当たり前だけど異常なこと
良いニュースというのは
仕事場ではまず、ない。
いや、そもそも業種が業種だけに、
そんなものは求めていないとも言える。
求めたところで届くはずもなく、
ここで聞こえるのは
「緩やかに落ちていく能力」
その音を耳にしながら、
それをただ、眺めているしかないのだ。
何もできないというわけではないが、
何をしても何かが変わるわけでもない。
だからとりあえず、
本人が気づくその時まで、
付き合っている。
いつも付き合っている。
たまにはお願いすることもあるけれど、
それもほとんど無意味に終わることが多い。
だいたいは自己中心性の波に呑まれて、
振り回されるだけだ。
それでも振り回されるのが仕事だと、
そう思うようになっている自分もいる。
タイミングというのは残酷だ。
こちらの都合なんて関係なく、
向こうのリズムで、
思いもよらない時にやってくる。
「ちょっと待ってくれよ」
そう言いたくなる時ほど、
その波は激しく、そして深い。
一息ついて、
ようやく自分のペースを取り戻そうとした瞬間に、
狙いすましたように襲ってくる。
まあ、当たり前と言えば当たり前だ。
こちらの心が緩んだ瞬間を見逃さず、
その隙間に入り込んでくる。
だから、小手先で対応しても長引く。
どうせなら最初から、
「長期戦」を見越しておく方がいい。
そう決めてしまえば、
腹も括れるというものだ。
間髪入れずに次がやってくる。
だから気を抜く暇もない。
けれど、不思議と朝方には収まることが多い。
これもまた、慣れた流れだ。
楽なものなんて、この仕事にはない。
理想的なものなんて、そもそも存在しない。
裏切られるばかりで、
振り回されるばかりで、
それでもこちらはついていくしかない。
ついていくことに、
いつの間にか慣れてしまっているのだ。
手を替え品を替え、
こちらもやれることを試す。
それでも、向こうは残酷で無慈悲だ。
見ているだけで胃が締めつけられるような場面もあるが、
これもまた、選択の自由の結果なのだろう。
目に入らなければ、
それはそれで「ハッピーエンド」として片付けられる。
知らないことが多い方が、
人はきっと幸せなのだ。
それはわかっている。
けれど、このコトワリの中にいる限り、
その外には出られない。
優しさとは、なんだろうか。
そう問うこともある。
しかし、優しさもまた、
時に残酷で、
時に冷酷なものに変わる。
人は多角的にものを見ることが苦手だ。
目の前の一つに囚われ、
他を見失う。
仕方がないことだ。
ならば、
刷新するしかないのだろう。
変わらないもの。
昔からずっと同じこと。
この世界に染みついたものを、
どうにかするためには、
こちらも変わらなければならない。
変わらぬ相手に合わせ、
変わらぬ状況に向き合い、
それでもなお、
こちらは動き続けるしかないのだ。
理不尽を理不尽と思わなくなるまで、
それが日常になるまで、
いつの間にか染み込むようにして。
そうして日々が過ぎていく。
手を替え品を替えである。
残酷で無慈悲なその流れを受け入れながら、
それでも目の前の「選択」に向き合う。
知らなければ、幸せでいられるかもしれない。
でも知った以上は、
その先に行くしかない。
人の業、
その行き着く果てを、
今日もまた見届ける。
そうしてまた、
夜が明けるのだ。