■そもそも科学(in a strict s.科学哲学)と倫理の距離は近い!/大格差、人間の壁がDX肥大症化!「リーン高度生産性Vs伝統労働力」はAI構造災に非ず重力・変分原理ら科学「知」に関わる根本的な誤謬 or 作為(Pseudo)の人災!
[前置]メルロ・ポンティの慧眼
・・・我われの<日常と時間の感覚>を支え続ける「経験」(ここでは広義の「歴史」経験、「政治経済」経験など、および意識の深層海流をも含む)についてポンティの眼差しを率直に考えてみると、「メルロ・ポンティの経験論」は、身体の現象学(フッサールら意識の哲学)を通過したうえ、日々の“生”きた場面で覚醒する共時的な「身体」、いわばミシェル・アンリの共感に生きる“受苦と愛”の肉体の存在論を経て、更にそれはオミクス生命論(リアリズム倫理の土壌)の意味でミクロ・マクロ両環境とも相互浸透する「身体化された心」(enactivism:エナクティヴィズム/外界の思考・新実存論@マルクス・ガブリエル)へと深化することを予感させてくれた(メルロ・ポンティ『眼と精神』-みすず書房-)。
・・・↑カバー画像は、ポール・セザンヌ『サン・ヴィクトワール山』1904 73×91cm/フィラデルフィア美術館・・・
・・・当記事の内容は「J.マクダウエル/第二の自然の解釈」を布石としつつ、森田邦久『現在という謎―時間の空間化批判―』(勁草書房)らを併読し、そこで理解し得た<市場原理主義、Pseudo“科学意識”(完全“合理主義・唯物論・還元主義”等)、「絶対原理的な自由意思ら諸イデオローグ(強欲資本主義、超然観念化・概念飽和化した“啓蒙主義&共産主義”etc)」>の劣化、およびその古びた視座をリフレッシュする新しい倫理、つまり“オミクス生命論”と“変異の閾値”を前提とする「Fiduciary(リアリズム倫理)」に関わる主な論点を纏めたものである。・・・
(関連Tw)水のイマージュ2 @tadanoossan2 /「リアリズム倫理」i.e.科学と倫理の距離は近い!の示唆となる[禹歩]の覚醒となるか?そもそも[禹歩]は古層「日中文化」のジャンル↓♨ だが、日本では≪科学、宗教、倫理≫を同一視する穴クロ超然カルト #日本会議 (菅政権・安倍元政権の背後霊)がガン的「元凶」! →米中、気候変動で協力、排出削減に注力 418共同声明:気候変動対策の協力で合意419BBC https://twitter.com/tadanoossan2/status/1386870003555659780
♨1 「禹歩の技法と思想」/大平 洋一:大平きのこ研究所・代表、
https://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/98ohira.htm
♨2 歴史・文献考証・考古学らの研究で神道“すり足”(反閇の変形ヴァージョン)の元とされる陰陽道の反閇(へんばい)は古代中国の治水神たる夏王朝初代・禹王伝説(空海の治水史跡とも関連)がルーツであること、神社・鳥居のルーツが東南アジア、中国南部、朝鮮南部へ拡がることが解明されつつある。https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20150901/p1
(関連Tw)水のイマージュ2 @tadanoossan2/意外にも“科学とリアリズム倫理”の距離は近い!コレに気づかぬ日本の自信のなさが問題!それこそ最大の危機を招く恐れあり! →米中対立は「新冷戦」か 米エール大学教授、オッド・アルネ・ウェスタッドさん:多極化での取り分争いは、米ソ時代とは違う!420朝日、https://twitter.com/tadanoossan2/status/1385707420203196421
(プロローグ) DX時代にこそ重視すべき【AI『人間の壁』とAI高度「リーン(lean)」生産性】の問題
・・・イメージ画像↑は、「DX時代に通用する知財情報分析スキルの考え方と…」http://e-patent.co.jp/2020/11/24/dxip2020-epatent/ より転載・・・
(1)AI『人間の壁』とは?
(要必読資料)AIの壁 人間の知性を問いなおす (PHP新書)/読書メーター、https://bookmeter.com/books/16122425
・・・「リアル経済」(稼働態リアル・マネーの再生産システム)の役割(伝統生産性/付加価値創造)に期待されていたのは、それ自体が地球の自然・文化・生命エトノス環境への開放系と親和するという基本的性質であったが、ビッグデータ型「AIディープラーニングの予測値」は、閉鎖系(ヒトを初めとするリアル生命と異次元の膨大な形式知世界、電子記号・暗号化された抽象体系)であり、それは<「稼」働態>ならぬリアル・マネー<「可」動態>である。
・・・だから、適切な分配が行われない限り、<AI高度「リーン(lean)」生産性(ここでは≪AIの徹底活用で凡ゆるビジネス現場から無駄を完璧に無くす!≫の意味/委細後述)が如何に華麗に実現しようとも、分配(貰い)が少ない非定期を中心とするルンペン・プロレタリアート層の収入は僅少の儘に止まるどころか、益々、日本社会の格差は拡大するばかりとなるだろう。
・・・それは、あくまでも"新自由主義(市場原理主義)"公認"の"見せ金"(https://onl.tw/VChRhQx)の役割りに止まる存在であるということだ。結局、必然的に日本国内における勝者と敗者の間では大きな断絶が生じ続ける儘となり、それどころかDX化のもたらす亀裂がさらに急拡大し、更に深刻化することになる(↓♨)。
♨ 20210718 BS1【BS1スペシャル】コロナ新時代への提言3:それでも生きてゆける社会へ【M.エンデ『モモ』(白水社)の時間ドロボーは新自由主義(“生の収奪”装置化した資本主義の暴走)に因る大格差の象徴!】:経済思想家・斎藤幸平、医療人類学者・磯野真穂、独立研究者・山口周、
https://www.cr-nexus.co.jp/info/info-1289/ https://jcc.jp/news/17412629/
・・・別に言えば、それは、<「AI形式知空間(抽象記号・暗号構成型リーンDXwebワールド)」>Vs<「オミクス生命論が包摂する自然環境の中でヒトを含む凡ゆる生命が歴史を育むリアル暗黙知空間」という二つの異次元空間に跨るDX時代を逞しく生き抜かざるを得ない日本国民の間では、必然的にこのような、ある意味で従来の格差とは全く異質で新しいタイプの、いわば<『AI高度「リーン(lean)」生産性』型の激烈な分断>が生ずる、と考えられることになる。
・・・そして、前向きに考えれば、その分断をどのようにして乗り越えるべきかを考えることが重要となる。そのため、両者(AI形式知空間とリアル暗黙知空間)の間では「ヒトの幸せのための本物の科学意識を伴う社会工学」の視点による政治経済の新たな選択、つまり何らかの「展相(Potenz)の工夫」が必須となる。(Cf.『想定上の完全AIアンドロイドはなぜ胡散臭いのか?』、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/125003)
(2)AI高度「リーン(lean)」生産性を只の幻想で終わらせぬため必須となる二つの視点
・・・官野 厚(サービスマネジメント・コンサルタント/Cf.↓★)著『DX時代のサービスマネジメント』(技術評論社/↑画像)によれば、「リーン(lean)」はウイエイモ(waymo/先端的な“自動運転技術”開発で知られるグーグル系の会社)のCEOを退いたばかりのクラフチック氏(John Krafcik)の造語である。なお、クラフチック氏がウイエイモのCEOを退いた理由は、『(自動運転関連の?)より創造的な仕事へ挑戦するため』とされているが具体的にそれが何を意味するかは不明!(Cf.↓★1,2)。
★0 官野厚 プロフィール、https://www.hmv.co.jp/artist_%E5%AE%98%E9%87%8E%E5%8E%9A_200000000234341/biography/
★1 自動運転の米Waymo、クラフチックCEOが退任 20210403日経、https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN030BF0T00C21A4000000/
★2 Waymo CEO John Krafcik is leaving the self-driving-car company/Tim Levin April 3, 2021·3 https://news.yahoo.com/waymo-ceo-john-krafcik-leaving-175106976.html
・・・そもそも資本主義経済では、一連の生産&流通と市場経済における価値交換プロセスで次から次へ休みなく生成され伝達され続ける価値、言い換えれば生産&流通と市場経済における価値交換プロセスで創造される「新しい価値のバリューストリーム」が最終的には、新たに生み出される「リアルに利用可能な現金として分配されること」が期待されてきた。
・・・そして、クラフチック氏が造語したリーンには、その一連の生産&流通と市場経済における価値交換プロセスが創造する「新しいバリューストリームに無駄が微塵もないよう徹底的にAIで設計する」という意味が込められている。
・・・しかし、↑「AI『人間の壁』とは?」で書いたことの繰り返しだが、例えば<経済産業省のDXレポート“2025年の崖”↓◆>の如くDXが創造する「バリューストリーム」の流れを手放しで絶賛し“デジタル技術を使って企業が新しいビジネスを生み出し、消費者の生活が向上することが期待されます!”という浅薄な認識のレベルに止まれば(日本政府と主要企業が"ミルトン・フリードマン流、新自由主義"公認"の"公正分配の工夫を放置する、只の見せ金づくり"の役割りに留まる意思であり続ければ!)、リーンでAI『人間の壁』が強靭化・肥大化する一方で、最終的にもたらされる新たな高度生産性(たとえ、それが高度リーン付加価値であっても、その実態が只の“見せ金”づくりに勤しむ)というだけでは、分配レベルでの公平さが実現せぬ限り、DX時代の実像は「バリューストリーム」の名に恥じるべきこととなる。
・・・つまり、そこでは所謂「資本主義トータルが“見せ金づくり”である可動態(不胎化)の水準で永遠に止まり続けることになる、ということだ。
<注>不胎化・・・そもそもは為替介入でマネーサプライの変動(即ち結果的には貨幣価値そのものの変化)を抑制することだが、ここでは「永遠にリアル化が不可能な不毛のネバーランド空間(Neverlandはジェームス・マシュー・バリーの戯曲『ピーター・パン』に登場する)の中で、不毛で幼児的な只の一炊の夢を見続けるAIリーン(≪完全にムダをなくす≫、又は≪痩せた、or何かに寄りかかり頼り続ける≫)なる両義的な呪文」をかけられた、つまり余りにも哀れな「市場原理主義&AIの軍門に下った資本主義、およびそのことに殆ど無関心であり続ける一般市民(国民)層の悲惨な近未来を暗示する用語として使った。
・・・そのため、一般雇用者層(特に市場原理主義で構造的に増えるばかりの非定期ルンペン・プロレタリアート層/潜性イノヴェーションの視座からすれば、実は大多数の彼らの存在こそが肝心の稼ぎ頭なのだ!)が手にするリアル・マネー(稼働態マネー)は必ず前者より遥かに僅少な水準へと縮小し続けることが必定なので、究極的にはヒトのため有意な資本主義そのものが成り立たなくなるであろう。
・・・現代の主流経済学派(新自由主義/自称“科学的”市場原理主義)に属する経済学者(及びそれと交尾む政治権力者)らが、もし<AI-IT(DX)シンギュラリティが完結した暁に、ヒトならぬアンドロイド型ロボットだけが“生きる?”オミクス生命論(地球型の自然)が不在の世界でのみ通用する「非常に斬新なゲーム資本主義」を完成させるつもり>なのであれば全く別の話になるが!w(オミクス生命論の委細は↓◆(■)を参照乞う)
◆【実験医学的な思考実験】アンチ「重篤エピジェネティック疾患こと、アベシンゾー型トランスオミクス(orオミクス)層リアル反転『リピート異常発現』症」に対する、一つの処方の方向性、https://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6?nt=like_2181994
(関連Tw)水のイマージュ2@tadanoossan2/リアリズム倫理の観点からすれば「政治とカネ」重視は少なくとも70%位は欲しいところなので、この微妙な数字のカップリングは近視眼的な大衆プラグマティズムの“程々の表れ”だろう。しかし、悪党「自民」にすれば余りにも好都合では?!w JPN「“お仲間式”強欲政治&見せ金づくり資本主義」の隠蔽で「日本の崩壊リスク拡大@近未来」が見えない悲劇! →政治とカネ=大いに重視53% 、景気・雇用54% 衆院選の投票時418朝日世調https://www.asahi.com/articles/DA3S14875204.html
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1383613588678475779
・・・そこで、再認識すべきものが後で触れる「変異の閾値/不均衡進化論」(古沢 満)および「リアリズム倫理/社会的共通資本」(宇沢弘文)の問題である。
◆経済産業省の「2025年の崖」について分かりやすく解説:日立ビジネスコラム/20201125、https://www.hitachi-solutions-create.co.jp/column/core-system/2025-cliff.html
・・・因みに、leanの原義は「(1)痩せた、(2)何かに寄りかかる、何かに頼る弱々しさ」ということであるが、これらは見事にクラフチック氏の造語「lean」の正体(無論、これは分配レベルでの公平(公正さに基づく)が実現せぬ限りという条件下に止まる限りでのことだが)をズバリ指摘しているようで“実に、言い得て妙なり!”と思われるが(苦W)、どうだろうか?
1 DXで強靭化する「AI型"人間の壁"」の下でも「Ⅿ.フリードマンの言葉、『真の変革は不安定な危機状況でのみ可能であり実現する!」は、本当か?
(DXを新種の"科学的"新自由主義のバイオレンスとしないために)
すでに「プロローグ」で見たことだが、DXで強靭化する「AI"人間の壁"」が肥大化する一方の最中で、只管「リーン」化(AIで隈なくムダを省き完璧に合理化)するというレベルに止まるならば、それでは我われがリーン・バリューストリームなる大義名分の下で新種の"科学的"新自由主義のバイオレンスに曝されることになる。そこで、少しばかり前の時代へ遡って、それは何故かを考えてみることにする。
そもそもDX(デジタル・トランスフォーメーション)とは、愈々、我われが本格的な「AI高度生産性」の時代に入ることを意味するが、別に言えば、それは些かでも油断(リアル日常で生きるヒトのためのリアリズム倫理観を喪失すること)があれば市場機能の科学的性質を標榜した 「新自由主義」の経済学者、ミルトン・フリードマンが代表する「科学の『真理』知に関わる誤解、又は作為(一定の思惑に満ちた操作意思/Pseudo)に因る、政治経済的な構造災害ジャンルの人災=Pseudo-science型の大惨事」を暗示しているとも理解できよう。
なお、詳しくは後で触れるが、いま一般に広まっているDXの意味(それは、我われが本格的な「AI高度生産性」の時代に入る変革の時だ!という理解に止まっている)が、実はこの言葉の創案者であるスウェーデンのストルトマン(科学技術哲学者)、アンナ・クルーン(現象学者)両氏の定義(AI‐ITの有効活用で、多様生態系の保守と"リアル日常の幸せ"&"ヒトの仕事(リアルな収入を得るのための)の確保"を実現する)から大分逸れてしまっていることに留意すべきである。さもなければ、我々は換骨奪胎で、殆ど逆ベクトルの方向へ歪曲されたDXに踊らされることになりかねないであろう(その歪曲の真犯人が誰かは知らないが!)。
さらに言えば、それは「未だその正体が計り知れぬDX化なる<DL(ディープラーニング)「蜜」結合型の工学・技術“暴走”の意味でのリーン構造災">による「より深刻な分断化=社会構造の亀裂」(それはいわば健全な社会工学の視座による点検・検証の対象と見るべき病理)が更に劇症化する可能性が高まる時代でもある。
因みに、数学・物性物理などにおける数式での証明をリアル(実在)と見る、いわば科学と工学を混同するタイプ(それが本気であれ、作為であれ‼)の数理経済学者で、かつ“小さな政府と数理科学的な市場原理主義の教祖”とされるミルトン・フリードマンは『真の変革は不安定な危機状況でのみ可能だ!https://www.goodreads.com/quotes/110844-only-a-crisis---actual-or-perceived---produces-reals-real』という、ある意味で"極めて作為的(Pseudo:súːdou)で、かつ傲慢"な信条の持ち主であったとされる。(@ナオミ・クライン"ショック・ドクトリン/ 惨事便乗型資本主義")
なお、近年は「惨事便乗型資本主義」に加えて、その相棒のカップリング的な存在とでも言うべき、AI‐SNSの利用に因る「監視資本主義」の弊害が登場している。その典型事例は、トランプ元大統領に煽られて米国議会へ暴徒化し乱入したトランプ支持者たちが引き起こした事件だ。これがビジネスで利用されると、AI‐SNSらで殆ど詐欺的に収集した個人情報を悪用するネット・ビジネスの展開ということになる。
つまり、監視資本主義(サーベイランスキャピタリズム)とは、個人データが商品となり、このデータの収穫と生産がインターネットの大規模な監視に依存しているプロセスを説明するものであり、この用語は2014年にハーバード大学(ビジネス・スクール名誉教授)のショシャナ・ズボフによって造語された(https://courrier.jp/news/archives/160118/)。
GAFAやSNS、即ちAI-DL(ディープラーニング)技術がその主役となっており、"真の科学的とは何か?"を考える暇もないままで、例えば「Qアノン陰謀論、顔認証データ」らが政治・犯罪ビジネス等の現場で、権力、資本側、または極右“暴力”ないしは犯罪組織らによって、一方的に収集され、再びそれが爆発的に拡散・流通するという形で、多面的に悪用されている(参考画像は、https://onl.tw/vCAQaVsより)。
("真の科学的とは何か?"を考えるための重要な視座/事例1)
・・・『宇沢弘文の経済学』の核心はリアリズム倫理の視座がベースの不均衡動学(社会的共通資本)である・・・
一方、このミルトン・フリードマンの如く不遜で傲慢なタイプとは対極にある、むしろ"「人間性」と「数学ら諸科学」の両者を対等のリアリズム(より正確に言えば、両者はヒトのリアル日常を協働して導く、その生命維持のため有用な存在)と見る宇沢弘文の如くヒューマンな数理経済学者たちも存在する。つまり、彼らはそもそも数学を含む諸科学はその「本来性」から必ずヒトの幸せのため役に立つことが可能だという強い信念を持っていることになる。
特に、宇沢弘文はFiduciary(リアリズム倫理)の観点から人間性を重視する立場だ。即ち、宇沢は先ず理想や真理を探求する科学の「本来性」(人間性と基盤を共有すると理解する)と、只管「実用・実利・実便益」目的の動学(可動&稼働両態操作に関わる技術知)である工学(此処では社会工学の謂いでの経済動学も含む)を峻別する。
但し、委細は後述するが宇沢弘文の不均衡動学は只の社会工学技術ではなく、それは言わばリアリズム倫理(Fiduciary)の射程内にある「一定の閾値」を視野にしつつ数学的にリアル経済(特に社会的共通資本を介して)をコントロールするものと理解できる。
つまり、宇沢弘文らが最も重視するのは<人間の本来性(人間性)の理解、すなわち 科学哲学(または心の哲学)で言うところの1-2人称の意識の対象となる、いわば「リアル空間化された“日常”時間の世界」>ということである。
そして、そこでこそ<真の自由が享受できるし、地球型の自然環境に対し開かれた“ベルグソン(連続)orプリゴジン(散逸)”的に超世代で自己生成しつつリアル空間で生き続ける、人間をはじめとした凡ゆる生命活動(オミクス生命論)の意味が理解可能だ!>ということになる。
・・・因みに、ここで言う「リアル日常の自由」は、ミルトン・フリードマンら新自由(市場原理)主義者らが主張するところの「抽象的な自由原理/@ツベタン・トドロフ/Cf.↓★」とは全く異次元・異質のものである。
★【ハイエク、ミルトン・フリードマン】新自由主義の二つの盲点/市場原理主義(リバタリアニズムに因る)なる概念飽和(Concept Saturation)の囚人たち、・・・『効用価値説』をめぐる概念上の混乱、そして「概念飽和」の問題・・・https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/06/06/162034
いわば、それは言語哲学上の"選言論"にも通じるFiduciary(リアリズム倫理)に関わる覚醒ということでもあり、それは又「Dasein」(ハイデガー哲学の実存)に重なる立場である」とも言えるだろう(Cf.↓★)。
★1「ヒエラルキー分業」から対等共食へ転換を急げ!“リアル循環の変異の閾値”の調整弁たる不均衡動学(社会的共通資本のヒュレー)の基本ツール、数学の「本来性と言語性」の活用は「リアリズム倫理」の良循環をもたらす!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/03/08/233246
★2(要参照)森田邦久編著『現在という謎-時間の空間化批判』-勁草書房-・・・自然科学における時間は、私たちが感じる「ありありとした現在」を否定し、結果的に哲学者には時間を「空間化」しているように映る。時間や現在に対するそうした捉え方の違いはどこにあるのか。好評を博したシンポジウム「『現在』という謎」を軸に、物理学と哲学それぞれの立場からのコメントと応答も盛り込む、唯一無二の時間論集。https://www.keisoshobo.co.jp/book/?book_no=477659
("真の科学的とは何か?"を考えるための重要な視座/事例2)
・・・近代科学の出発点たるニュートンの万有引力の法則に関わる「小さな距離でも、それは正しく成り立つのか?」の疑問については、今も実は実験でよく確認されていない!・・・
物質のさまざまな巨視的性質を微視的な観点から研究する物理学の分野である「物性物理学の視点」で見れば、ミクロな物質が感じる重力の大きさはとても弱く、かつバラバラである/万有引力の法則は正しくないかもしれない!?(イメージ画像は、http://www.s-graphics.co.jp/cover/wp-content/uploads/2020/05/19A0678.jpg より)
・・・近代科学の出発点に位置するニュートンの万有引力の法則は、実は小さな距離では正しく成り立つのかどうか、今でも実験でよく確認されていない。特にミクロン(1micron=1μm:1メートルの100万分の1(10のマイナス6乗)/μmはマイクロメートルと読み10の-3乗mm、1mmの1/1000の大きさと同じ)スケール以下では重力の存在自身すらも、誰も確認できたことがない。因みに、ウイルスの大きさはコンマ以下のμmスケールであり、更にDNAはそれより可成り小さく、分子(2つ以上の原子から構成される電荷的に中性な物質)、および電子らは更に遥かに小さい!
・・・一方で、その破れは(その超ミクロな世界に重力が存在しないとすれば!)3次元を超える異次元空間、つまり4次元以上の「余剰次元」の、又はタイヒミュラー空間(↓★)などの数学的(抽象的・異相的)な低次元トポロジー空間の存在を示す鍵となる可能性が高く、実験的な検証が注目されている。
<注>画像(↑)は、下記▼より転載。
▼【等価原理と万有引力の法則がさらに厳しくテストされつつあり、微小重力の正確な計測はこれからが本番!】小さな物体にはたらく重力の実験で、4次元以上の異次元空間を探す20171011立教大学理学部:二宮一史, 村田次郎https://academist-cf.com/journal/?p=6131
★タイヒミュラー理論/タイヒミュラー空間、宇宙際タイヒミュラー論(望月IUT理論)について(@新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/06/06/162034
・・・しかし、ミリメートル(0.001 m = 0.1㎝)以下のミクロ・スケールにおいては重力の法則は精密、かつ十分に実験・検証が行われておらず(非常に弱いものとなるため)、いかなる重力理論も、このミクロ・スケールにおいて今なお検証が必要な仮説の域を出ていない。
・・・これは重力が電磁気力など他の力に比べあまりに弱く、実験的な計測が難しいためである。なお、上のグラフで分かるとおり、銅分子(原子量63.546)とアルミニウム分子(原子量26.98)では、それぞれが感じる重力の大きさが異なってなっている。つまり、分子レベルの世界では物質が感じる重力の大きさはとても弱く、かつ個々の物質(原子量が異なる分子)ごとにバラバラである。
・・・因みに、空間は3次元であるという実験的な証拠は数多くあるが、実験で調べられていない小さな4次元以上の空間が存在するはずだという主張が、今のところ実証が不可能とされる「超弦理論/↓★」等から出されている。一般相対性理論も万有引力の法則も、空間は3次元であることを前提としているので、もし4次元以上の余剰次元が確認されれば重大な修正が必要となる。
★超弦理論とは?・・・点粒子だと思われている素粒子が実はひもであるという仮説に基づく理論であり、時空構造など、大それた予言ができる可能性がある!/『超弦理論の魅力』京都大学基礎物理学研究所/杉本茂樹(教授)http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~shigeki.sugimoto/YITP50.pdf(↓超弦理論との関連から、数理物理フィールドで注目を浴びているカラビ・ヤウ多様体空間、イメージ画像のサンプルはウイキより)
・・・
以上は、[小さな物体にはたらく重力の実験で、4次元以上の異次元空間を探す:二宮一史(立教大学・先端計測研究センター研究員), (立教大学理学部准教授) 研究コラム 物理学「小さな物体にはたらく重力の実験で、4次元以上の異次元空間を探す/万有引力の法則は正しくないかもしれない・・・」2017-10-06/academist Journal:すべての人に、学問のよろこびを – 最先端研究を伝える学術系メディア、https://academist-cf.com/journal/?p=6131 ]より部分転載。・・・
従って、<石けん膜を作る極小曲面の「変分原理」の実験(↓画像、https://www.math.kyushu-u.ac.jp/Ext-Course/Open-Lect/zi_liao_files/koiso2011.pdf)からも興味深いことが理解できる。その一つは、(これは、明らかにニュートンの万有引力の法則に反することになるが)スケールが極く小さい物体に対する重力の大きさは比較的小さくなることが分かったとも言えるのではないか? ということだ。
つまり、それは極小曲面としての石けん膜は、石けん水の表面張力(物質の界面張力/この場合、石けん膜が水の"分子間力"の"ハミルトンの最小化の作用(委細後述)"に因る?)が、見方を変えれば、それは普通より弱まっている重力と偶たま釣り合ったから出来ていることになるとも思われる>ことだ(因みに素粒子のなかで重力を媒介する重力子、Gravitonは未確認であるが、"重力"周辺の謎は益々深まりつつあるようだ・・・)。Cf.↓★
・・・
★界面科学の基礎/表面張力、https://www.fia-sims.com/p40-interface-science.html#surfacetension2 ↑画像説明・・・液体のバルク(内部)に存在する、ある1個の分子Bに着目します。この分子Bと、その周辺に存在するあらゆる分子との間には分子間力がはたらいています。
(関連?)【発表】素粒子物理学の根幹崩れたか、磁気の測定値に未知のずれ http://news.livedoor.com/lite/article_d%E2%80%A6素粒子物理学の基礎である「標準理論」で説明できない現象を捉えたと、米フェルミ国立加速器研究所が7日、発表した。素粒子ミューオンの磁気的な性質が、理論で想定される値から大きくずれていたという。 http://news.livedoor.com/lite/article_d%E2%80%A6 20210410livedoor N.
2 ミルトン・フリードマンは「社会工学上の誤謬、又は作為(Pseudo)」の典型
・・・"科学的"新自由主義こと"Pseudo(作為)"市場原理主義の教祖ミルトン・フリードマンの正体!・・・
(1)カナダの経済学者、George H. Blackfordのミルトン・フリードマン批判
Economists Should Stop Defending Milton Friedman’s Pseudo-science:George H. Blackford is former Chair of the Department of Economics at the University of Michigan-Flint. He received his Ph.D. in economics from the State University of New York at Buffalo. https://evonomics.com/economists-stop-defending-milton-friedmans-pseudo-science/
・・・George H. Blackfordの↑画像は、ttps://www.rweconomics.com/Biography.htm より。
・・・カナダの経済学者、George H. Blackfordはミルトン・フリードマンが「科学(物理学)と工学の根本的な違い」を作為で混同していると鋭く批判している。その批判の核心は、フリードマンが「現代の重力理論」を市場経済の動学エルゴンの動因「発現」の論理に援用していることを批判していることである。
・・・現代の数理経済学・数理財政学などを一言に括るのは困難だが、ごく大雑把に見ると例えば「世代間の個人消費の傾向、異時点・異地域間での資源配分のあり方、個人消費の決定、経済成長・税財制・年金等に関わる理論的な予測値等を、位相数学(トポロジー)、離離数学(非連続値を扱う)あるいは離散系力学モデルらに対応する様々な関数・方程式、有限差分法など数値解析法、又はゲーム理論や物性物理・同数学・確率論の応用など、非常に多様な動学的分析(静学の理論に時間のファクターを加えたリアルな経済動向(モデル)の分析)」を取り扱う」内容と言うことになるだろう。
・・・また、シュンペーターが提唱したとおり経済学には、静学(科学理論)的な分野(分担)と動学(社会工学)的な分野(分担)を併せ持つという特殊な性格(両義性)があるのは確かだ。しかし、だからといって「現代の重力理論」を前段(静学(科学理論)的な分担)の仮説の中で、その大黒柱(恰も万能の神の奥の手?)として援用したのは不可解(と言うよりPseudo、つまりミエみえの作為であり欺瞞そのもの)である。
・・・それは、たとえ現代の「落下体の法則」(仮説的な真空を落下する重力"等加速度"の法則)であっても、現実的には、空気抵抗の問題や風速など様々なファクターも考慮する必要があるからだ。いわば、その様々な外部パラメータの存在に因って重力の『時間反転対称性(関連する委細は“結語”で後述する)』は破れる可能性があり得る!?更に、上で述べたμm以下の極小スケールにおける重力の"破れ"の問題(大きな可能性)すらがある!
・・・数え切れぬほど多様なファクターが絡み合う自由経済市場(リアル日常の消費と需要がもつれつつ稼働する)はミクロ~マクロに跨るリアル&潜性両生産性の湧出源でもある。そして、そこに介在しつつ生きる"生身のオミクス生命個体内にはμm以下のDNAは無論のこと超極小スケールの未知の物質や“4次元以上の「余剰次元」”空間さえも潜むと考えられることに加え、ヒトを含む凡ゆる意味での多種多様な生命活動"に支えられてこそ成り立つリアル日常の場面で、その数理物理学の法則である、ある意味で独善的(or Pseudo)に理解された静的抽象論たる重力理論の援用「仮説」が終始一貫して罷り通るとは、とても考えられないのではないか?(重力加速度gを説明する↑模式図は、https://xatoblog.net/force-and-vectorより)
・・・つまり、その生身のオミクス生命個体の超極小スケールの内部環境は、多種多様な生命活動と超極小スケールの物質や未知の余剰次元空間で満ち溢れていることになるうえ、そこでは重力がほとんど存在しないか、あるいは余り大きな影響を与えていない可能性が高いのである。
・・・余談になるが、量子論・数学論の立場からヒトの思考や意識の特色を探り、それらを前提に「物質から精神が生じるさま」の説明を試みるR.ペンローズ(英国の数理物理学者、科学哲学者)は著書『心は量子で語れるか』(ブルーバックス)の中で、意識の生ずる場所として生体中の微小管(microtubule/真核生物の主要な細胞骨格の一つ、外径は約25 nm)をその候補に挙げている。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255 (↓微小管の画像はウイキより/1nm(nm:ナノメートル)=10の-9乗=10憶分の1メートル)
・・・言い換えれば、「重力が一般相対性理論(非ユークリッド空間/Cf.↓補足)の主な構成要素の一つであるとしても、経済市場には地球なる惑星球体上の"重力の等加速度"に相当する所与のパワー(一定方向に向かう直線的な牽引力としてのエルゴン・ベクトル)が存在すること」を大前提としたミルトン・フリードマンは、市場経済(市場における経済活動)における「リアル日常の消費と需要がもつれつつ稼働する、そしてリアル&潜性両"生産性"の湧出源でもあるヒトを含む凡ゆる意味での多様な生命の双方向の交流活動(マクロ~ミクロにおよぶ内外の自然エトノス環境での)に支えられてこそ成立する日常リアリズムの実相」ということを、敢えてバッサリと無視していることになる。
しかし、いったん<“科学的”(自称?)な動学理論たる市場原理主義>としてアカデミー経済学賞(1976)まで受賞してしまえば、こっちのモノ!という次第で、ミルトン・フリードマンは、現代における<主流経済学派のご本尊>として"今も安泰であり続け(DX=AI時代になっても、益々それは有効!と広く崇め奉られており)、只管、我が世の春を優雅に謳う"だけのように見える。
<補足>「特殊相対性理論、一般相対性理論」について・・・特殊相対性理論は、操作的な実験観測である「マクスウェル電磁気理論の対称性に依拠した、アインシュタインの『光の交信による現在”時間”』の測定(1905)」に基づく理論なので、「光の速さに近づくと時間が遅れる(速さは光速を超えることができない)」ことは、科学的事実として無視できない。一方、「リーマン(非ユークリッド)幾何(測地線の方程式)+(古典)力学+重力(重力場のアインシュタイン方程式)」に基づく一般相対性理論(発表/1915~1916)は演繹的な理論なので、それが科学的事実であることを確定するため様々な観測が続けられている(関連参照↓◆)。
◆アインシュタインはどこまで正しい? 検証が進む相対性理論/真貝寿明(大阪工業大学情報科学部教授)https://www.oit.ac.jp/is/shinkai/nishinomiya/2020nishinomiya.pdf
(2)米運用会社GMO創業者ジェレミー・グランサムのミルトン・フリードマン批判
・・・Robert Jeremy Goltho Granthamの↑画像は、https://www.bloombergquint.com/markets/2018/01/03/gmo-s-grantham-says-stocks-could-be-heading-for-a-melt-up より。
Robert Jeremy Goltho Grantham CBE (born 6 October 1938) is a British investor and co-founder and chief investment strategist of Grantham, Mayo, & van Otterloo (GMO)、 a Boston-based asset management firm. https://onl.tw/J8CNYSd
・・・端的に言えば、ミルトン・フリードマンの言葉「企業の社会的責任は1つだけで、それは利益の最大化あるのみだ!」は、真空中におけるマクロな重力"等加速度"運動のアナロジーを米国主流経済学派の金科玉条に祀り上げたという意味で、実に異常な、そして誤った信念(というより、それは狂った or 作為のある信念)以外の何物でもない!The Financial Pointer⋰@ジェレミー・グランサム:ミルトン・フリードマンの狭量)https://www.financialpointer.com/jp/post-17141/https://www.financialpointer.com/jp/post-17141/
シカゴ大学には2008年7月に、宇沢弘文の同僚にして天敵でもあったミルトン・フリードマン(Milton Friedman/1912 - 2006)の「新自由主義に貢献した市場原理主義」の業績を記念する「ミルトン・フリードマン研究所」が設立されている(当研究所設立の情報源:2009.1.9付・日本経済新聞)。(↑フリードマンの画像はウイキより)
ところで、そもそもDX(デジタルトランスフォーメーション)とは、その名付け親にとって何を指す言葉であったのか?(以下は、↓URLより一部をフィーチャーして部分転載するもの)https://monstar-lab.com/dx/about/digital_transformation/
・・・まず、DX(デジタルトランスフォーメーション)の論文(2004)を発表したスウェーデンのウメオ大学に所属するエリック・ストルトマン教授(Erik Stoltman)は<技術(科学)哲学の研究者>であり、そのDXの共同研究者であるアンナ・クルーン・フォルス(Anna Croon Fors)は同じウメオ大学の<現象学研究者>であることに留意すべきである。https://www8.informatik.umu.se/~acroon/Publikationer%20Anna/Stolterman.pdf
・・・つまり、スウェーデン発のDX(デジタルトランスフォーメーション)論は「ネオ・スウェーデンモデル/↓◆」および「リアリズム(オミクス生命論的倫理https://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6)」がベースであることに注意すべきなのだ。
◆日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理)に無知なスガ「Kook権力」の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民! https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/02/02/011339
そこでは、A「多様生態系の保守」とB「"リアル日常の幸せ"&"ヒトの仕事(適切な収入)の確保"」が最重視されており、AとBの視点(Fiduciary/リアリズム倫理)が欠けたDXでは「イノベーションの民主化」は進まない!とErik Stoltman、Anna Croon Forsの両氏は主張している(https://www8.informatik.umu.se/~acroon/Publikationer%20Anna/Stolterman.pdf)。 →経済全体に「DX」を/デジタル化は経済フレームを変え、イノベーション民主化が進む! 613日経 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1372104676221407232
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1372104676221407232
・・・因みに、経済産業省や各調査会社の資料でも、頻繁にDXという略語が登場しているが、なぜデジタルトランスフォーメーションの略が「DX」なのか?デジタルトランスフォーメーション=DXの理由は、「Trans」を「X」と略すことが一般的な英語圏の表記に準じているためである。
・・・つまり、この“進化したデジタル技術を社会の隅々まで隈なく浸透させることで人々の生活をより良いものへと変革すること”を含意する「Digital Transformation」を直訳すると「デジタル変換」という言葉になるが、“変換”というよりも“変革(人間社会の革命的な変化)”という言葉が鍵になる。
(関連)水のイマージュ2 @tadanoossan2/311フクシマ過酷事故の事実(事実上、311フクシマ原発過酷事故は未だ終息していないという目前の現実)を無視し再稼動(汚染水の海洋放出)ありき!の一本鎗で国民の意思を捩じ伏せる菅自民政府の流儀は科学の真理と工学の違いを作為(Pseudo)で混同させたM・フリードマンの偽装科学的"市場原理主義"以上の<リアリズム倫理(Fiduciary)と人道を全否定する極めて悪辣な人災(政治的構造災)>だ! →「政府が汚染水を海洋放出する方針を固めた!」汚染処理水処分「近日中に判断」 菅首相表明、関係閣僚会議開催へ407 毎日/2021年4月7日·Twitter Web App https://twitter.com/tadanoossan2/status/1379800450363392000
(関連)望月衣塑子さん @ISOKO_MOCHIZUKI /311事故から何も学ばない政府と電力会社。このツケはまた必ず日本にくるだろう、福井県内にある運転開始から40年を超えた関西電力の原発3基が再稼働へ、前例ない運転延長は「40年ルール」をなし崩しにし、政府が掲げる「脱炭素社会」の実現を名目に今後当たり前になる可能性 2021年4月26日·Twitter for iPhone https://twitter.com/ISOKO_MOCHIZUKI/status/1386669200278581249
(関連/要参照)◆市場原理主義(ミルトン・フリードマンら)の天敵!宇沢論文「不均衡動学」の理論 https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/03/08/233246
・・・
3 愈々、本格的な「AI‐IOT化、i.e. DX化の時代」であるからこそ再注視すべき『人間の壁』の問題
すでに「プロローグ」でも述べたのだが、DX時代であるからこそ我々が益々重視すべき課題は、『AI『人間の壁』:AI高度「リーン(lean)生産性 VS 伝統労働生産性』を一体の問題として、即ち科学・科学技術に潜む本来性から必然的に両者間で生じる大格差の問題を“ヒトのリアル日常において遍く縮小化し、究極的にはそれが如何にすれば解消できるか”を考えるべきだ!ということであった。
しかし、現実は未だそのような考え方に追いついていないようだ。例えば2021年4月19日の日本経済新聞は一面で「中途採用10年ぶり伸び 今年度16%増 コロナ下の生き残りに危機感で DX人材底上げhttps://twitter.com/nikkei_business/status/1383880752249462785」と“手放し=全く無批判な姿勢”で報じており、合わせて「きょうのことば/デジタルトランスフォーメーション」では、DXの求人が伸びているため外注で間に合わずデジタル事業をジョブ型雇用で内製化するというユニークな動きが出てきた!ことも報じている。
専門の技術・知識に期待することを謳う「ジョブ型雇用」の実態は必ずしもバラ色とは言えきれず、「DX人材の底上げ」でAI高度「リーン(lean)」生産性のレールが敷かれると」同時に、一歩誤ればトータル日本企業の非正規雇用化(主にミルトン.フリードマンの“科学的”市場原理主義のテーゼに因る)のトレンドと相まって、DX化が更なる大格差拡大のタネを撒くことにもなりかねないと思われる。
(関連Tw)水のイマージュ2 @tadanoossan2/今こそDX化の両義性(リーン高度生産性 Vs 大格差拡大)を視野に入れることが最肝要ではないか!? →デジタルトランスフォーメーションとは ITで企業変革/外注で間に合わずデジタル事業をジョブ型雇用(アンチ終身:一歩誤れば使い捨て?!)で内製化する動き! 419日経、午後5:44 · 2021年4月19日·Twitter Web App https://twitter.com/tadanoossan2/status/1384065325063303183
(参考) ジョブ型雇用とは?
だからこそ、プロローグでも述べたとおり<「ビッグデータ型「AIディープラーニングの予測値」が閉鎖系(ヒトを含むリアル生命とは全く異次元の膨大な形式知世界、電子記号・暗号化された抽象体系、リアル・マネー可動態/あくまでも"科学的であることを詐称(or自称)する新自由主義"公認"の"見せ金"づくりの道具的な役割りに止まる存在)であるため、必然的に両者、つまり「AI高度リーン生産性Vs伝統労働付加価値」の間には大きな断絶が生じており、それがDX=AI化で更に急拡大しつつある!>という、実に恐るべきアンチ・ヒューマンな現実を我々は再度直視するべきだと、考えられる。
更に、以下ではこのような視点とは些か異なる角度から、例えばミルトン・フリードマンの如く自らの理論は“紛れもなく真に科学的である”と、いかにも尤もらしい修飾口調で表現される経済理論などの場合、特に十分注意して、より疑い深くそれを再点検し良く検討すべきと思われるが、そのため必須と見るべきにもかかわらず、一般的になかなか気付き難い切り口と思われることについて触れてみる。
AI‐IOT化、DX化がもたらすパラドクスである<『人間の壁』(『AI高度生産性Vs伝統労働生産性』の対峙がもたらす、生産性の決定的な大格差/CF.↓★)>の核心には、例えば「ハミルトンの原理(最小作用の原理、変分原理)」など<科学「知」の真理>に関わる解釈上の混乱が潜むと考えられる。
★今や日本はAIロボ『人間の壁』経済(第4次産業・AI革命)に備えつつ“社会の茎”の発想による新しい形の「マクロ経済&金融」への展相が必須!https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/124628
例えば、「ハミルトンの原理」(委細後述)が代表する物理・数学・科学的な諸法則がストレートに「大格差という断絶」(人間の壁)をもたらす訳ではないが、もし仮にその可能性が些かでもあると思われる場合には、科学などは殆ど無縁と思いつつリアル日常で生きる一般のヒトであっても、安易に、その<自らの「視座の牢獄=“科学的”を謳う政治的・権力的な作為の空気に無関心である自らの“怠慢”な意識状態」>に留まるべきではないと考えるべきだ。
むしろ、「健全な自由意思(精神)」を持つヒト(自然環境内における“選言論”の意味で健全でかつ穏健な精神を持つ生物個体でもある!)は、敢然として生命(オミクス生命論)の論理を武器としつつ、その<科学的に過剰で胡散臭い“修飾”(例えば、ミルトン・フリードマンが援用した重力理論のケースは只の修飾ではなく、Pseudo(作為)であった!)>と闘うべきだ。同時にそこでは「リアリズム倫理(Fiduciary)=地球上の自然(多様性)の最大限の尊重と殆ど同義」の忘却を許すべきではない。
<注>“選言論”について・・・これは既出だが、重要なので繰り返しておくと、それは「ヒトの周辺にある多様性に満ちた凡ゆるエトノス自然・生命・歴史・文化環境を言葉の意味に先行させて最重視する言語学上の立場」である。
・・・
それどころか、重力理論を援用した動学論である「科学的な市場原理主義」こそが「高度機械生産性Vs伝統労働付加価値」で生ずる大格差のジレンマを解消する唯一の方法であると主張したミルトン・フリードマンの如く、自らの狡猾な意図を巧妙に隠蔽しつつ最優先させて、『人間の壁』を、恰もそれこそが新自由主義的な民主主義への貢献の証だ!との倒錯的な論調へさえ狡猾に擦り変えてしまうようなことは、そもそもリアリズム倫理の観点からも許されるべきではない。そして、このことは「自然・人文両科学の垣根を越えた、広義の科学アカデミズムの軍事利用の問題(菅政権下における日本学術会議マターの見え透いた核心!)/Cf.↓◆」にも通底するものと理解すべきであろう。
◆97歳元会員、ネットで集めた6万人超の署名提出 学術会議任命拒否「不合理の極み」2021年4月19日 20時21分東京新聞、https://www.tokyo-np.co.jp/article/99167
◆「科学が政治の召し使いになる」 学術会議問題、学者ら声明
2021年4月20日 20時07分 東京新聞(共同通信)https://www.tokyo-np.co.jp/article/99371
・・・
そのような観点からすれば、市場原理主義の“科学”的理論でノーベル経済学賞まで受けたミルトン・フリードマンの<主流経済学派の「Pseudoアカデミズム化」>ということへの重大な責任は、偏に、大自然の法則との適切な対峙に必須な何か(科学哲学上のetwas=科学そのもの)を冷静に凝視し、かつそれと共感し得るヒトとしてのDasein(ハイデガーの実存)を捨て去っていることに因るものだと見るべきだろう。
それは、<冷静で客観的な知恵、特に“生命の土壌である自然環境と社会環境に広く遍く共鳴しつつ潜むと思われる暗黙知の意義!”と、”ヒトの生命、および内外に拡がるミクロ・マクロ空間という壮大な世界!”の両視座を絶えず忘れることがない、いわば地球の自然環境とヒトの文化の保証人(“変異の閾値”の保証人!/委細後述)たるリアリズム倫理(Fiduciary)の視座>を、いざぎよく皆諸共にゴッソリ葬り去ろうとする、極度に傲慢化した人間側の”誤った態度と心構え”にこそ大きな原因があると考えられるからだ。
従って、「ハミルトンの原理」は、マクロ・ミクロの自然界の「運動」について科学的(数学的・物性物理学的)」に、一応は普遍的・包括的に定式化できるかのように見えるものではあるが、安易にそのことを「伝家の宝刀」視して<善悪>あるいは<有意性の有無>ら諸価値に関わる価値観と直接接続しようとする(換言すれば、Fiduciaryにも勝る万能の価値判断の超然たる座標と見る)なら、それは決定的な誤りであろう(https://onl.tw/gkVrCaL)。
4 ハミルトンの原理(最小作用の原理、変分原理)を応用するため必須と見るべき「変異の閾値」の問題
(そもそもハミルトンの原理(最小作用の原理)とは?)
ハミルトン(Arthur Cayley:Sir William Rowan Hamilton/1821 - 1895)は19世紀のイギリスの数学者である。ラグランジュ運動方程式は古典力学系を記述するのに便利な運動方程式であるが、その中枢論理である『ラグランジュ関数 L の時間積分(時間当たりの変化量、つまり関数を時間で積分すること/↓*)』が最小になる(作用量という汎関数の時間積分が最小になる)、というのが「最小作用の原理」である。力学以外の物理法則もこの形で書かれると考えられており、面白いのは量子物理学でも同じことになるということだ!(Cf.↓◆1)
・・・↑上の画像、Sir William Rowan Hamiltonはウイキより・・・
*
◆1 経路積分による量子力学と物性論における幾何学的位相(総合科目「物理と数学3」)東京大学大学院工学系研究科 物理工学 初貝安弘(現、筑波大学大学院教授)
http://rhodia.ph.tsukuba.ac.jp/~hatsugai/modules/pico/PDF/lectures/Hatsugai-Geom.pdf
・・・(参考)初貝研究室 筑波大学大学院数理物質科学研究科 物理学専攻、http://rhodia.ph.tsukuba.ac.jp/~hatsugai/modules/pico/
<補足>経路積分とは・・・量子系で素粒子などの運動の様子を求める方法はいくつか存在するが、その一つとして経路積分(リチャード・P・ファインマンが考案した量子力学の理論手法)による方法。経路積分の数式では始点と終点を結ぶ経路は無数にかつ大域的にトポロジー(位相)分布しているが、それら無数の経路を計算上で合成すると求める結果(極値)となる。https://onl.tw/Xfmw9Zv
・・・以下は。[ハミルトンの原理]についての補足的な説明。・・・
・・・イギリスの数学者・物理学者のW・R・ハミルトンが1834年に与えた力学物理の原理。力学系の実現される運動は、運動の経過全体に関するある量が極値(極小値)になっているという条件によって特徴づけられていることを示した原理。この原理に基づいて運動を決定できるが、それはニュートンの運動方程式によるものと同等である。後者は微分形式で時々刻々の運動をその直前の状態から因果的に決定するのに対し、この原理(ハミルトンの原理)は運動全体にわたる積分量に対して条件づけるので、あたかも運動が合目的的に起こっているような表現になっているのが特徴である。例えば、力が重力等ポテンシャルから導かれる場合、運動の始まりと終わりの時刻の間の経路に沿ってラグランジュ関数の値が定まりその時間積分が得られる。経路を仮想的に微少変化させるとこの積分値も変わる。ハミルトンの原理は、これらの積分値が実現される運動に対して極小値をとるということを述べた変分原理である。変分の際、独立な変分量のとり方によってラグランジュやハミルトンの方程式を導くことができ、また力学以外の物理法則もこの形に書かれるものがあり、包括的な定式化と考えられる。[参照/日本大百科全書(ニッポニカ) ]
https://kotobank.jp/word/%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86-116336
(“変分法=最小作用の原理”の応用)
・・・外部環境条件等しだいで極値(一般的には最小値・最大値・プラトーを意味する)の有意性が変化する「最小作用の原理」(変分法)を工業技術(応用工学・情報工学/最適制御・電子デバイス・生体機能素子・etc)・社会工学(経済動学)等へストレートに応用するのは短絡!・・・
<事例と留意点>【外部環境条件等しだいで極値(最小値・最大値、停留値)の有意性が変化する最小作用の原理を工業技術(応用工学・情報工学/最適制御・電子デバイス・生体機能素子・etc)・社会工学(経済動学)等へストレートに応用するのは短絡!】最小作用の原理では、力学系の運動は作用積分を最小にするような軌道に沿って実現されると主張する。しかし、この最小という言葉使いは誤解を招きやすく、例えば「調和振動子(単振動は調和振動ともよばれ調和振動をする質点やその他の力学系が調和振動子/https://onl.tw/Mw6ADav)の場合には時間範囲を半周期よりも大きくとると運動方程式が与える軌道は作用積分の極値となるものの最小ではない」ことが行列の固有値理論(自由度系の運動方程式)から容易に示せる。/日本応用数理学会 2020年研究部会連合発表会 2020年3月4日、https://na.cs.tsukuba.ac.jp/mepa/?page_id=1734
(変分原理/数学における最小作用の原理)
変分原理(変分法/変分解析学)は「汎関数」(定義域が関数の集合であって、値域が実数または複素数の集合である)に対する微分(関数による関数の微分)のことである。例えば、関数(x)の実数値関数I(φ)を最小にする(x)を求めよ、という形の問題を解くのが変分法である。因みに、汎関数 は「関数(関数の集合)の関数」のことであるが、それは定義域が関数の集合であって、値域が実数または複素数の集合である。なお、値域とは、関数[数式]で[数式]が定義域内のすべての値をとるときの、[数式]の値全体のことを指す。
汎関数の値はそれが引数(外部パラメータ)としてとる関数によって変化する。事例を挙げると「フェルマーの定理」では、「光は目的地まで最短時間で到達できる進路を選ぶが、その光学的長さは間にある物質によって決まる」ことを述べており、これは力学系(『重力』等のを影響を受ける)における最小作用の原理に対応する。(委細は、http://hooktail.sub.jp/mathInPhys/variations1/、https://onl.tw/VtgQkkgなどを参照乞う)。
以上から理解できるのは次のようなことではないか?と考えられる。
つまり、変分法(数学という抽象空間における最小作用の原理)そのものがニュートン力学系の重力の影響を受けることはあり得ないが、例えばそれが「プロローグ:"真の科学的とは何か?"を考えるための重要な視座/事例2」で取り上げた<極小曲面としての石けん膜>のケースのように、観察の対象が置かれたリアルな日常空間(それが巨視的か、微視的か?)においては「変分原理(最小作用の法則)」といえども、周辺環境ないしは媒介物質(このケースでは水)ないしは重力などから何らか(様々な外部パラメータ)の影響を受けており、その結果として<一定の「変異の閾値」内での釣り合い>を表現するイメージや物理的な観測数値(リアル認識可能な)となって出現する、ということであろう。
この点が分かれば、既にそのあり方に大いに“疑義”をはさみ、再三批判しつつ取り上げてきた「ミルトン・フリードマンの“重力理論(物理数学の論理)を援用した市場原理主義”なるもの」が如何に傲慢で高を括り(全人類を見くびり)、かつ人を食った代物たるPseudo(作為的)な経済理論であるか!がスッキリ理解できるのではないか。
余談になるが、フリードリヒ・ハイエクの核心にあるカタラクシー(自生的秩序論/Catalaxy)は、自然環境に内在する暗黙知(自然計算/委細後述)と市場原理を同一視するという誤謬に嵌ったのでは?と思われるが(そもそもはオーストリアン伝統のオミクス生命論的な発想だったと思われるが!/Cf.↓注)、究極的にはリバタリアニズム(完全自由原理)に因る「市場」万能主義、いわば流石のアダム・スミスも想定しなかった完全「市場原理=虚構の完全合理主義」なる<非リアル完全(超然?)抽象の世界(アプローチは異なるがミルトン・フリードマン同然の非現実的・非人間的世界!)>に回収されたと考えられる。
<注>市場には「自生的秩序」(spontaneous order)があると見て、ハイエクはそれをカタラクシー(Catalaxy)と名付けた(ハイエクの造語)。が、この「市場で何かが自生する」という見方はミーゼス(Ludwig H. E. von Mises/1881-1973/オーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者で現代の自由主義思想に大きな影響を及ぼした人物、ハイエクはその弟子の一人)の頃からオーストリアンの核心に明確な姿を現した伝統的な考え方であった。
・・・
しかも、もしそうだとすれば、「DXによるAI高度リーン生産性の時代」を喧伝し始めた今に至っても、未だにこれ(Pseudo(作為的)な経済理論(ミルトン・フリードマン、またはハイエクら)に因る市場原理主義と新自由主義/ネオリベラリズム)をまるで世界に吹き渡る神風の如く信奉し続ける現代の主流経済学派、およびそれを篤く支持する主流の政治権力者(民主主義か、独裁か?の体制の如何を問わず)たち、そして世界を主導する肝心の「今や時代遅れとさえ見える現下の“市場原理主義(新自由主義)”に取り憑かれた資本主義経済」の正体とは、一体、何なのだろうか?
その「現下の資本主義経済の正体」の全体像を更により精緻に見定めるのは当記事の手に余る問題であるが、全世界的な新コロナに関わる予想外の深刻化もなんのその!という有様で、今や「DX(デジタル・トランスフォーメーション)さえも貪欲に飲み込みつつあるミルトン・フリードマン流の新自由主義(市場原理主義/科学知に関わる、超然とした社会工学的な作為(Pseudo)の人災!)に感染し、その症状が激化した資本主義の暴走は止まることを知らずとなっており、ついには「民主主義そのもの」の危機が叫ばれるまでに至っている(↓★)。
★民主主義の危機(上)コロナ禍、弱み浮き彫りに:ヤシャ・モンク ジョンズ・ホプキンス大学准教授20210419日経/二極化(大格差・政治的分断)や停滞(弱者問題!?)放置すれば国家存続の危機!2021年4月19日 2:00 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO71071890W1A410C2KE8000/
かくして、愈々、[(プロローグ)DX時代にこそ重視すべき【AI『人間の壁』とAI高度「リーン(lean)」生産性】の問題‐(2)AI高度「リーン(lean)」生産性を只の幻想で終わらせぬため必須となる二つの視点]でも触れた、【「変異の閾値/不均衡進化論」(古沢 満)と「リアリズム倫理/社会的共通資本」(宇沢弘文)の問題】が重用な課題であることになる。
5 「不均衡進化論」と「不均衡動学(社会的共通資本)」が共有する『変異の閾値』の問題
(古沢 満『不均衡進化』における『変異の閾値』の問題)
・・・それはゼロサム「赤の女王」に抗いつつDNAがほつれて生ずる「二本の鎖」から派生する問題である。・・・
<注>ゼロサム「赤の女王」・・・「赤の女王」は、いわばホッブスのリヴァイアサンを「自然、政治、経済、社会、文化」の全般にわたり作用する不可避の共通原理と見なす考え方である(『自由の命運 上、下: 国家、社会、そして狭い回廊』(早川書房)の著者、ダロン・アセモグルと ジェイムズ ・A. ロビンソンによる)。それを放置すればゼロサム化するのが必然なので、これに薄皮一枚で必死に抗いつつ生き続ける全生命の一環たるヒトの社会でも、必然的に永続的な薄皮一枚の「この意味での努力」への傾注と持続が厳しく求められる。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449
・・・ 分子生物・進化学者である古澤 満氏(発生学の進展に大きな貢献をしている研究者/元・第一製薬、(現第一三共)・分子生物研究室長)の『不均衡進化論』-筑摩選書-)によれば、『元本保証の多様性創出の法則』が生物界の底に流れていると推測(仮説)されるが、DNAから社会に至るまで、生命現象のあらゆる場面では“保守”と“革新”の間の葛藤≪ゼロサムの赤の女王との闘い≫(非常に雑駁な比喩で言えば、恰も≪パウリの排他原理/↓★≫から派生する“半導体のフェルミレベル(電子の化学ポテンシャル)をめぐる絶縁体(価電子バンド帯)と導体(金属/伝導バンド帯)の抗争”の如き)が起こっていると考えられる。
★パウリの排他原理・・・1つの原子内では、2個以上の電子が量子数で表されるエネルギーやスピンなどが同じ状態を同時にとることはないという原理のこと。https://www.syero-chem.com/entry/2019/06/14/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%81%AE%E6%8E%92%E4%BB%96%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%81%A8%E3%81%AF
(不均衡進化論における『変異の閾値』の役割)
【参考動画】DNA replication - 3D
一般に生物が進化する途上での変異の大部分は、DNA複製の過程で生じる。そして、一本のヒストン(DNA を核内に収納する役割の塩基性蛋白質)に巻きついた二本のDNAがほつれて複製されるとき、「二本の鎖」のうち一方は連続して複製される「連続鎖」となるが、もう一方は複製酵素の特異性で連続鎖と同じ方向へ鎖を伸ばすことが不可能なので、敢えて断片状に複製されたもの(岡崎フラグメント)が結合され一本になり複製が完成するが、このもう一方が「不連続鎖」と呼ばれる。
そして、岡崎フラグメント(DNA複製の時に形成される比較的短いDNA断片、https://www.igakuken.or.jp/genome/wp-content/uploads/2019/10/1c056e160f965ab7556635958583f615.pdf)がある「不連続鎖」では、遺伝子と形態の関係が不明確であるので分子レベルでは中立説(木村資生:中立進化説/機能を持たない偽遺伝子の役割り=サバイバル・オブ・ザ・ラッキイスト(Survival of the Lucchiest/平等主義)https://www.brh.co.jp/research/formerlab/miyata/2005/post_000003.php)、形態レベルでは総合説として棲み分けが行われるが、形態に影響する総合説(多様なDNA修飾レベルの諸影響が視野に入る、http://www2.biglobe.ne.jp/~oni_page/Evolution/s0070.htm)の作用と細胞へ影響を与える多様な外部環境(ミクロ or エトノス、別に言えばエピジェネティクスまたはオミクス)との共鳴・協調・競合が窺われるhttp://goo.gl/tQGcAY)。
このうち「連続鎖」は変異の発生が極めて小さく、つまり保守的である(進化心理学上での伝達される文化を連想させる!/Cf.↑画像:文化がヒトを進化させた:人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉ジョセフ・ヘンリック 著 今西康子 訳-白揚社-)。http://www.hakuyo-sha.co.jp/creature/secret-of-our-success/
一方、「不連続鎖」は「連続鎖」合成に比べてDNA複製プロセスがかなり複雑になるため作用する酵素の種類数も多くなり、それだけ変異の発生可能性が大きく、つまり革新的・学習的であるということになる(進化心理学上での誘発される文化、を連想させる!/Cf.↑画像:ditto)。
また、「連続鎖」での変異の発生が比較的大きいときでも(とはいえ、それは相対的に小さいものである場合には)、総体的に諸環境の大きな激変がない限り、やはり変異発生の比較的小さい「連続鎖」側により現状がほぼ維持(保守)・継承される。
他方、もし可なり大きな環境変動が発生した場合には、変異発生が大きくなり易い「不連続鎖」側で変動に合わせる形で<変異の閾値>を作用させて問題の解決を図る(本源部分も保守しつつ変異に併せ全体の割り当て値の再配分等を伴いつつ進化プロセスを次世代へ繋ぐ)ということになる。
つまり、「変異の閾値」とは遺伝情報に関わる一定数値の範囲のこと(その割り当て値と配分量などには限界があるということ!)で、変異がこの「変異の閾値」を超すと遺伝情報は融解し<カオスの縁(orカオスの海)>に沈む。
恐ろしいことだが、これはアダムスミス(そもそも、それは誤解されたアダムスミスと言うべきだが!)、あるいはネオリベラリズム(新自由主義)に因る、市場原理主義への十把一絡げの愚かな丸投げ行為の如き自然選択、つまり神(or赤の女王)の手に委ねられることとなる。言い換えれば、この状況はブラックエレフアント(主に自然災害等の予知不能な超リスク)の発生による、一種のシャッフルに委ねられるため制御不能で大きなダメージを受けるか、我われ生命個体の死を意味することも連想させられる!
しかし、古澤満氏は、そう簡単に遺伝情報が<カオスの縁(orカオスの海)>に沈む訳ではなく、自然選択(神の手)の役割とともに、木村資生氏の「中立的な意味での自由原理」(中立進化説/Cf.↓◆)、あるいは「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用の可能性が特に重要だと見る。そして、古澤満氏は、この「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用を『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説(細胞エトノス環境内でのネオ・ラマルキズム?/Cf.↓注)と名付けた。
◆宮田 隆の進化の話:パラダイムシフト:分子進化の中立説、https://www.brh.co.jp/research/formerlab/miyata/2005/post_000003.php
<注>ラマルキズム( Lamarckism)とは?
・・・J.ラマルク(ブルボン朝~王政復古期のフランスで活躍した博物学者)の考えを修正した進化学説。ダーウィンの進化学説が提出されたのちもラマルク思想が復活した。その説の中で「獲得形質の遺伝を主張する立場」が代表的であるが、より根本的には「生物にみられる前進的発達の生命力(一種の潜性イノヴェーション的な、又はエトノス・オミクス環境論的な、あるいは選言論(説)的な生命論理のジャンル?)を進化の推進力と考えようとする思想」を意味する。(https://kotobank.jp/word/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0-111150)。
<補足>【不均衡進化理論とカオスの縁 - 京都大学学術情報リポジトリ:古沢 満】・・・変異率が上がると"カオスの縁 "に至り、生物は最大限適応進化する。 「変異の閾値」を越すと情報は "融解 "し、死に至る。生物は非常に際どい存在だと言 うことになる。一方、図 3(b)(↓)に示す不均衡変異の世界では、変異の閥値が大きく上昇するので、高い変異率においても、生物は遺伝情報を失うことなく高速に進化できる。過激な表現をすれば、平衡状態において、熱湯の中に浮かぶ氷が消えたり現れたりしているのである。生物は自ら変異率を調節 して、秩序とカオスの世界を自由に移動できるしたたかな存在であると言える。生物はカオスを乗り越えて進化するのである。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/97847/1/KJ00004705863.pdf
・・・ このDNA次元での『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説を正確に理解するには、古澤満氏が種の進化過程における遺伝情報の流れ方について想定した二つのモデル、「均衡変異モデル(従来型ダ―ウイニズムのセントラルドグマ/近年までの分子遺伝学では、専ら遺伝における情報の流れはDNAを翻訳して形質が発現する一方通行であるとされていたことを指す)」と「不均衡変異モデル(Disparity Evolutionの根幹)」の違いを知る必要がある(Cf.↑補足“全文読”+画像)。
ところで、繰り返すが古澤満氏は『不均衡進化(Disparity Evolution) 』のことを「元本保証された多様性の創出」とも称していることに注目すべきだろう。これを平たく表現すれば、「保守すべき価値(価値観)および人間としての最低限の権利、歴史・文化、自然・生態・生命環境、モノ、情報などは確実に守りつつ、大きな環境変化にも耐え得る革新性を何時でも発動できるように、常時、アジャイルな姿勢でスタンバイすべきであり、又そのようなスタンバイを可能ならしめる知恵と制度をメンバー間で共有し、かつ子供・若者・子孫等へ確実にそれを継承するためのリアル経済制度(エネルギー通貨をモデルにする)と教育こそが肝要」だということになる。
<補足>"カオスの縁 (edge of chaos)"についてのトリビア
・・・そもそも"カオスの縁 "という用語は、クリストファー・ラングトンが発見し、ノーマン・パッカードが名付けた「セルオートマトン」( cellular automaton/ 格子状のセルと単純な規則による、離散的計算モデル)において「振る舞いが秩序からカオスへ移るようなシステムで秩序とカオスの境界に位置する領域のことを指す。
・・・この問題は、複雑系や人工生命、生命の進化などの研究分野で注目されてきた。また、理論生物学においてはスチュアート・カウフマンによる、生命の発生と進化には自然淘汰の他に自己組織化が必要であり、進化の結果、生命は「カオスの縁」で自生するという仮説が知られている。https://www.weblio.jp/content/%E3%82%AB%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%B8%81
・・・ただし、「セルオートマトン」と「微小構造モデリングでの生命創生」の間には、「リアル3次元空間での生命活動/≒ in vivo」←→「位相抽象空間での自生的な振る舞い/≒ in vitro】」の絶対的な断絶(リアリズムの意味での)があるのではなかろうか?
(宇沢弘文『不均衡動学』のベースとなる社会的共通資本の概要)
宇沢弘文は、次のように説明している。まず概念的には、以下の三つ(イー1、イー2、ロ)に纏めることができるが、数学と言語は、「(ロ) 制度資本 : 教育、医療、金融、司法、文化」のカテゴリーに入る。
ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置.
社会全体にとっての共通の財産であり、それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により、専門的知見と職業的倫理観にもとづき管理、運営される.
一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を保ち、市民的自由を最大限に確保できるような社会を志向し、真の意味におけるリベラリズムの理念を具現化する.
具体的には、以下のように類型化できる。
(イー1)自然環境 : 山、森林、川、湖沼、湿地帯、海洋、水、土壌、大気
(イー2)社会的インフラストラクチャー : 道路、橋、鉄道、上・下水道、電力・ガス
(ロ) 制度資本 : 教育、医療、金融、司法、文化(倫理・科学等)
・ この分類は必ずしも網羅的ではなく排他的でもないあくまで社会的共通資本の意味を明確にするための類型化である
・ それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により、専門的知見と職業的倫理観(フィデューシャリー(fiduciary))にもとづき管理、運営される。
・・・更なる<宇沢弘文の『不均衡動学』>については下記◆を参照乞う・・・
◆日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理)に無知なスガ「Kook権力」の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035
(宇沢弘文『不均衡動学』の意義)
ところで、我々はあの古澤満『不均衡進化』論、つまり「元本保証された多様性の創出」が、まさに宇沢弘文『不均衡動学』が意味することにほぼ重なるということに気付くべきであろう。
それは、DNA周辺の「細胞」環境を含む全ての体内環境を体内エトノス、あるいはオミクス環境と見立てることも可能な訳なので、そのような観点から見れば、いずれ人間の内外エトノス環境を統一的・統合的に説明し得る「ネクスト・ステージの伝統文化の進化、あるいはネオ資本主義論」などの新たな展望が、AI研究、宇宙物理、自然哲学ら諸科学の進化・深化と相俟って実現することになるのは必然だと思われるからだ(否、必ずやそうならねばならない!)。
ところで、「独立行政法人日本貿易振興機構・アジア経済研究所」レポート(↓★)によると、経済活動の地理的分布を分析するための理論として1990年代以降において、空間経済学(spatial economics/新経済地理学とも呼ばれる)が急速に発展し、経済学の新たなフロンティアとして注目を集めている。
そして、「この空間経済学は、従来の経済学の中で必ずしも上手く扱われてこなかった経済活動の地理的な側面に注目した経済学の新しい分野であり、そこでは経済活動が特定地域に集まろうとする「集積力」と周辺地域に分散しようとする「分散力」の相互作用で経済活動の地理的分布が決定されると考える訳だが、代表的な空間経済学のモデルは、スタンダードなミクロ経済学に「輸送費」「規模の経済」「多様性選好」の3つの要素を取り込んだもの」と、定義されている。
そこで、この空間経済学という考え方が発生するまでの経済史の流れ(特に、アダムスミス、シュンペーター、ロイ・ハロッド、ジョーン・ロビンソンそして宇沢弘文の不均衡動学へと至る、日々に作動する国民の日常を適格に視野に入れた)を遡って見れば、敢えてそのように再定義せずとも、そもそも従来の「スタンダード経済学」それ自体が「経済空間」なる仮説的空間であったとも考えられるだろう。
つまり、そのような視点で見ればシュンペーターの静学・動学経済学(イノヴェーション論の前提となる画期的な発想で、その思考の嚆矢はロイ・ハロッドに遡る)も、あるいはミルトン・フリードマン(重力理論援用の科学的?経済理論)ないしはハイエクの市場原理主義(カタラクシー/自生的秩序論)にしても、それらは何れも「経済空間」についての仮説を述べたものと理解できる。
ところが、「主流経済学」の面舵と推進力を握るミルトン・フリードマンないしはハイエクの市場原理主義の両者は、何れもが極端な、そして“その過激さのあまり、殆ど暴力的とさえ”見える自由原理主義(新自由主義、i.e.リバタリアニズム)である。
このため、[DX=IOTで益々ぶ厚くなるAI=Web機械システム型"人間の壁"!、いわば「AI高度リーン生産性Vs伝統労働価値」起因の大格差は只の"AI構造災"ならず、重力理論・変分原理ら科学知の根本の理解に関わる社会工学的な作為(Pseudo)の人災である!/←当記事の表題!】という、実に恐るべき体たらくとなっているのは既に述べてきたとおりである。
そして、最も広い意味では、その「経済空間」といえども、それは地球環境そのもの、換言すれば、それは紛れもなく「自然・生命・文化エトノス環境」の一部であると理解すべきであろう。また、宇沢弘文の『不均衡動学』はジョーン・ロビンソンの着想であった動学論を更に深化させ、より客観的に経済空間を観察し、数理論的に緻密に描写・説明した)ものである。
・・・更なる<ジョーン・ロビンソン(Joan Violet Robinson/1903 - 1983/英国の経済学者、ケインズサーカスのメンバー)>については下記◆を参照乞う・・・
◆(再録)日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理)に無知なスガ「Kook権力」の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民!https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035
(『不均衡進化』と『不均衡動学』が共有する『変異の閾値』の調整とリアリズム倫理の問題)
・・・意外にも「科学とリアリズム倫理」の距離は近い! et 「科学がもたらす不均衡を調整するリアリズム倫理」の役割への期待!・・・
先験的な「ジョーン・ロビンソンの動学論」を更に深化させ、より客観的に「経済空間」を観察し、数理論的に緻密に描写・説明した宇沢弘文『不均衡動学』が研究対象とする領域は、既述の「(イー1)物価・賃金水準の不安定な上昇と失業との必然的な共存関係(これは市場および市場周辺の外部(厳密に言えば内外)環境であり広大な“オミクス自然・生命・文化環境”と絶えず共鳴し、かつそれらと常に相互浸透する領域!)、および(イー2)金融・政治・行政(特に公共選択(政府)がリアリズム倫理上の重い責任を負うべき分野)」と、
「(ロ)自然環境・公害・福祉・厚生・文化などに関わる諸現象(これらは殆どが個々人の“血肉&生命”の一部と化しているため、リアル日常において日々に消耗し、あるいは劣化(エントロピーが増大)し続ける“資源環境”的な存在)、その意味で先ず最優先に調整の対象と見るべき『変異の閾値』の在処たる『社会的共通資本』」の、三つということになる。
なお、述べる順序が逆となったが、「市場および市場周辺の外部(厳密に言えば内外)環境であり広大な“オミクス自然・生命・文化環境”と絶えず共鳴し、かつそれらと常に相互浸透する領域」である『(イー1)物価・賃金水準に関わる分野』も、(ロ)自然環境・公害・福祉・厚生などに関わる領域と共に、それは自然環境および生命環境との関わりが特に深いので、不均衡動学の『変異の閾値』の対象領域として、特に明確に理解すべきである。
言い換えると、類推的(analogical)に見れば宇沢弘文『不均衡動学』の対象たる(イー1)は<古沢 満『不均衡進化論』の“多様性と付加価値が創出されるべき” 部分>に相当するものであり、同じく宇沢弘文『不均衡動学』の対象(ロ)は<古沢 満『不均衡進化論』の“元本保証されるべき”部分>に相当することが理解できることになる。
つまり、特に(ロ)の社会的共通資本については、そもそも❝それは既にひとたび投資され❞たものが多いため、その殆どは企業・家計・個人らの内部で蓄積されているものであり、いわば個体(個性)の持続のため血肉化し希少化した(尊厳視されるべき個々人の人間性の一部と化したものと見るべき)資源である。言い換えれば、それはオミクス生命論の個体・個性部分に重なるものと考えられるので、基本的に保守すべき対象(元本)としての性質が強いものである。
とはいえ、(ロ)といえども、それはリアル社会での経済活動の繋がりとしては(イ)の分野とも何らかの目に見えにくい部分で連鎖しており、特に計測不能な潜性イノヴェーション(自然計算の領域/Cf.↓★)とも深く共鳴しつつ通底している関係にあるので、殆ど気付かぬ形で相互に影響し合う可能性も十分にあり得ると考えられる。
★「自然計算」はアナログ暗黙知ワールド?/超デフォルトモード・フラッシュ?(付:暗黙知と形式知について/↓画像は、日本における自然計算の発見者?!たる、南方熊楠)、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/05/19/040514 ・・・以下は、その関連部分の転載・・・
・・・自然計算の全体像を論理的に説明するのはなかなか難しいが(又しばしば混同されるが、自然計算とAI(ディープラーニングのアルゴリズム)は全く異質と見るべきだろう/それは、前者が暗黙知で後者は形式知であるからだ!)、例えば南方熊櫛の「やりあて」(コレは『理由は説明できぬまま意図通り』に偶然が重なって物事が上手く展開して行くということであり、セレンディピティの対語にあたる:https://blog.goo.ne.jp/8338goo/e/a470382ceb3c9ba2558d350272a021f6)についても、おそらく、熊楠は無意識に自らの生命(精神と身体)の働きを一種の特殊な自然計算と見立てた上で、その「ハーネス(調教)的な使い方」を自らの研究活動の成果に結びつけていたものと考えられる。なお、熊楠はネイチャー誌に掲載された論文の数が約50報であり、今もって日本人最高記録保持者でもある!このような博物学者・南方熊楠の実践事例(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-09J01168/)を始めとして、特に医学の世界では経験的(おそらく殆ど無意識)にそれを使ってきている。例えば、「最新のがん免疫療法」などが挙げられる(出典:自然計算/201505人工知能30巻3号https://www.ai-gakkai.or.jp/my-bookmark_vol30-no3/ )。また、↓画像の事例「人間の細胞、拒絶しないブタ 免疫の一部抑え成功、再生医療研究に活用 慶大:20190522朝日」も、自然計算の調教的な利用のアイディアに因るものだと思われる。https://twitter.com/shinkaikaba/status/1130972481890611205
・・・因みに、同じ鈴木泰博氏は自然計算を詳細に論ずるのが難しいのは自然計算ではアルゴリズムを与える主体と計算を実行する主体が同じになってしまうこと(記述“人称”の混乱、というかソノ不可能性)に因ると説明する。それは仮に生命現象を含む“森羅万象”(“同”現人神を自負する #安倍晋三 or #菅義偉 or #小池百合子 or #桜井よしこ 、ら #日本会議 に連なる面々(自称・JPN正統極右派? のことではない!w)に関わる自然計算のアルゴリズムの全指定ができるプログラマーがもし存在するなら、彼は人間が神と同然化したものと言えるだろうからだ。
・・・
だから、「あやかし(Pseudo妖怪)の如きトリクルダウン理論(やんごとなき殿上の人々らのネポティズム強欲のおこぼれで格差解消?w/https://buzzap.jp/news/20141110-tricle-down-economics/)を口実にして、一般雇用者層(特に市場原理主義で構造的に増えるばかりの非定期ルンペン・プロレタリアート層)が手にするリアル・マネー(稼働態マネー)は必ず前者より遥かに僅少な水準へと縮小し続けることで良しと理解(理解 or 作為)する竹中平蔵(JPN主流派の経済学者 or 詐欺師?パソナグループ取締役会長、国家戦略特別区域諮問会議議員)らが、DX-AI社会化しつつある現在においても日本のリアル経済(↑宇沢弘文『社会的共通資本』のイ・ロおよび企業利益・株主利益・投機利益など)をゴッソリ"市場原理主義"へ丸投げさせようと仕向け続けている」のは、そもそも真の「ヒトのための生命論的でリアリズム倫理的な動学理論」である宇沢弘文の立場からすれば明らかな誤り(というより、明らかにPseudoで不埒な態度)であり、絶対に許すべきでない≪日本国民に対する悪辣な背信行為≫である。
・・・
(閑話休題)“自然計算”と“ノイズ・レスAIコンピュータ-計算”(↓注)の“違い”
<注>“ノイズ・レスAIコンピュータ-計算”の事例=トポロジカル量子コンピューター
・・・トポロジカル物質(↓◆)の界面(普通の物質との境目だが、ここには二つの異なる世界を橋渡しする2次元トポロジカル表面状態ができる)に現れる「マヨラナ(orエニオン)粒子」を使ったノイズ・レス「トポロジカル量子コンピューター」(現在のコンピューターと異なる概念の超高速コンピューター)の実現が確実視されつつあるようだ(↓★)。
・・・しかし、仮にこのようなノイズ・レスで超高速の余剰次元計算モード利用の量子コンピューターが実現したとしても、倫理的(厳密に言えば、オミクス生命論の視点を取り入れたという意味でリアリズム倫理的)、政治・経済的、または社会工学的に『“変異の閾値”の調整』的な工夫が積極的に実行されぬ限り、どこまでもAI『人間の壁』に因る大格差の問題は深刻化する一方になると考えられる。
・・・それは、オミクス生命論の観点から見れば、ヒト(無論、地球上にある他の凡ゆる生命も同様であるが)は「自然計算」に包摂されているという意味で「㏌ vivo」(生命環境的)な存在であり、決して“トポロジカル量子コンピューター”ら「㏌ vitro」(人工的)な計算環境に包摂された存在ではないからである。
・・・また、往々にして「自然計算の原理」と「コンピューターの概念」は基本的に同じものと見る考え方があるようだが、これも「ヒトは決してコンピューターら「㏌ vitro」な環境に包摂された存在ではありえない、ということから見直してみれば、自ずとそれは誤りであることが理解できるのではないか?
・・・それは、どれほどコンピューターの概念が進化したとしても、ヒトがコンピューターに包摂される存在(形式知の操作対象)になるとは思われないからである。もし、そうなれば、それは最早ヒトとは呼べない代物であるだろう。
◆半金属や絶縁体のトポロジカルな性質を表す指標の発見̶ トポロジカル物性を示す新物質探索における指針として期待 –/渡邉 悠樹 (東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻 講師)、https://www.t.u-tokyo.ac.jp/shared/press/data/setnws_201707031105008939464317_611888.pdf
◆東大と理研、トポロジカル母物質に相当するトポロジカル半金属の薄膜作製に成功・・・東京大学と理化学研究所は2017年12月22日、トポロジカル母物質にあたるトポロジカル半金属Cd3As2で高品質薄膜を作製し、非散逸な量子伝導を観測したと発表した。エネルギー損失のない電子の非散逸な伝導は、低消費電力エレクトロニクスへの応用が期待されている。非散逸伝導を示す物質として、トポロジカル物質が挙げられ、そこでの非散逸な量子伝導を応用するため、材料開発が進められている。中でも、トポロジカル半金属は、トポロジカル物質の母物質に相当し、外部刺激によりさまざまなトポロジカル状態間を移動する性質がある。しかし、トポロジカル半金属は薄膜化が難しく、その量子伝導の研究は進んでいなかった。(以下、省略)fabcrossエンジニア、
https://engineer.fabcross.jp/archeive/171225_cd3as2.html
★(関連Tw)水のイマージュ2 @tadanoossan2/小池、菅、安倍らが共有する喩えれば超然“マヨラナ2次元位相粒子↓♨風”の超然狂信、≪#日本会議 カルト≫のリアルご出現!w →<赤旗スクープ!>正気か? 東京都が東京五輪観戦に小中学生ら81万人を動員計画! 感染拡大最中に各学校に通達、観戦拒否=欠席!https://lite-ra.com/2021/04/post-5868.html
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1387797155306377216
20180801 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1387797523234840587
(関連画像)/右=「2次元のK3曲面の高次元版」の複素多様体であるカラビ・ヤウ空間のイメージ/おそらく小池・菅・安倍ら #日本会議 カルト狂信徒らは日本ならぬ当ジャンル空間の住人かも神社!w
(関連)長谷川修司著(東京大学大学院物理系専攻教授)『トポロジカル物質とは何か/最新・物質科学入門』、https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000348910
(関連)トポロジカル量子コンピューター/200407日経サイエンス:G. P. コリンズ(SCIENTIFIC AMERICAN編集部)トポロジカル量子コンピューター・・・ 「エニオン」という不思議な粒子を操ると,“時空のひも”の束で量子計算を表現できる。組みひもの構造は周囲の状況が多少変化したくらいでは変わらないので,エラー発生率の低い現実的な量子コンピューターにつながる可能性がある。量子コンピューターは古典的コンピューターをはるかに超える能力を持つと期待されているが,ちゃんと動かすにはエラー発生率を非常に低くする必要がある。現在の技術水準では,既存の量子コンピューターの設計でこうした低いエラー発生率を実現するのはとても困難だ。そこで別のタイプとして,これまでとはまったく異なる物理系を用いて量子計算を行う「トポロジカル量子コンピューター」が提案された。トポロジカルな性質は周囲の環境が多少変化しても変わらないので,本質的にエラーを起こしにくい。(以下、省略)
https://www.nikkei-science.com/page/magazine/0607/topology.html
・・・
従って、今まで見てきたとおりであるが、オミクス生命論的な視点で「宇沢弘文-不均衡動学理論」が視野に入るリアル経済環境(経済空間)が正しく想像できるならば、そこでは個々人の生命を出来得る限り平等(対等)に保全するために、又それと同時に「赤の女王」(恰も、ゼロサムの≪パウリの排他原理(既出)≫の如き!)の誘惑に抗いつつ、毅然としてリアル生命環境トータルの持続性を保守し続けるためには、以下の三本の柱(A、B、C)が必須ということになる。
A フィデューシャリー(Fiduciary)の倫理観(別に言えば、リアリズム倫理)
B『社会的共通資本』の概念
C ヒト(国民)の幸せのため保守すべき経済空間の確保に必須となる、不均衡動学による『変異の閾値』調整に役立つ数理経済学(宇沢弘文『不均衡動学』の数理経済学)・・・
(『変異の閾値』調整の役割を担うリアリズム倫理(Fiduciary))
・・・意外にも“科学とリアリズム倫理の距離は近い!”コレに全く気づかぬ日本政府(日本学術会議マター、i.e.“6名”任命拒否問題の淵源である日本会議の≪科学と狂信イデオローグ≫に酷く汚染した!)の自信のなさが問題であり、それこそが直近の日本の未来に≪最大の危機≫を呼び込む恐れがある!・・・
欧米諸国が共通に理解している「フィデューシャリー(Fiduciary=リアリズム倫理)」の日本語訳は【受託者の信用上の倫理義務、又は福祉国家(又はそれを志向する政府・行政府)の負託義務型倫理】であるが、duciaryの類語である「デューティー(duty)」は【必然の義務・務め】である。つまり、受託者(例えば、一国の政府)として一般国民の生命を保守する義務、あるいはそのための信用上の務め、ということになる。従って、英米法上では「他者の信頼を得て行動する義務」、「他者からの信頼を受け止め、その人のための利益を念頭に置いて行動・活動するか、あるいはそのため助言をする義務」との意味になる。・・・以上の主な出典:大塚信一(元、岩波書店編集長・同社長)『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)p204~ ほか・・・
更に、近年注目されているのは、上の「受託者として一般国民の生命を保守する義務、あるいはそのための信用上の務め」というリアリズム倫理(Fiduciary)の核心となる部分が、オミクス生命論(Cf.↓◆)の意味で地球の自然環境(地球環境)意識と深く結びついていることである。
◆(再録)【実験医学的な思考実験】アンチ「重篤エピジェネティック疾患こと、アベシンゾー型トランスオミクス(orオミクス)層リアル反転『リピート異常発現』症」に対する、一つの処方の方向性、https://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6?nt=like_2181994・・・
一方、数学・物性物理学などの4次元以上の余剰次元の空間が、おおよそ量子レベル以下の極微小世界、あるいは宇宙空間の果てに何らかの異次元形式で“存在”(統一理論的な意味で共存?)するのは疑いがないとも理解されつつあるようだ。
しかし、同時に、如何に科学が発達しても我われ人類がそれら余剰空間(異次元or抽象次元)で「リアル日常/in vivo/自然・生体内環境】」同然に生きられるとは到底考えられないことも漸く理解されつつあるからでもある(Cf.↓★/人類がオール・アンドロイドへ展相すれば、あるいはAIシンギュラリティ(in vitro“新生命・新人類”化すれば別の話であろうが?/いわゆるシンギュラリティ妄想の信者では別の話となる鴨?ということだ!(苦w))。
別に言えば、我われ人類はリアルな一回性という現在≪時間≫を共有する地球上の自然環境でのみ生存可能な存在と理解するのが妥当と思われるものの、一方で我われがリアルな現在≪時間≫を共有する自然環境の“変異の閾値”を木端みじんに破壊せぬ限り、我われは“無限”に地球の自然環境に包摂されつつ持続し得るものだ(適切な世代間交替を前提として)!とも考えられるからだ。J.マクダウエル(第二の自然の解釈=これもリアリズム倫理の定義!)”が地球環境の自生能力の維持のためにも非常に重用であることが理解できよう。従って、明らかに“科学とリアリズム倫理の距離は近い!ということになる。
★当記事の[第1章:DXで強靭化する「AI型"人間の壁"」の下でⅯ.フリードマンの名言、『真の変革は不安定な危機状況でのみ可能であり実現する!は、本当か?-"真の科学的とは何か?"を考えるための重要な視座/事例2』を参照乞う。
このような意味で「地球自然環境」に関わる理解の進化プロセスから、科学が発達すればするほど、必然的に我々のリアル日常における「リアリズム倫理」(地球自然環境の破壊が最悪の非人道的な犯罪行為であるということに関わる理解が人類の最後の砦となる可能性が高い!)の重要性が、より広く共有されるようになるはずである(逆説で言えば、遍くコレが理解できぬ限り、地球自然環境と人類は滅亡する?!)。
(J.マクダウエル『第二の自然の解釈』としての『リアリズム倫理』)
John McDowell(1942‐ )は、ピッツバーグ大学教授. オックスフォード大学講師を経て 1986年より現職/研究分野は多岐にわたりプラトン・アリストテレスに代表される古代ギリシア哲学, 倫理学, 言語哲学, 認識論, 心の哲学,ヴィトゲンシュタイン研究などで大きな影響力のある論考を発表している。.
カント, ヘーゲル研究でも知られるが、日米および欧州などで跋扈するマイファースト・自己責任論・多様性否定主義あるいは表層的なAI万能論が囃される昨今(関連参照↓ブログ記事★)であるからこそ、そのユニークな「リアリズム倫理」(道徳的実在論/自然と対比的に、それを第二の本性(自然)と位置付ける)が注目されている。
★コンシリエンス的“想像力”に因るリアリズムの復権と自覚が必須!/ バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255
ジョン・マクダウエルは、かつてヒト(人類)が理解していた筈の【根源的かつコンシリエンス的な“想像力”(人文・科学両知の融和・和解的統合)に因るリアリズム/コンシリエンス・リアリズムとでも呼ぶべきか?】の自覚(復権)こそが、愈々、必須になると警鐘を鳴らしていることになる)。
端的に言えば、「リアリズム倫理学」の核心は、マクダウエルが“露骨(≒唯物・還元論的)な自然主義と居丈高なプラトニズムの共犯関係”といみじくも名付けて摘出してみせた、一般的な「リアリズムに係わる理解の混乱」の問題である。
無論、マクダウエルがここで言う“露骨な自然主義”(マクダウエルが言うところの第一の本性、第一の自然)とは、限定的な意味合いで言う、ごく普通の意味での地球上の自然(環境)だけを指すものではなく(特に、これは重視すべき!と主張していると理解できるが・・・)、いわゆる唯物論・物的還元論(ヒトの客観的・科学観察的・経験論的な態度を支持する条件で成立する次元での対象である「物質世界」(凡ゆる意味での宇宙・世界に内包されるPhysical World)と理解すべきであるだろう。
・・・
(関連Tw/再録)水のイマージュ2 @tadanoossan2/意外にも“科学とリアリズム倫理”の距離は近い!コレに気づかぬ「日本の自信のなさ」が問題!それこそ最大の危機を招く恐れあり! →米中対立は「新冷戦」か 米エール大学教授、オッド・アルネ・ウェスタッドさん:多極化での取り分争いは、米ソ時代とは違う!420朝日、https://twitter.com/tadanoossan2/status/1385707420203196421
(関連Tw)【事実上の“日本会議”支配で、健全な「政治リテラシー」が不在と化して戦前回帰への道を歩み始めたニッポンの悲劇!】水のイマージュ2 @tadanoossan2/メディアの翼賛&怠慢で国民には一切のリアルが見えていない!日本会議 のシナリオに忠実な「スガ内閣の支持率が“悪政”でも頑として下がらぬ」の(“国民の自信のなさ”の反映!)が問題! →菅首相が「日本会議」系改憲集会で自らのコロナ対応を緊急事態条項にスリカエるメッセージ!国民投票法も強行へ503リテラ https://twitter.com/tadanoossan2/status/1389301579933646849
(関連Tw)水のイマージュ2 @tadanoossan2/<菅政権の正体=科学(学術知)を小バカにする暴政バカ権力(アベ・シンゾーの次にリアリズム倫理、Fiduciaryから最も遠い距離にいるバカ野郎こと菅義偉!が支配する暴政国家)である、更に自らが #日本会議 カルトの子分であることを内心で誇る狂気の穴クロ・ナルシズム政治である>という恐るべきほど醜悪な現実が日本の近未来の足を引っ張っている!午後5:33 · 2021年4月24日·Twitter Web App https://twitter.com/tadanoossan2/status/1385874597048766465
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1385874597048766465
(関連Tw)【リアリズム倫理(Fiduciary)から最も遠い距離に立つニッポン、その底なしの後進性を代弁するアベ・シンゾー(リアリズム倫理、Fiduciaryから最も遠い距離にいるバカ野郎!)なる“あやかしの”日本会議ご用達し嘘吐きロボット!】水のイマージュ2 @tadanoossan2/嘘つきアベ(サクラ、モリカケ、河井参選買収etc)の禊はもう済んだ?新コロナ対策らは二の次が自民党のホンネ!「科学(学術会議)=政治の召し使い化」を露払いとして、#日本会議 ご用達の穴クロ「改憲」が最優先?! →安倍氏、憲法改正推進本部最高顧問に「喜んで」快諾/自民党の衛藤征士郎・憲法改正推進本部長は20日にあった同本部の会合で、同本部最高顧問に安倍晋三・前首相が就任したと明らかにした!420朝日Twitter Web App https://twitter.com/tadanoossan2/status/1384714568526569478 https://www.asahi.com/articles/ASP4N7GKFP4NUTFK02L.html
(関連Tw)【リアリズム倫理、Fiduciaryから最も遠い距離にいるバカ野郎!】懲りない<特上の大嘘吐き男>アベ・シンゾー( et スガ・ヨシヒデ)! →安倍首相 朝日新聞を捏造体質と批判も自身は118回虚偽答弁20210424女性自身、https://twitter.com/tadanoossan2/status/1386286825610743811
(関連/補足)
国民はトコトン、#日本会議 一派に舐められている!「ウソツキ&ドロボー“桜”Pseudo利権の帝王」こと、アベ・シンゾーがリバイバルとは恐れ入ったものだ!→「ポスト菅」再々登板を…安倍前首相に期待広がる、体調回復・活動盛ん520読売https://news.yahoo.co.jp/articles/5f1e479ff3c7d6d749d04ac712ca3841d7a1e7bf
・・・水のイマージュ2@tadanoossan2/常套馴合!【不都合の全黒塗り、肝心内容の全消去or忘却、政権&司法・検察≪手打≫】なる実績のうえ、Fiduciary司法・倫理観念が全不在 et 非科学&非人間的な日本権力(↓Cf.★)は特に信用できぬ!→“赤木ファイル” 国が存在初めて認める 6月裁判で提出 506 NHK、 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1390410210645200898
東京五輪へ看護師500人“強奪動員”開始 組織委に非難囂々2021/04/27 日刊ゲンダイ https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/288495
(エピローグ)新たな展望のためのヒント/「AIリーン高度生産性Vs伝統労働力」型の大格差を乗り越えるために!
・・・DX(デジタルトランスフォーメーション)で肥大化する人間の壁!・・・
(1)伝統労働生産性を遥かにしのぐAI「デュナミス高度生産性」の問題
AI‐IOT化、DX(デジタル・トランスフォーメーション)で、愈々、伝統労働生産性を遥かにしのぐAI「デュナミス高度生産性」が実現する時代に入るが、歴史的にみれば、 そもそもそれは「機械生産(処理)」に備わる本来的な性質であったのだが、AI=DX生産性では、それに加えて<稼働態(in vivo)ならぬ可動態(in vitro)としての抽象的形式知、いわばNon-real(非リアル)な高度生産性の部分が肥大化する>ということが本性である。
しかし、既に[第5章: 「不均衡進化論」と「不均衡動学(社会的共通資本)」が共有する『変異の閾値』の問題-(★自然計算・・・)]でも見てきたことだが、そもそも「ヒトがコレを≪自然計算の暗黙知≫にも照らしつつ再解釈し、それを正しく調教して使いこなす」のが大前提なのであった。
だから、最も根本的と思われる科学的な「完全合理性」(抽象的な形式論理知)へ心身を丸ごと委ねさえすれば安全・安心な生活(分配)と公正で平等な成長の持続が保障され、直ちに多くのヒトがリアル日常で遍く幸福になれるというのは只の神話に過ぎない!
つまり、ヒトは如何に「AI=DX高度生産性」が科学論理的に正しい「リーン(lean)=AI=DX合理性によるリアル(矛盾に満ちた現在)の冷徹な直視」の果実(成果)であっても、抽象空間の完全論理がもたらす“見せ金”という可動態(僅少な分配)だけでは“リアル時間の現在”を生きられないということである(@足立恒雄著『無限のパラドクス』(要参照:講談社ブルーバックス)、森田邦久編著『現在という謎/時間の空間化批判』(勁草書房)etカズオ・イシグロ『日の名残り』↓)
・・・カズオ・イシグロの小説『日の名残り』において、貴族の館の執事だったスティーヴンは、伝聞と記憶を含めて一人称で第二次大戦前後のイギリス社会を語る。そこには忘却からくる微妙な矛盾が含まれ、その重層性ゆえに全体としてリアルな世界が描き出されている。物理学は、一人称で語りうるだろうか?…[森田邦久編著『現在という謎/時間の空間化批判』(勁草書房)、“あとがき”の冒頭より転載]
・・・
そのため、両者の間で再分配に関わる何らかの翻訳の工夫(公正な分配の問題の解消)または架橋工事(リアル日常に生きる個々の労働者、ルンペン・プロレタリアートらのエネルギー通貨、つまりリアル稼働態の領域へあらゆる方法を駆使して“そのままでは只の見せ金に止まるAI=DX高度『リーン(lean)』生産性をリアル日常の空間へ”転送する(そこで、彼らのために役立つようリアルマネー化する!)具体的なマクロ・ミクロ経済的諸制度の導入、例えばベーシックインカムなど)が特別に施されぬ限り、その儘では殆どルンペン・プロレタリアート層のリアル所得の増加益とはなり得ない。
つまり、デュナミス(可動態)たるAI=DX高度付加価値の産生/Cf.↓★)をどのように、より賢く現実的に生かせるか?を全ての国民を巻き込みつつマクロ&金融・経済政策的に"リアル化(分配・転送)"する方法、例えば「真の科学知に支持されたリアリズム倫理(Fiduciary)」の観点から「変異の閾値」にTGを絞る適切なハーネス調整を絶えず真剣に考え続けるのが最も重要だ!、ということになる。
★ヒトの『日常』(日々のリアル生命活動であるエネルゲイア(energeia)=現勢態・稼働態)は、「エルゴン(ergon/抽象的死生態/潜性イノヴェーションの在処の一つで、もう一つの最も大きなその在処はエネルゲイアに潜む/前稼働態)⇒ デュナミス(dunamis/プレ・エネルゲイア/可動態)⇒ エネルゲイア(現勢態・稼働体)⇒ エンテレケイア(entelecheia/未生態/理念・理想のフェーズ)」のプロセスに支えられている。
https://note.com/toxandoria2/n/nea8fd36e81b0
更に言い換えれば、それは<「オミクス生命(環境)論」的に見れば、そもそも自然界(それは超ミクロ余剰次元~全宇宙レベルまでを含む)の「抽象的死生態としての運動」(その意味でのエルゴン/ergon)を包括的に説明する「ハミルトンの原理(最小作用の原理)」等の『形式知』で表現される科学的・抽象的原理(抽象性の射影)は、ミクロ・マクロの両面において直接的に「人がリアルに生きる現在」(ハイデガーのDaseinを共時的に共有し続ける『暗黙知』に満ちたリアル日常“空間”の世界)とは絶対に直の繋がりが持ち得ないということだ(Cf. →既出の補足『自然計算の説明』も参照乞う)。
なお、重要なので繰り返しておくと、一般的にはエルゴンとエネルゲイアは混同されているようだが、既出のとおり、厳密に見ればそれは「エルゴン(抽象的死生態/潜性イノヴェーションの在処の一つ)⇒ デュナミス(可動態/プレ・エネルゲイア)⇒ エネルゲイア(現勢態・稼働体)⇒ エンテレケイア(未生態/理念・理想のフェーズ≒プラトンのイデア)」のプロセス」となる。
従って、そのような意味で客観的・科学的・物性物理的に、特に数学の本来性と言語性(@宇沢弘文)ということhttps://note.com/toxandoria2)を十分理解したうえで、先ず「目前のヒトの日常と生命の論理」の保全と持続のため<Fiduciary(リアリズム倫理)、地球の自然における生物多様性、歴史性、文化知>ら人文・社会的ないわゆる「暗黙知」の世界に照らしつつ、ヒトは「科学知なるものの原理的プロセス(抽象→リアル→理念、へ至る)が意味すること」を十分に吟味してから、その「科学知」を社会工学の設計などへ生かすべきだ!という十分に謙虚な態度を基本に据えることが重要である。
つまり、このような観点から見れば、自然の運動を根底から支配する冷徹な抽象論理である変分原理(ハミルトンの原理)、あるいは重力法則など“見かけ上”の親和性が高い「市場原理主義」(M.フリードマン、ハイエクらの)こそが『人間の壁』なる格差再生産システムの問題を解決する唯一の合理的方法だと単純に見立てるのは決定的な誤りである。
それどころか、それ故にこそ、ジルベール・シモンドン(↓◆2)に従えばリアルな日常の人間社会は不均衡動学的(https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/03/08/233246)な意味で、只の見せかけのフラジャイル(fragile)に非ず、アジャイル(agile/生きた子ネコの様に触覚的に柔らか!)な展相(Potenz)の工夫が絶えず求められている。
◆2【「大格差」解消のため(新たな”生命論+情報論”へのPotenz(展相)が必然?】シモンドン『個体化の哲学』(叢書ウニベルシタス)を一読すれば存在の特定の相(情報、形相、特異点)の概念で一定の系が連続する多層構造(余剰空間を含む極小世界~量子物理学“スケール”~物理・化学“同”~生命“同”~宇宙論“同”~極大世界)という「広義のリアリティ体系」を理解できるが、それは近未来のオミクス論的な生命観と倫理観の新たな可能性! シモンドン『個体化の哲学』の重要な鍵は特異点を介する「展相(Potenz)」であり、それは「大格差」解消("AI=DX高度生産性リアル化の翻訳"実現)の鍵となる鴨?https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440
・・・
少し目を転じると、一般的に自然界で観察(実験を含む)される物理現象の多くは「なんらかのエネルギーが最小または極小となる状態」として表現することができるため、一般的には「変分原理」はこのことを指すとも理解されている。また、これは既に見たとおりのことであるが、数学理論として表現したり、あるいは物性物理的に自然現象を記述したり、その意味を解明したりする方法として、それは非常に重要であるのだが、実はこの変分問題には未知の部分が多く残されている。
例えば、「ある閉曲線に対し『そこで張られる極小曲面 (これは解と呼ばれる) 』の一意性(唯一の解が存在すること)は一般には成立しないが、それは何故なのか?」、あるいは「その解の個数が有限であるかどうか?」すらが未だに解明されてはいない(上の事例画像『同じ枠に張る 2 種類の極小曲面 (懸垂曲面)』では、左は安定 (面積極小)、右は不安定 (面積極小ではない)となっている)。https://www.jst.go.jp/crest/math/ja/suugakujuku/archive/text/3_Koiso_text.pdf
ともかくも、有限な地球のこの希少なリアル多様性に満ちた自然環境のなかで、カオスの縁(or海)へと誘う<ゼロサム赤の女王>の誘惑に辛うじて抗いつつ、動学的な一定の『変異の閾値』内で必死に生きざるを得ない我われ人類(ホモサピエンス)は、生命活動の根本としての不均衡進化なる不可避のプロセスの中で、倦まずた弛まずの努力が求められていることになるだろう。
一方、ヒトと断絶した存在[(非リアル生命・非リアル人間=非リアル『Dasein/@ハイデガー』)]であるAIツールの中枢『ロボット化、DX化等の心臓部DL(ディープラーニング)』は、純粋に抽象化した「ハミルトンの原理」(変分原理、最小作用の原理)等の超"汎関数"を内装した機械装置と理解できる。このため、それは、ヒトを含む多様な生命に因る暗黙知が満ち溢れる地球環境内での「自然計算」(Cf.↓★)の一端と見るべきヒトの意識および文化世界とは異次元の世界と見るべきである。つまり、AIツールの中枢世界は、<蜜結合、カルマンフィルター、社会分断型エコーチェンバー現象(@AI内外)など未知のリスクが湧出する、ヒトのリアル世界とは異次元の超抽象空間>であると思われる。
★自然計算はアナログ暗黙知ワールド?/超デフォルトモード・フラッシュ?(=多様性に満ちた自然・社会環境に潜む暗黙知の働き!?) https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/125003
それゆえ、AIツール(AIの”意識もどき”?=例えば、DLの場合ではヒトが与えるデータを頼りに一定の正しい結果(特徴量なるデータ群)を算出するようパラメータを調整した巨大な関数の動作環境)が、ヒトと全く同水準の「リアル日常の意識」(生身の身体と繋がる言葉や文化)を持つようになるとは到底思われない>ということである(古典的なフランケンシュタイン信者を別とすれば…)。
(2)「AI"人間の壁"」突破の鍵となるものは何か?
(2-1) 二つの伝統的「自由原理の限界」の直視
・・・その一つは「J.ロック的な市民社会における制限的自由」・・・
・・・自然的自由の権利において万人が平等であることを前提としつつ、そのため社会契約が必須と説き「自由主義の父」とも呼ばれるロックであるが、このロックの自由思想の流れ「市民社会における制限的自由(それは社会契約による一定の制限を伴う謂い)」は、そもそもの「自然との調和」という観点が薄れて「機会の平等」を最重視する(制限的自由が自己矛盾する)方向へ傾斜してきた(↑画像はウイキより)。
・・・このため、ロックの「市民社会における制限的自由」は、そもそもの一定の制限と真逆に野放図な「市場原理主義(機会の平等を偏重する新自由主義と小さな政府論)」を志向する思想潮流の源流となり、遂には<AI型"人間の壁"と地球環境問題>という二つのアポリアに挟撃される羽目となった。
二つ目は「J.J.ルソーの積極的自由」・・・フランス革命の過激かつピュアな理想(古典的エンテレケイア志向)の挫折(歴史経験)から、中庸なブルジョワジー中心の正統リベラリズム(結果の平等へ傾斜する大きな政府論)なる政治思想へ帰結したが、同じくAI型"人間の壁"と地球環境問題>という二つのアポリアに挟撃されている(↑画像はウイキより)。
結局、「J.ロック的な市民社会における制限的自由」と「J.J.ルソーの積極的自由(政治権力の暴走に対する警戒心がロックより大きいと見る故に、近・現代啓蒙思想のベースとされる立ち位置)」の何れの場合においても、「機会の平等」か「結果の平等」かの二者択一ではなく、あるいは只「倫理的に中庸こそが肝心!」とのお題目を唱えるだけでは不徹底であるということになる。
そうではなくて、それは既に述べてきたとおりのことだが、今こそ、我われは「真の科学とは何か?」を正しく理解するとともに、オミクス生命論の理解をベースとする「科学・科学技術と地球環境問題」の理解を深めることで必然的に到達する「リアリズム倫理(Fiduciary)」(地球自然環境下における“閾値の調整”への覚醒)に因る、「新たなリアル中庸」という価値観への展相(Potenz)が必須だ、ということである。
このような観点から見れば、ヒトとAIツールの間には何らかの「ハード&インターフェースの工夫」による広義の翻訳(事例参照↓◆)が特別に施されぬ限り、既述のAI機械高度生産性に関わる「デュナミス(プレ・エネルゲイア/可動態)⇒ エネルゲイア(現勢態・稼働態)」の翻訳マターによる大格差が常に存在し、かつ拡大し続けることになるだろう(https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/06/06/162034)。
◆AI/機械学習(ML、DL)における公平性(Fairness:フェアネス)とは?・・・不公平なバイアスに基づき学習した機械学習モデルが不当な差別(人種差別/民族差別や、性別差別、文化差別/地域差別など)を引き起こすケースがあるが、そのようにならぬよう、できる限り不公平なバイアスを排除することが重用である。https://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1912/19/news024.html
(補足)インターフェースの分野では、例えば以下★のような先端研究がおこなわれている。
★東京大学・情報学環:筧 康明研究室/ヒューマンインターフェイス 、 オーガニックユーザインタフェース 、 ペーパーコンピューティングetc https://xlab.iii.u-tokyo.ac.jp/
・・・この「コンピューティング・インターフェース」は、旧来のゲーミフィケーション(gamification、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/06/06/162034)の分野に、最も重なるものが多いと思われる。その特徴は"意識せずコンピュータを操作する"という点にあるようだが(http://hotozero.com/knowledge/interface-2/)、一方で「そもそもヒトが全く意識せずに生きる」とは何か?そんなことが果たしてできるのか?という古くて新しい問題は、今のタイプの人類(地球の自然・文化環境と調和した)が消滅しない限り続くことになるだろう。
・・・↑画像は、https://www.elecom.co.jp/pickup/column/vr_column/00003/ より・・・
・・・だから、持続的な潜性イノヴェーション(ヒトを含めた持続する生命の根本を支え続けるプレ・エネルゲイアhttps://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/06/06/162034)の問題とヒトが無縁ということもあり得ないだろう。従って、このヒューマンインターフェイスの領域でも、いずれは只の「倫理」というより「リアリズム倫理(Fiduciary)」の問題が必ず大きくクローズアップされる筈である(https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/02/02/022035)。
・・・↑画像は、https://xlab.iii.u-tokyo.ac.jp/ より・・・
(2-2) リアリズム倫理(Fiduciary)の新たな可能性
つまり、冒頭で取り上げた<「AI機械高度生産性Vs古典的労働生産性」の問題>の場合には、それを市場原理主義の跋扈にかまけて徒に放置すれば、そのこと自体が大格差による深刻な社会分断の原因となり続け、それがヒトにとって大元凶となるだけでなく、究極的には<資本主義>自体(および地球環境そのもの)の存続にとっても大きな脅威となるということだ[斎藤幸平「人新世の『資本論』」の問題意識にも重なる!]。
他方、既に述べてきたことだが基本的に[倫理観を伴う人間の自由意思」は<第二の自然>として<第一の自然/旧来型の自然の理解>と同等に尊重されるべきである。それは、オミクス生命論の視座から見ても人間の自由意思は、J.マクダウエルが提起した「第二の自然」たる”倫理・哲学”よりも、より明確に言えば「リアリズム倫理(Fiduciary)」のジャンルに属すると理解できるからだ。
従って、徒にこの「第一の自然」を支配する物理法則(“最小作用の原理”等)を恰も倫理上の絶対的な使命の如く恐れ、かつ一方的にそれを恰も絶対的な<原理主義>の如く崇め奉る必要はないことになる。
言い換えれば、「第一の自然」における「最小作用の原理」ら科学的な"決定論的原理"の影響を正しく評価(その種の原理でも環境条件の影響等を受けることがあり得るという事実を客観的に理解)する必要があるということだ。それは、リアリズム倫理(Fiduciary)、あるいは"ゼロサム赤の女王と対峙しつつ生命持続の条件でもある多様性保持のための”外界の思考”という「リアリズム倫理」(“抽象的統一理論と対峙し得るマルクス・ガブリエルの『新実存主義』/Cf.↓★“)を選択するという<ヒトとしてのオミクス生命論的な意味で健全な自由意思>も全く同等に尊重されるべきであるからだ。
★新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続できる新たなイノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(1/2)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/03/25/082423
因みに、「第一の自然」における「最小作用の原理」などの科学的"決定論的原理"の社会科学への影響を正しく評価するということをより正確に言えば、それは例えば科学探求の自由原則に因り発見された物性物理的な原理の社会科学における「正しい援用」ということである。
そして、その「正しい援用」と真逆の「悪しき援用(影響)」の典型がミルトン・フリードマンの市場原理主義である。そこには、<ジョン・マクダウエルが言う第一の自然(自然世界)>と<リアル現在に生きるヒトのための『変異の閾値』の役割を最重視すべき『経済学の市場空間』>を完全に同一視するという決定的な誤謬が潜んでいる。あるいは、そこには作為(Pseudo)の“あやかし”さえ潜んでいる可能性が高い。
要は、あの名高い?「“バカ”と鋏(ハサミ)」の喩えではないが「“政治(権力者・高級官僚)あるいは先端科学技術を担う科学者」らと雖も、所詮は一般国民側が、自らのリアル現在の日常に根を下ろした「リテラシーの目線(意思)」という尺度に沿った使い方しだいになる!ということだ。
だから、その意味でも一般国民層へ、その健全(適切)な評価に有意な材料を提供する役目を担う第四の権力たるジャーナリズムの責務は重大である。
そして、その非常に困難なパラドクスを解く役割りを果たす論理(ツール)を提供するのが<宇沢弘文の『不均衡動学』の基盤と見るべき社会的共通資本、あるいは古沢 満の『変異の閾値』>のリアリズム倫理の視点だ!ということになる(https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2021/03/08/233246)。
・・・
◆参照資料:森田邦久『現在という謎―時間の空間化批判―』(勁草書房)https://www.keisoshobo.co.jp/book/b477659.html
◆関連/それより" #日本会議 カルト"かぶれの日本政府は弱者の救済と成長・持続の両立のため「不均衡動学」(宇沢弘文)、「不均衡進化論/変異の閾値」(古沢 満)の如き、あるいは「変分原理」等の<科学的真理を冷静に見極める視座(リアル現在に根差した中庸なリアリズム倫理の土壌)>が必須! →魂(霊性)はそこにある/死者への恥ずべき行為の自戒が日本倫理観の基!佐伯啓思327朝日https://www.asahi.com/articles/DA3S14848839.html
◆関連/百歩譲り、グローバルな観点から仮にこれが妥当な見解と見ても出口戦略の大前提として最優先すべきリアリズム倫理(Fiduciary/マクロプルーデンスやタクソノミーにすら優先すべきこと)が完全に欠落する日本(↓♨1、2)に当て嵌めるのは余りにも危険では?!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1376373583543296006
<補足>マクロプルーデンスとタクソノミーについて
マクロプルーデンス(Macro Prudence)・・・マクロ・プルーデンスの考え方を実現するための具体的な政策的枠組みや手段(マクロ・プルーデンス政策)については、国際的にも様々な議論が行われているが、一般に、(1)金融システム全体の状況とシステミック・リスクの分析・評価、(2)システミック・リスクの抑制を目的とした政策手段の実行やその勧告、といった機能を包含するものとされている(日銀公表資料)。https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/pfsys/e14.htm/#:~:text=%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%80%83%E3%81%88%E6%96%B9,%E3%82%92%E5%8C%85%E5%90%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A8
タクソノミー(taxonomy)・・・元々は、分類学や分類法という意味を指す英単語であるが、ITの世界では、情報やデータなどを階層構造で整理したものを指すことがある。特に、XBRL(データの書式のことで、特に財務系データを表現するものを指すことが多い)ではデータの要素(例えば、日本語の名称が「売上高」であり、英語名称が「Net Sales」であること等)に加えてルールや規約を含めたものを指すことがある。また、ECサイト(electronic commerce、つまり電子商取引)での商品分類をタクソノミーと呼ぶ場合もある。https://www.realize-corp.jp/glossary/taxonomy#:~:text=%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%BC%EF%BC%88taxonomy%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81,%E3%82%92%E6%8C%87%E3%81%99%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
♨1 >問題の核心は検察と司法記者クラブの癒着!新聞社はそれに蓋を被せつつ彼を処分した! ←同感!それは「政治・行政・司法&メディアの四権力にリアリズム倫理(Fiduciary)が完全欠落」という、現代日本の致命的欠陥に因る!この点が他の先進諸国との恥ずべき、そして決定的な落差!
・・・鮫島浩ペン先ジャーナリストさん @SamejimaH/検事長と賭け麻雀した「社員」は検察に強い司法記者だった。彼の何が不適切だったのか。緊急事態宣言下だったことか。賭け麻雀したことか。相手が渦中の人物だったことか。どれも違う。問題の核心は検察と司法記者クラブの癒着にある。新聞社はそれにフタをして彼を処分した。https://twitter.com/SamejimaH/status/1376297169439715329
♨2 @山添 拓さん @pioneertaku84/来年度予算案、与党が予算委員会で強行。コロナ対策に直ちに対応できる予算はほとんどなく、5兆円の予備費で政府に白紙委任を求めるもの。財政民主主義に反する。社会保障費は削減、大型開発など不要不急予算や過去最大の軍事費など、コロナ禍の政治の役割を果たせない予算だ。
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1376375258513436674
・・・(補足1) 「政治・行政・司法&メディアの四権力にリアリズム倫理(Fiduciary)が完全欠落」という<現代日本の致命的欠陥(政治観念的な異常病理で殆どの国民も無関心!)の表れ(1) →生活保護訴訟で原告敗訴(保護基準引き下げは合憲!)札幌地裁判決329日経 https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG294E90Z20C21A3000000
[結語]:科学と倫理の距離は近い!「政治・行政・司法&主要メディアの四権力にリアリズム倫理(Fiduciary)が完全欠落」という<現代日本の致命的欠陥(政治観念的な異常病理で殆どの国民も無関心!)のアポリアを突破するためのヒント!
金子 務監修『科学と倫理-AI時代に問われる探求と責任-』(中央公論新社)↑では、<社会に開かれた研究倫理、ロボット三原則と科学者三原則、科学者の社会的責任、文化としての科学倫理思想>などのテーマが目につくが、ここでは酒井邦嘉・東大大学院総合文化研究所教授が発案・提起した「科学者三原則」の問題を取り上げておく。
この「科学者三原則」は、「ロボット三原則」を元に発案されたもので、2019年10月の日本科学協会の「セミナー:未来をひらく科学と倫理」で発表された。
以下は、(↑)から「ロボット三原則」の部分だけを転載したもの。
第一法則:ロボットは人間に危害を加えてはならない.またその危険を看過することによって,人間に危害を及ぼしてはならない.
第二法則:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなくてはならない.ただし,与えられた命令が第一法則に反する場合はこの限りではない.
第三法則:ロボットは前掲の第一法則,第二法則に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない.
酒井邦嘉氏は、このロボット三原則を「(イ)他者(人間)の尊重、(ロ)仕事(命令)の遂行、(ハ)自己(ロボット)の尊重」と、短く整理したうえで、最初の二つを入れ替え、「(イ)仕事(科学)の遂行、(ロ)他者(人間)の尊重、(ハ)自己(科学者)の尊重」としている(ここでもイ→ハの優先順位が重用!)。
以下は、その「科学者三原則」の具体的な内容である(上掲書より、略記の形で引用・転載した)。
第一条:証拠保持の原則:実験等の証拠、真理と着想を示す証拠、剽窃などの禁止、ほか
第二条:他者尊重の原則:直接的な利用(例えば化学兵器や生物兵器の開発)他人の身体や心を気付つけることの禁止、ほか
第三条:研究自由の原則:自由な研究と知的好奇心はできる限り保証されるべきだが当一・二条に反する場合や、公共善(福祉・安全等)に反する時はこの限りでない。
この酒井邦嘉氏が提示した「科学者三原則」とアシモフの「ロボット三原則」(今は、事実上、これを更に『AI=ロボ三原則』と読み替えることも許されるだろう)と照らし合わせつつ考えてみると、我われ人類(特に、日本政府!)が倫理的な意味で未だに低レベルな水準に止まって(甘んじて!)いることが歴然とする。
だから、「軍事用AIロボット兵器」がテロ対策らの大義名分下で進められたり、事実上の「隠れ核兵器」開発とも囁かれる「脱炭対策を口実とする原発」の利用が進められたりする有様となっている。また、日本が未だに「核兵器禁止条約」批准に乗り気でないのも同じ流れである。
そこで、先端科学知の側面から重要な発想転換のヒントを与えてくれると思われる「“時間反転”対称性の破れ」の問題に少し触れておく。以下は、そのことに関するtoxandoriaの私見である。
(『“時間反転”対称性の破れ』について)
我われの「リアル日常」意識を支えている“一つの方向へ時間が流れている”という「一般的な力学系の時間の矢(“時間反転”対称性の破れ)」には無数の自由度が関わる(より厳密に考えれば原理的・物理法則的な自由度と何らかの抑制的な力との間での“一定の変異の閾値”に関わる微妙なせめぎ合いの?)問題であることが量子力学・物性物理学などの知見から理解されつつあるようだ。
なお、“時間反転”対称性(双方向への時間の矢が存在すること)は「*力学系(巨視的/エントロピー増大則と量子物理学の二つを視野に入れた場合)、数学方程式、重力、電場効果、結晶構造、量子空間、トポロジカル(メビウスの輪がリアルかつ象徴的に代表する位相空間反転)物質、無意識的心理空間(カズオ・イシグロ『日の名残り』の主要モチーフ)など」がその典型であるが(↑メビウスの輪の画像はウイキより)、
他方、“時間反転”対称性の破れ(一つの方向への時間の矢)である「*力学系(微視的/Ex.コーヒーに入れるミルクの拡散)、熱力学系(エントロピー増大則)、磁場系、インフレーション宇宙(論)、意識的心理空間(ヒトが意識的に生きていると感じるリアル日常)および地球のオミクス生命論的な自然環境(空間)など」は、むしろ希少な例外的存在とみなすこともできる。(以上纏めるに当たっては、主に下記資料★を参照した)
★量子力学における「時間の矢」:東京大学生産技術研究所・教授/波多野直道 https://www.jstage.jst.go.jp/article/butsuri/72/6/72_408/_pdf
*[力学系についての補足/時間反転対称性を持つ力学系における時間の一方向性の証明]・・・古典ハミルトン系(巨視的力学系)は時間反転対称性(双方向への時間の矢)を持ち, ある運動が実現する場合, 逆向きの運動も生じる。 一方で, コーヒーにミルクを入れると, 最初は2つの層が分離した状態だが, 時間を経ると混ざり合い, 元の分離した状態に戻ることはない。 このように(巨視的には時間を逆向きにした運動が成り立つにも関わらず), 微視的力学系では時間の一方向性も観測される。/京都大学ICT連携ネットワーク、http://ict-nw.i.kyoto-u.ac.jp/old/ict-innovation/14th/panel/panel.php_id=51.html
★(再掲)長谷川修司著(東京大学大学院物理系専攻教授)『トポロジカル物質とは何か/最新・物質科学入門』、https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000348910
★(再掲)森田邦久編著『現在という謎/時間の空間化批判』(勁草書房)https://www.keisoshobo.co.jp/book/?book_no=477659
(意外にも、科学と倫理の距離は近い!)
・・・“社会的共通資本:Fiduciary(リアリズム倫理)”と共鳴する“時間の矢”の問題・・・
上で述べた「時間の矢」、つまり我われの日常のリアリズムを裏付ける“時間”意識にに関わる、[“時間反転”対称性(双方向への時間の矢が存在する)]Vs[“時間反転”対称性の破れ(日常的に我われが感じている一方向への時間の矢の流れ)]をめぐる<『“時間反転”対称性の破れ』について>という論点は、見方次第だが、そこには記述に関わる“人称”混乱の問題(それは一・二人称記述か?三人称(客観)記述か?or操作性・恣意性の有無?)などがあるため、あるいは只の妄想の如く見えるかもしれない。
しかし、この“妄想?”wの材料を提供してくれた資料・情報の書き手が、いずれも第一線で活躍中の先端科学者であり(カズオ・イシグロ『日の名残り』の日常時間のモチーフについては森田邦久氏、その他の部分は波多野直道・長谷川修司両氏)、それは只の「夢の中に浮かんだ無意識の妄想」ではないと思われる。
そこで想起すべきが、「地球の自然環境とヒトの文化の保証人(凡ゆる生命の“変異の閾値”調整の保証人!)たるリアリズム倫理(Fiduciary)の視座の重視」ということになるが、
ここで、その中でも特に重要なのは、「優れた数学者でもあった数理経済学者、宇沢弘文が“ヒトの幸せのための保証人がリアリズム倫理(いわばオミクス生命論的な意味での)であり、それこそが経済動学の要でもある”との強い信念の持ち主であり、
同時に、宇沢は自らの不均衡動学のベースとなる社会的共通資本の“三つの制度区分(自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本)”の中でも、“制度資本(教育、医療、金融、司法、文化(倫理・数学・科学等))”を、いわば調整が必須の「変異の閾値」の在処として重視していたことである。
しかも、このような宇沢弘文の考え方(炭素税のアイデアも宇沢が嚆矢である)は、特に1970年以降においてネオ・スウェーデンモデル(当時の社会民主党政権)が“市場原理主義(小さな政府)”への丸投げに舵を切った”(社会民主主義が新自由主義に敗退した”!)という一般的な理解は決定的な誤り or 誤解であることを裏付けている。
それは、例えば宇沢弘文の『不均衡動学』理論などがネオ・スウェーデンモデル(ひいては欧州全体、否、欧米全体の良識的な政治と学界の深層へ)へ大きな影響を与えた可能性が高いと考えられるからだ。https://note.com/toxandoria2/n/n0c5a866911bc
より具体的に言えば、それは「“産業政策面での市場原理の活用”と“国民の日常を凝視し続けるリアリズム倫理の一層の深化”という二つの方向性をオミクス生命論(地球環境保全の視座における)と不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』で調整し続けるという、
実に斬新で壮大なネオ・スウェーデンモデルへの挑戦、ということであった」と言えることだ(関連参照→新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府「転換X」にのっとる政策その3 / 松尾匡:連載、https://synodos.jp/economy/9541)。
無論、特に新コロナ禍の真っただ中にある欧米の現状がリアリズム倫理の完成形にあるとは到底いえるものではないが、宇沢弘文が種(オミクス生命論的なリアリズム倫理と地球自然環境の重視、不均衡動学、“変異の閾値”などの考え方)を撒いたという歴史的な事実は重視すべきである。
そして、それは欧米の政治・経済ワールドの中でも特に政治哲学的な思潮の中に着床しており、それが着実に成長しつつあると考えられる。そのような意味で「意外にも、科学とリアリズム倫理の距離は近い!」のである。
一方、残念ながらそれが最も遠い状況にあるのは“「戦前と同然にさえ見えるアナクロな政治意識の亡霊」たちの囚われ人”たる我が日本ということになる(ネオ・スウェーデンモデル等の委細については↓◆を参照乞う)。
◆日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理)に無知なスガ「Kook権力」の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民!https://note.com/toxandoria2/n/n44960ad716b2
(関連Tw)水のイマージュ2 @tadanoossan2/ >河北新報の世論調査で6割が女川原発再稼働に反対! ←日本政府・東北電力・宮城県等の重大な責務を担うべき当局らが「マクロ政策」を口実に、堂々と「リアリズム倫理」を放棄している!まさに<人道をも踏みにじる犯罪政治(行為)>だ!Cf. https://twitter.com/NewsDigestWeb/status/1388304180788400131 ・・・青木美希さん 新刊「いないことにされる私たち」発売 @aokiaoki1111/「原子力発電は少なくとも現状、必要だろう」「マクロ的な視点(? ←どこ見て行ってるのか!w/補、toxandoria)からいってそうだ」(女川町長、16日の記者会見)
河北新報の世論調査で6割が女川原発再稼働に反対しています。世界のマグニチュード6以上の地震の2割が集中する日本で、マクロ的な視点で原発は適切ですか。
https://jnpc.or.jp/?fbclid=IwAR10cdnBvYagP4mu5D5vcsGYzJ1xa-olIM-sd5WNNv79gqeOSUCKnuDpVds 2021年2月17日·Twitter Web App
(関連Tw)水のイマージュ2 @tadanoossan2/【「分からない42%」をヘッドから外す≪@“中国&新コロナ”等の安保リスク環境≫変化なるスリ替え】で“#日本会議”へ忖度・迎合する、Fiduciary(リアリズム倫理)が全き不在!穴クロ“極右化”自民サマ御用達のNHK! →502世調 “憲法改正必要”33% “必要ない”20% 2021年5月3日·Twitter Web App https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210502/k10013010101000.html
(↑/関連Tw情報)シンリンオオカミさん @F4wEg/世論調査「9条改正必要」、読売55%、毎日51%、朝日30%、NHK28% - 素人が新聞記事書いてみた・・・令和3年5月3日:現行憲法が施行されてから74年が経った。これに合わせ、マスコミ各社は憲法改正に関する世論調査の結果を報道した。「憲法改正が必要か」および「9条改正が必要か」の結果は以下のとおり。日本国憲法の原本、上諭(1ページ目) 憲法改正は必要? 共同通信:必要57%、不要42% 読売新聞:必要56%、…newspaper-ama.com
https://twitter.com/F4wEg/status/1389040397964304386
(↑/関連Tw)水のイマージュ2 @tadanoossan2 返信先: @F4wEgさん/ネット上でも<現実派>伸長!と大喜びの声が漏れ聞こえるが、<リアリズム倫理(Fiduciary)>が国民の視野から消えつつある(元々それが不在だった!うえ、まさにコレは戦前回帰の空気である!)のに何がそんなに嬉しいのか?第四権力たる主要メディアの“怠慢”が表れただけでは?苦w 午後5:55 · 2021年5月3日·Twitter Web App Cf.
https://note.com/toxandoria2/n/n7f729d5bf46c
■“時間反転”対称性の破れ(時間の矢)がなぜあるのか?を隠れモチーフにしたブログ記事(↑当記事と同内容)、2分解バージョンの(1/2) →
https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/05/03/052932
■“時間反転”対称性の破れ(時間の矢)がなぜあるのか?を隠れモチーフにしたブログ記事(↑当記事と同内容)、2分解バージョンの(2/2) →
https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/05/03/103231
(関連Tw情報)水のイマージュ2 @tadanoossan2/ >a焦点はファイルの中身や、bそれが裁判でどこまで開示されるか ←同感!<「a=核心≪内容≫消去ズミ」、「b=司法・検察との≪手打≫ズミ」>の可があり、信用できない!むしろ、昨今、急に表舞台へ蘇生中!?アベサマ本格復帰↓★への露払いでは?w 午前6:24 · 2021年5月5日·Twitter Web App https://twitter.com/tadanoossan2/status/1389692522507632640 ・・・返信先:冨永 格(たぬちん)さん/@tanutinn 〈焦点はファイルの中身や、それが裁判でどこまで開示されるか。民事訴訟法は、開示で「公務に著しい支障が生ずるおそれ」がある場合、その部分を外して提出することを認めている。開示の範囲や方法をめぐり、国と原告、裁判所が協議する〉…先にツイートした朝日記事↓ https://twitter.com/tanutinn/status/1389676948574511107
(↑関連Tw)山添 拓さん @pioneertaku84 ⋰東京五輪について安倍前首相「オールジャパンで対応すれば何とか開催できると思う」「国民の不安にも応えていかなければならない」↓ ←漠然とした不安ではなく、現実に感染が拡大し、くらしは不自由を強いられている。何の根拠もなく「何とか開催」とは、なんと無責任な! 午後3:51 · 2021年5月4日·Twitter for iPhone https://twitter.com/pioneertaku84/status/1389472777590120448
(↑補足情報)1/【“#日本会議”支配下で健全な政治リテラシーが不在!戦前へ回帰し始めた日本!】メディアの翼賛&怠慢で国民は一切のリアルを見ていない!#日本会議 に忠実なスガの支持率が、如何なる“悪政”でも頑として下がらぬ!という国民の自信のなさが問題!→(2へ)午前10:54 · 2021年5月5日·Twitter Web App
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1389760448942149633
2/【事実上の“日本会議”支配が深化&重篤化!】・・・菅首相が「#日本会議」系<#改憲>集会で自らの<コロナ対応失敗>を<#緊急事態条項>にスリカエるビデオ・メッセージ!#国民投票法 も強行へ503リテラ 午前10:58 · 2021年5月5日·Twitter Web App https://twitter.com/tadanoossan2/status/1389761270652366855
(完)
・・・(補足2)「政治・行政・司法&メディアの四権力にリアリズム倫理(Fiduciary)が完全欠落」という<現代日本の致命的欠陥(政治観念的な異常病理で殆どの国民も無関心!)の表れ(2) →春、じわり負担増 減る年金・増える介護保険料 4月から暮らし、こう変わる329朝日
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1376727080767905797
・・・
<注>マクロ・プルーデンス(Macro Prudence Policy)・・・金融システム全体のリスクの状況を分析・評価し、それに基づいて制度設計・政策対応を図ることを通じて、金融システム全体の安定を確保するとの考え方で、 考査 や オフサイト・モニタリング といった活動に代表されるミクロ・プルーデンス(個々の金融機関の健全性を確保すること)に対置される概念。https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/pfsys/e14.htm/
<注>タクソノミー(@EUが打ち出すタクソノミーはサステナブルの指標として有効か、https://www.sustainablebrands.jp/news/jp/detail/1197245_1501.html)
・・・国連は2006年に投資家に向けて環境・社会・ガバナンス(ESG)に取り組んでいる企業への投資を呼びかけたPRI(責任投資原則)を発表した。それから13年が経ち、EUは2019年にサステナブルの基準を示す「タクソノミー」を公表するなど、ここにきて持続可能な社会を目指したリスク・リターン・インパクトのバランスが取れた投資が金融機能として求められている。サステナブル・ブランド国際会議2020横浜では、日本でもEUのタクソノミーをそのまま導入できるのか、投資インパクトをどのように評価するのかなど新たな課題が話し合われた。
・・・なお、タクソノミーとは、もともと生物学の用語で「分類学」(Custom Taxonomies、https://ja.wordpress.org/support/article/taxonomies/)を意味する。EUが2019年6月に公表したレポート「Taxonomy Technical Report」は気候変動と緩和を対象としており、企業活動のうち何がサステナブルでサステナブルでないかを分類している。EUには金融市場全体をサステナブルにする大きな目的があり、グリーンボンドの基準、非財務情報や投資家による情報開示は、タクソノミーが基礎となる。
(完)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?