SRS術後13年目のリハビリでなんで生きてるか?まで考え始めた話
性別適合手術をしたのが2011年。
半年と続かなかったリハビリ…痛すぎるんですよね・・・。
結構多いんですよ、私と同じMtFトランスジェンダーで造膣した箇所が塞がらないように棒を入れとくんですが、これが意識を失うほど痛すぎて(⌒-⌒; ))術後1年はやりましょうと言われても、半年やるのがやっと…という人が。
(当時、これ以上憂うつでサインバルタを増やすの嫌だなぁと思って半年でリハビリを強行中断しました…こんな自分は終わってると思ったけど、現代の当事者Youtuberさん達が、「半年続いたってすごいね!」って配信をやってくれてるのが支えだったり…長く生きてみるもんよ!)
リハビリ再会がいてーのなんの!
そこから13年経って、今更リハビリを再開。
もう10年以上経ってる人のリハビリは奥までやる必要はありませんし、入口付近をグルグルマッサージするだけなんですが、これがもう奥は全く痛くないんですけど、手前のいわゆる尿道とか膣口全体を支えてる皮膚周りがまぁーキーンとかツーンとかなるような痛みで。(ロキソニンなんかじゃ痛みが引かず、トラムセットが活躍してます。)
これは次回の診察時に何かしら対策を取る必要がありそうだなと思うけど、追加手術も気が進まないんだよなー。
膣を作るか作らないか悩んだ2011年
これをそもそも性別適合手術を行う際に選べるんです。
いろんな先輩方からの実体験で「作らない」選択をする人が近年は増えてきましたし、私の世代(アラフォー)でも作らない選択をした子も稀にいました。
でもやはり私にとってはあらゆることでいちいち「自分の女性でないとこ探し」が始まってしまうだろうなぁ…いわゆる普通の女ではないコトやトコ探しをしてしまうだろうな…って思って、当時は迷わず膣を作る選択をしました。
いやーこれが今でも正解だったかどうかわからない。
とはいえ、こんな痛すぎるなら作らなかった方が良かったか?と安直に思えもしない。
なぜなら性別適合手術の本来の意図の「女性へ近似させる手術」に、じぶんなりのずれが生じてくるだろうな…そこで深く悩み傷つくだろうな…それはきっと辛いから、膣を作って我慢する方が、じぶんにとってまだ辛さが少ないだろうな…って当時の自分なりに悩んで選択しました。でもこんなに痛いのか…って思っちゃうんですよね。
究極の選択肢を突きつけられた時、もうどのみち辛いなら少しでも軽い方を選択しようって人生を歩み続けてます。どちらに辛いながらも将来性があるだろうか?
膣使ってますか?長らく使ってないねー。
やはり男性と付き合うかもしれないし、求められたら答える能力を失いたくない。かたやもう男性と何年付き合ってない?とも思ったりするし、答えきれる自信もない。
でもこの体がどちらかというと好きなんだろうね
だって苦労して取り戻した体ですもん。
私は手術代300万円は実は両親が出してくれたのですが、両親も理解に波があって、手術に漕ぎ着けるまでの自費治療費は全部自分で払ってきました。さらに「手術は済んだからもういいだろ!まだ迷惑かけんのか!」って感じの冷たい対応で💦 その後の3割負担のホルモン治療費も結局自分で払ってるまま社会人に突入したなぁ。やはりそういう部分で揉めての養子縁組もあったり(当事者さんからはそれでもツイテル人だよ!アンタ!って言われちゃうときあるけれど)
本音は…
本音は2016年にやった声帯手術で自分を取り戻した感が強いんです。
実際のところ。
メディアや医師の間でも、「性同一性障害当事者は、性別適合手術をやることが最大の幸せとか本望」って捉えがちですが、それも本人次第ですし、最近は手術なしで戸籍の性別変更が認められる時代になってきました。今の病院でも「手術要件なかったら、手術なしで性別変更してましたか?」って聞かれるけど、私はやはり手術に行ったと思う。ただ優先順位が本当は声帯手術だったかな…って思うかな。
なんで生きてるんだろうか?まで下がることもある。
でもこれ、あるあるなんですよね。
けっこうこれで自殺しちゃう当事者さんも多いです。
私もなんで生きてるんだろうか。
この苦しみに耐えて…そう思うことは非常に多いです。
それゆえの双極性障害Ⅱ型や不安障害になって、薬を迎えることでなんとか歯止めがかかってるんだろうなぁって…そんなふうに思うこともあります。この死にたさは性同一性障害から来てるものじゃない!双極性障害や不安障害のせい、もっと言えば発達障害のせいかもしれないし、難病のせいかもしれない!いろんな事のせいにして、死から遠ざかる人生も悪くないですよ(笑)
それにまだまだ人生経験がそんなにないですから、今死んじゃうと、もっと生きてた時にいい人生とかご褒美みたいのが見れず仕舞いになってしまうんじゃないか?とさえ今は思います。自分なりに整理してここまで来れたのだから、やっぱり生きて何かを成し遂げてみたいのだと思います。