備える?とは?
今日はカップ麺とレトルトカレーの
処分に追われている。
日付はいずれも2ヶ月や3ヶ月すぎている…
だがしかし食べれる。
時が経とうと
味わい変わらぬ このメーカー努力
頭が下がる思いが溢れて止まらないことは
ないのだけれどもね。
時に。
「備えあれば憂いなし」という言葉がある。
いざという時のために備えることで、心配を減らし、平穏な日々を過ごせるという教えだ。
だが、その「備え」自体が時に憂いの種になることもある。
たとえば、家庭でストックしているレトルト食品やカップ麺。
災害に備えて買い置きする人は多いだろう。
だが、その多くは気づけば賞味期限切れになっていることが少なくない。
なぜか?
理由の一つに「安売り」で購入したことが挙げられる。
スーパーやネット通販で「お買い得!」と目にすると、つい手を伸ばしたくなる。
だが、安い商品には往々にして理由がある。
それは、賞味期限が近づいていること。
店にとっては在庫処分として売り切りたい商品であり、私たち消費者にとっては一見得したように思える。
しかし、期限が迫る食品を保存用として備えるのは、そもそも適切ではないのだ。
備えるものに「期限」があるという現実
食料の備蓄はもちろん大切だ。
ただし、それを本当に「備え」として機能させるためには、管理が必要不可欠だ。
賞味期限を確認し、定期的に入れ替える。
これは単純なようでいて、実際には手間がかかる。
さらに、交換には費用もかかる。
災害用の保存食や非常食は、一般の食品に比べて割高なことが多い。
経済的な負担もある中で、それを期限ごとに入れ替えるのは決して簡単ではない。
また、食料だけではない。
乾電池や消毒液、薬品など、あらゆる備えには使用期限や保管条件が存在する。
「備えた」という事実だけに安心してしまい、それが劣化していることに気づかないままでいると、
いざという時に役に立たないどころか、逆に害を及ぼすことさえある。
「いざ」のタイミングは誰にもわからない
災害や非常事態がいつ起こるのかは、誰にもわからない。
だからこそ「備え」が重要だというのは、その通りだ。
しかし、その「いざ」のタイミングがわからない以上、備えもまた「持続可能」でなければ意味がない。
備蓄した物品が適切に保たれていなければ、いざという時に役に立たない。
さらに言えば、災害時や緊急時には、そもそも備蓄品そのものが使えない状況もあり得る。
映画や小説などのパニックものでは、物品が奪い合いの原因になったり、
誤った使い方で危険が生じたりする描写がよく登場するが、それもまた一つの現実だ。
備えるということの本質
「備えあれば憂いなし」。
この言葉は決して間違っていない。
だが、その「備え」が形骸化してしまっては意味がない。
必要なのは、備蓄品そのものだけではなく、管理と更新、そして使う知識や態度だ。
備えたはずのものが役に立たない状況になった時、
私たちはどれだけ冷静に、そして柔軟に対応できるだろうか?
結局のところ、「備える」とは物を用意することだけではない。
考え、準備し、見直す――そのプロセス全体を指す言葉なのだろう。
知らんけど。