ルクセンブルグ・フランがないっっ。だけど頑張った一人旅。 その1
1991年の6月。伯父と母とドイツに旅行した時のこと。伯父の娘(私にとっては従妹、母にとっては姪)がルクセンブルク国境にほど近いスパイヒャーという町に住んでいたので、彼女を訪ねるのが主な目的だった。
ヨーロッパの6月は、とても良い季節。カラッとしていて、本当に過ごしやすい。
滞在して1週間ほど経った頃、従妹の琴美(仮名)ちゃんが、
「ここから電車で3時間ほど行けば、パリよ。私たち夫婦もよく行くので、なじみのホテルもあるから、くみちゃん行ってくれば?」
と勧めてくれた。
パリ?
そのような場所においそれと行けるとは思っていなかったので、そのアイディアに飛びついた。
スパイヒャーを出発し、フランスとドイツの間に挟まるルクセンブルグを経由してパリの東駅に着く列車に乗った。
伯父と母は、そのままドイツに残ってのんびりとした時間を過ごすことを選んだので、ドキドキの一人旅。帰りの列車のダイヤを念入りに調べ、スパイヒャーの駅員にも確認した。その時刻に、琴美ちゃんが車で迎えに来てくれる段取りにしたかったからだ。
パリでは、エッフェル塔や凱旋門、オペラ座やノートルダム寺院など、一通りの観光名所を大急ぎで見てまわり、残りの時間はデパートやスーパーマーケットに寄って、日本にはまだ入ってきていないお菓子やフレグランスを買うのに費やした。
おかげで結構な荷物になってしまった。一泊だけだったので、琴美ちゃんから小さめのボストンバッグを借りた。当然キャスターはついていないので、
「重くなっちゃったなぁ」
と思いつつ、色々珍しい焼き菓子やチョコレートを買うことができたので、心は軽かった。
けれども順調だったのは、そこまで。
予定通り、帰りの列車に乗ったのだけれど、なんと事情で途中のルクセンブルグが終点となってしまったのだ。社内のアナウンスは、フランス語だったので、最初何が起こったのかまったく気づかなかった。
いつまでも明るいヨーロッパの空を眺めながら、
「あと一駅でドイツに入る。もう少しだ」
などとぼーっと考えていた。
そこへ。
「マドモアゼル! マドモアゼル!」
大きな声がした。どうも私に呼びかけているらしい。
「何の用事?」
まだ事情を知らない私は、のんびりと構えていた。
そこで初めて変更を知ることになる。
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