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「自己肯定感」の低い私が苦手な洋服選び

外見を繕う話と似ているのだが、
洋服を選ぶときにいつも困ってしまう。

昨今の多様性の話から、
好きな服を好きなようにという風潮になってはいる.
しかし、そもそも好きな服がわからない。
これまでずっと人から見られたときに
どう見えているかばかりを気にしていたというか、
馬鹿にされない服を着たいと、どうしてもおもってしまうのだ。

さかのぼればどうしてそうなったか、
いろいろ思い当たることはある。
小学校低学年の頃、とっても気に入った服があって小学校にきていった。
ドレスとかフリフリがすごいとかそういう方向性ではないのだが、
民族衣装っぽいというか、
確かに普段着にするには生地的に浮いていた。
それが原因かどうかはわからないのだが、
それを着ていった日は必ず靴に石や画鋲が入れられていた。
(靴も合わせていたのでわかりやすかったのはあると思う。)
最初は偶然かとおもったのだけれど、
3度続けばさすがに気づく。
それで着るのをやめた。

小学生の高学年頃。私はお転婆な方だったので
スカートよりキュロットスカートを好んだ。
その時、習い事に行く途中で痴漢にあった。
友人も一緒だったのだが私だけが襲われた。
その男は太ももを執拗に触り逃げていったのである。
ものすごく怖い想いをしたのだが、
キュロットなんて履いてるのが悪いんじゃない?と大人に言われた。
確かにスカートより足の見える面積は増えるかもしれないけれど、、、
それから同じものは着なくなった。
しばらくは長いパンツばかりを履くようになった気がする。

中学生の頃。普段は制服だし、私服が着る機会がほとんどなかった。
進学校で勉強漬けの日々だったし、そもそも服自体に興味もなかったので、
親と買い物に行くときに適当に見繕っていたのだが、
当時は洋服屋のラインナップにミニスカートが多かった。
というかロングスカートはほぼ存在しなかった。
受験を控え塾に通うようになったころ、
その服装が男受けを狙っていると言われた。
そんなつもりはなかったというか、
私はいろんなことに疎すぎてそんなこと思いつきもしなかった。
みんな似たようなものだと思うのだけれど、、、
とは言えなかった。

歳を重ねれば人の服に文句をつけてくるような人はいなくなる。
一時期はそこまで他人の視線を気にしなくなっていたとは思う。
けれど、いわゆる掲示板やネットの世界で
誹謗中傷のようなものを受けていた時期があって、
いい年齢になってから名指しでたたかれたことがある。
行動から職業、容姿、すべてを否定されるその中で
当然服装についても酷く悪く言われていた。
その中には着てる服が安っぽいというものもあった。

TPOは大切だ。
好きな服を好きなように着る自由はあるが、
結婚式に白いドレスを着ないように。
もしかしたら私はそれを間違えていたのかもしれない。
私が着たいと感じた服は着てはいけないものだったんだろう。
だから自然と、
何を着たいより何を着たら人から怒られないか
後ろ指をさされないかばかりを考えるようになった。

もう一つ、服が選べない理由はある。
可愛い服やきれいな服を可愛いな、素敵だなと思う感覚はある。
ただそれを着るに値する容姿を持ってないと
着てはいけない
ように思えるのだ。
自分は着る価値のない人間だと思ってしまう。

眩しいほどのマネキンたちが迎える店内は
入るのに緊張を覚えてしまう。
キラキラしていればしているほど、
店の前でお前なんかに来ないでくれと言われているように思ってしまう。
その壁を乗り越えることが出来ない。
自己肯定感が低いのに、ばかばかしいほどの自意識過剰。
誰も自分のことなど気にしてはいないのに。

結果、とにかく服を選ぶのが苦手になってしまった。
毎日着るものについては、
ある程度のパターンを決めたのでそこまで辛くはないけれど、
新しい服を取り入れるのは結構しんどい。
知人につきそってもらって洋服屋にはいるハードルを軽減し、
なんとか洋服を増やそうとおもうのだけれど、
そのたびに選べないまま終わることも多い。

「おしゃれは素敵」みたいな風潮も
そうあれない自分が非常にみじめに感じる
極端に言えば、全世界でジャージを着ることが義務になったら
凄く楽なのにとすら思っている。
私が神様になったらたぶんそうする。笑

自己肯定感を上げましょう。
そのために好きな服を着ましょう。
そのハードルがものすごく高く見えるのは自分だけだろうか。


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