかい 」)
⑤『キリン三年の大全科』後期用、初等教育研究会(「おてんきしらべ」)
⑥玉川大学〔編〕『玉川児童百科大辞典』15  社会科 1(政治・法律・道徳・宗教・国際問題)、玉川大学出版部
⑦『小学二年』5(6)、二葉書店(太田じろう「てくちゃん(つづきまんが)」)
⑧『銀の鈴』5(11)7月 6年生、広島図書(大西利子「思い出」)
⑨『銀の鈴』5(16)、ぎんのすず(まき・しんさく「実話小説 お山は晴れて」)
⑩『富士』3(9)、世界社(森貫「傑作マンガ祭」)
⑪学習能率研究会〔編〕『小学一年毎日の指導』1(1)、三晃社(鈴木行男「社会科の学習指導」)
⑫小川敬士〔編〕『年刊短詩文学作品集』第1集(1950年)、短詩文学会出版部(榊原春三)
⑬奈街三郎ほか〔編〕『童話三百六十五日』、トッパン(野上弥生子「梅雨のころ」)
⑭今井達夫『熱球空を射つ』、偕成社(「車中の感激」)
⑮小泉八雲『日本童話小説文庫 耳なし芳一』、小峰書店(山宮允「小泉八雲の作品」)
⑯『九州石炭鉱業協会月報』23、九州石炭鉱業協会(藤沢隆「九州管内電力用炭に就て」)
⑰全生文芸協会〔編〕『癩者の魂』、白鳳書院(孝子「キヤンプの一日」)
⑱『天文月報』43(11)、日本天文学会(富田弘一郎「帯広日食行状記」)
⑲『ゆく春』23(3/4)、ゆく春発行所(半田只穂)
⑳『木太刀』47(4)、木太刀社(長谷川銀月)


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