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折本を折りながら

 こんにちは。銀野塔です。
 ひとつ前の記事に書いたように「一人文芸倶楽部Tower117」として詩の塔野夏子、五行歌の南野薔子、短歌の桐野黎、俳句の星野響、と一人四役(?)の折本をおうちdeちょこ文の折本フェアという企画に出していました。その折本フェアが終了、たくさんの作品を読めてたくさん感想を書いて、また私の作品も読んでいただけたり感想をいただけたりして、とても楽しかったです。その楽しさ等はツイッタの方に任せることにして、折本ということで思い出したことなどを書いてみます。

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 折本フェアで、プリントアウトしたたくさんの方の折本をたくさん折ったが、うまく折れない。だいたい子どもの時から、折り紙をきれいに折るのは苦手だった。いや、折り紙に限らず、細かい作業をきれいにやる、みたいなことは全般的に苦手。字も下手だ。絵も、枠線通りきっちりきれいに色を塗る、といったことができない。小学校の時の家庭科で、裁縫の初歩のボタン付けのときに先生から「不器用」と云われた。算数の課題で、決められた図形をきれいに描く、みたいなのもダメだった記憶がある。中学校の時に美術でレタリングやらされたときもダメだった。料理自体はそんなに嫌いではないが、細かいみじん切りとか千切りとかはきれいにできない。さらに云えば、自動車の免許を取るときの適性試験で「適応性、注意力、判断力、柔軟性、決断力、動作の安定性」は一応AからCの中におさまっていたが「緻密性」はD判定であった。
 自分で云うが、私はだいたいにおいて繊細というか神経質なたちだ。なのに手先が不器用。なにか間違ってないか。
 まあでも、たとえば部屋が散らかっているのは平気だったりするので、私の中で、繊細なところとそうでないところのばらつきがでかい、ということなんだろう。

 20世紀の終わり頃から、十数年にわたって、何度も拒食に陥った。入院も何度もした。ありがたいことに近年は大崩れしてないのだが(拒食というとやせ願望とか、アスリートの体重管理の行き過ぎとかのイメージが強いかと思うが、私の場合どちらでもなく、詳しい話は省くがストレスや疲れが拒食というかたちで出たものだろうと思う)。
 で、たいていの時は一、二週間程度で持ち直していた。が、あるとき、三か月くらいまともな食欲がなく、そのうち二か月くらい入院していたことがある。
 入院していて、ようやく回復の兆しが見えてきた頃、作業療法士さんから折り紙をすすめられた。それで鶴を折ってみた。
 なんというか、下手とか不器用とかいうレベルにも達しない、へにゃへにゃの鶴ができあがった。力が入らないから、まともに折れないのである。
 だが、だんだん回復してくるにつれ、ちゃんと折れるようになっていった。入院生活の退屈をまぎらわすのもあって、鶴以外にもいろいろ折った。家にあったポケットサイズの折り紙の本を持ってきてもらい、それまで折ったことのなかったものも折ってみたりした。それはそれで楽しかった。こうやって、実際に手で行う作業で、自分の回復を実感出来る、それが作業療法なんだなあ、と納得した。
 手作業ってストレス解消にもいいというし。そういえば、私はそんなに上手ではないとしても、子どもの頃から、折り紙をすることも、絵を描いたりすることも嫌いではなかった。むしろ好きだった。うまくなくても「つくる楽しさ」が多分好きだったのだ。
 手作業というのとは少し違うが、私はあやとりもわりと好んでいた。子どもの頃憶えたものは忘れていない。なので、作業療法で折り紙をやるようになってから、病室に紐を持ってきてもらってあやとりもやっていた。だから、南野薔子五行歌集『硝子離宮』(市井社)に載せた次の五行歌は実話である。

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 今回、たくさんの折本を折りながら、うまく折れないまでも、なんだか折ること自体がとても楽しかった。下手でも、へにゃへにゃでなく折れるだけ御の字、と思ったりした次第である。

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