宇津保物語を読む5 吹上 下#8
院、涼の琴の由来を問う。涼、三条に住む。
訳
嵯峨院も涼の琴を着き、たいそう驚き不思議なことだと思われる。
「仲忠の朝臣の琴は俊蔭の朝臣の手に優ることこの上ない。しかし、涼はまるで神仏の変化のもののようだ。胡笳の調べは俊蔭や弥行と同等の、まるで丹比弥行の手そのものだ。弥行は消息を絶って30年あまり、その血筋も絶え、その技を受け継ぐものもいない。涼は20歳ほどなのに、その琴の曲の手は弥行と同等なのは、どういうことか。」
とおたずねになる。
中将涼が申し上げる。
「弥行が亡くなって今年で6年になります。朝廷にお仕えしてもものの数にも入れてもらえず、学問でお仕えしていても甲斐がない。菩提のお勤めをしようと深い山に入って修行しておりましたが、私が5歳の時、熊野に詣でたおりに出会いまして、そのときはすでに山伏となっていた弥行が申すには、
『私は琴の演奏で世間に名をなしていたが、この手が世に残らないことの悲しさに、今まで俗世をさまよっていた。もし、貴君がこの手を伝承するならば、私が亡くなった後も守護霊となってお守り申そう。それがかなうなら、今すぐにでも獰猛な獣にこの身を与え深き谷に屍をさらすことにしよう。』と申して、もとの山に籠もってしまいました。このような遺言を今まで実行できないでいました。」
と申し上げる。嵯峨院はたいそう驚き胸を打たれていらっしゃる。
こうして宴も終わり、まずは帝からお帰りになる。
[絵指示 省略]
こうして、源氏(涼)は三条堀川のあたりに家を造り、清らかに磨き整えた。
種松は、財宝をその屋敷に納めて、多くの調度品を金銀瑠璃によって飾り立て、涼を住まわせなさる。また、かつて都から迎えた妻を、つれて上京する。
種松は、五位の緋色の袍に白い笏を持って、妻君に拝礼した。
妻君は「思いもかけない喜びですこと」といって、
(妻)「露や時雨もあなたを避けて
出世することかなわないと思っておりましたのに、
こうして袍の色が変わりましたことは
なんとありがたいことでしょう。
種松
雲にまで届く松の末があると聞いたので、
隠れている根も色が変わったのです。
(涼のおかげでこうなったのですよ)
その後、紀伊守となった種松は国に下って、美しく風情ある土地で、楽しく暮らした。
涼中将は、世間の人々が婿にしようと争い申し上げるけれども、聞き入れず、宮仕えを熱心に行い交際なさるので、人々から一目置かれるようになった。時勢に乗ること藤中将仲忠と同じであった。
種松が妻に拝礼するシーンが印象的です。
種松の出世は、この妻をめとったことから始まる。もとは大納言の娘であり、都ではそれなりの暮らしをしていた妻を、田舎に連れて行き苦労もさせた。田舎で手にいれた財も妻の教養があってこそ上手に活用することができた。現に都から仲忠や嵯峨院が来たときも、妻のもてなしが彼らを喜ばせた。
すべては、涼を育て世に送り出すために天が定めた運命。
その役目もこれで果たされ、種松の生涯が報われた。
それを妻への感謝としてあらわす。なんともダンディです。
きっと、のどかな余生を送ることでしょう。
涼の琴は弥行直伝のものでした。仲忠と対立するためには、師匠も同等でなければなりません。俊蔭と等しい実力を持った弥行という人物が造形されます。
俊蔭と同等との評判をとりながら、学才においては認められず出世もままならない。それを恨んで遁世する。キャラとしては面白い。そもそも弥行はどこで琴の技を身につけたのか。
弥行のもっと詳しいエピソードを読んでみたかったなあと思います。