イヤモニから生きてる意味まで考えちゃうほどに。
好きが過ぎると、ヤバいとこまで愛が行き過ぎるなぁと。
(大丈夫ですよ、道は外してませんから…もはや情熱的になってるだけですよ)
音楽に支えられる日々
昔から音楽鑑賞が大好きなんです。
普段音楽を聞いてるのはもっぱらAirpods proか自宅のBOSEスピーカーからなのですが、ふと大好きなアーティストが舞台で聴く素直な楽器の音色や歌声…つまり超絶生な原音を聴きたいなと思い、先日買ったSHUREのモニターイヤホンを。
で、いきなり音楽を聴くのではなく、また復帰しだしたデレステをプレイ。
やっぱり「(イヤモニだと)あれ、こんな音鳴らしてたんだな」って気づきがあるし、「(AirPodsとかだと)それ以外の響かせたい音を加工させちゃって(時に選んで)運ばれた音色を聞かせられてるな」と気づく。
そうなると私が好きだった楽曲たちはどうだと聴くと、こんなに素直だったのかーと感慨深い気持ちに浸る。
うつから抜けられない日々
けっこううつから抜けきれず、正直参ったなぁ〜という日々です(⌒-⌒; )
あれこんな弱かったっけなぁ〜という状況でして^^;
抗うつ薬がいてくれた日々がもはや懐かしい
長い間うつ病だと思われ、実は双極症Ⅱ型だとわかってから、その事実なんかよりも正直なところ、うつをだいぶ抗うつ薬で救ってたんだなという気持ちでいっぱいになる日々です。ありがとよ、レクサプロ〜!って気持ちでいっぱいで。
ただ君に頼り過ぎると、激しい怒りの気持ちや衝動的な躁もやってきていたので、レクサプロの前に飲んでいたサインバルタまで遡ると、抗うつ薬に戻る選択肢はやっぱないなと思うし、躁うつに変わった今は医学的にもない選択肢でしょう。
がんばってくれ、抗精神病薬くんたちよ!
正直レキサルティくん、もっとがんばっておくれよ〜!と日々思うんです。
かといって主治医と相談して安易に量を増やすとうまくいかなかったりする。
まだレキサルティのことを体感的に知り得ていなくて、難しいなって思うし、どうしようもないうつには正直メイラックスが支えてくれてる感じで。
(ただメイラックスの支え方って強靭な感じではなくて、あの団塊の世代を若い労働者が支えてる年金の構図のような、もうやわ過ぎる支え具合という感覚で)
まぁ色々チャレンジしては、これまた情けないくらいダメダメで。
参った!全然うまくいかない日々。
B型に通い始めて落ち着いて週2にしだして、リカバリーカレッジはじめて…具合を崩し始め、色々頑張り過ぎたかなと思ってる間にあれよあれよと風邪になり、一気に体が弱ってしまって…
家族からもだいぶ無理してないか?と心配されて^^;
生きてること自体が何かと大変だから、正直「何を今更」感なのですよ。
それでもなんとかやってきたい
確かに大変だけど、やっとやりがいのB型にたどり着けた。
休むことはあってもできれば続けたい。
何もすることがない日々に「やる気」とか「生きていく希望」のようなものを見つけられたような気がしたのよ。家族としては今まで通り、何も発作のない普通の毎日を送って欲しいのかもしれない。家族はその方が安心かもしれない。
でもさ、当の本人がその気ではないのよ。
やっぱり社会に属する喜びをどこかに感じて生きてみたい。
それを諦めるのはまだできない。
仮に諦めたところで、ふりだしに戻るだけなのかな。
ただ戻るっていうのが、幸せがあった過去に戻る感覚ではなくて、荒野の過去に戻るような気持ちを抱かせる。それだけ今が色々ありながら将来に可能性を感じた日々だからではないだろうか?
湿っぽくなってしまったけれど、明日は新しい病院へ行きます。
正確には「性分化疾患及び性同一性障害による性別適合手術後の性ホルモン補充療法を行っている治療先の変更」です。
未来への希望を思い出して
なんで病院変えるんだっけ?って理由を思い出すと、未来に希望を持てます。
今日もちょっと腫れてる股の痛みをコントロールして、ちょっと前までやってた筋トレとか、また登山にチャレンジしたいんです!
あとめっちゃ性交痛があります。
これもなんとかしたいなって。正直、手術後に性交渉をした時飛び上がるほど痛かった。恋にはずっと蓋をしてきた。でもここも骨盤トレーニング等で変化させることができる可能性も見えてきた。やっぱり諦めたくない。
ただ耐えてる、しのいでるわけではない。
明日のためにわずかな光だとしても、希望を持って生きてきたから、何も可能性が広がらない時や希望を立たれた時に今後のことを考えたくて、今はただ突き進みたい。まぁもう折れそうだとなったら、臨床心理士さんを頼ろうと思ってます。
ほんとお金がないよね〜^^;
ただ生きるだけでもさまざまな欲望が発生するし、それを阻む何かがやってくるし…生きるのが難しくなっちゃって道を外しちゃう人や、そうしようとする人の気持ちがわからないわけでもない気がしてくる。
1%の希望の原点
だけどさ、1%の可能性を踏み潰したくないんだよね、私は。
それが私の頑固さのもとでもあるのかもしれないけれど、性別適合手術も叶いそうにない18歳の頃に性同一性障害の自助会に参加した時、SHINさんのサイトにつながって「1%の可能性があるのなら、進もう!」って励まし続けてくれるサイトがあったんです。彼のサイトは性同一性障害当事者の支えだったと思います。初診費用や2回目、3回目〜最終診察日までの受診料や治療費が1円単位で細かく書かれていました。FtMさんのサイトだから、私のようMtFさんとはまた違う事情はあるけれど、今どう働いて次の診察日までに用立てとく必要があるか?とか、参考にできたんです(祖父母からもらった餞別も使わないでおこうかな?とか笑)
見てたらありがとー!って言いたいし、会えるならやっぱ「おかげさまで幸せです」って言いたい。せめて「性分化疾患とか見つかっちゃってうまくいかない時もあるんですけど、なんとか自分なりの幸せを探して歩んでます!」って言いたいし、その今の人生を少しでも男性時代とは違って、思い通りに生きてる今の人生を大切に思えていたい!ってやっぱ希望はふつふつと湧き出てくるところはあります。闘病仲間を数人志半ばで亡くしてるしね。。。
なんやかんや生きれてるってすごいことだと思う
いろいろ生きれてることはなんやかんや奇跡なんだと思います。
小さなことに日々感謝って言うけれど、小さなことの積み重ねに生かされてる気もします。