宇津保物語を読む7 菊の宴(実忠抄)#1
菊の宴のあらまし
「菊の宴」は「吹上下」に続く章段である。東宮主催の菊の宴から、大宮主催の太后六十の賀と行事が進む中で、あて宮が東宮のもとに入内する話が進展し、いよいよ本決まりとなろうとする。
仲忠、仲澄、藤英、忠こそ、兼雅など、懸想人たちは嘆き悲しみ歌を贈るが今さらどうなることではない。そのような懸想人たちの姿を描く中で、実忠親子へと筆は進む。
実忠、妻子をかえりみず正頼邸にこもる
訳
さて、源宰相(実忠)は三条堀川のあたりに広くて風流な家に住んでいらっしゃった。妻には今を盛りの上達部が大切にしている一人娘を14歳の時に娶り、ほかに恋人も作らず、たいそう仲睦まじく、
「この世は言うまでもなく、来世においても、草・木・獣になったとしても、必ず友だちとなろう。」
と契りを交わしお暮らしになる。そうして男の子一人、女の子一人をもうけた。女の子は袖(そで)君、男の子は真(ま)砂(さ)子(ご)君という。
真砂子君のことを父親である実忠は片時も見ないではいられないほどに溺愛し、大切に育てなさる。そうしているうちに、家の中は豊かになり、金銀、瑠璃の大御殿に身分の上下様々な使用人を木を植えるがごとく置いて暮らしていらっしゃったのだが、この度、あて宮に思いを寄せるようになってからは、長年の契りを忘れ、愛する妻子のことも顧みないで、左大将邸に籠もりっきりで、妻子のもとには吹く風、飛ぶ鳥にことよせても訪ねることなく、何年かが過ぎてしまった。北の方の思い嘆きなさることはこの上ない。
あて宮の熱心な求婚者である実忠の紹介。
「藤原の君」の頃より、早くから熱心に思いを寄せる姿から、てっきり純情な若者であろうかと思っていたら、何のことはない、妻子持ちのオジサンであった。
実忠の子息 真砂子君、父を恋いつつ死去
訳
2月の頃となった。実忠不在の間に、邸宅はしだいに損なわれ、使用人の数も減り、池には水草が生え渡り、庭には雑草が茂り、美しかった木の芽や花の色も昔とはずいぶんと様変わりしてしまった。
それでも朝になれば、もしかしてあの方がいらっしゃるだろうかと待ち暮らし、夜になれば面影としてでも見えるだろうかと頼み続けている。涙を流して物思いに沈んでいらっしゃるうちに、とある春雨が所在なく降る日、雨に降り込められて若君たちが父君を恋いつつ泣いていらっしゃるのを母君は身にこたえるほど悲しいと思い、ウグイスが巣に卵を産んだまま放置して雨に濡れているのを取らせて、このように歌を書きつけて実忠のもとに届けさせる。
(実定妻)「春雨が降る、古びた我が家は雨漏りがしております。
辛いのはそんな家で涙に濡れている子どもを見なければならいことです
こんな雨に濡れた鶯の巣と変わらぬ我が家はさぞ見苦しいことでしょう。それにしても浜の真砂は数知れずと言われますが、真砂子君の悲しみも同じほどでございます。」
とお書きになる。それを読んだ源宰相(実忠)はほんとうにどれほど悲しんでいることだろうと偲ばれて、
(実忠)「住み慣れた我が家を恋しく思っています。
たとえウグイスが美しい花に心を移したとしても。
などと、心のどかにお思いください。私としても、ほんとうにどうしてこうなってしまったのだろうと思うのですが。
『浜の真砂子の数を数えきった時に帰るよ』と子どもたちには伝えてください。」
と書いてある。
北の方はこの手紙を読んで涙を流す。真砂子君13歳、袖君は14歳であった。真砂子君は父君が撫で育ててくださったことばかりが恋しく、遊びもせず、何も食べないで悲しんでいる。
「父君が私をかわいがってくれたときは、遊んでいても私がちょっとの間そばを離れただけでも心配してくださったのに、今では我が家の前を通り過ぎても立ち寄ってくださらないのは、もう私のことを我が子だとは思っていらっしゃらないからなのでしょう。親のない子は心も弱く、学問も習わないので、官職を得ることも難しいと聞いている。私こそがそんなみなしごなのだな。」
と思い込み、病気がちになり、ますます衰弱してゆく。
真砂子君は乳母に
「私は父君のことをこんなに恋しく思っているのに、もう生きていられそうにない。母君を守って差し上げたいと思っていたのに。」
と泣きながらおっしゃる。
乳母「まあ、いやですこと。なんてことをおっしゃるのですか。母君も、今は貧しくていらっしゃいますが、あなた様がいらっしゃればこそ将来を頼みとして多くの人がお仕えしているのです。あなた様がいなくなったら、私をはじめ、何を頼りとしてお仕え申したらよいか、ぜひお察しください。つらくひどい仕打ちの父君のためにご自身の命を粗末になさいますな。」
と泣く泣く訴える。
真砂子君「そうは思うけれど、やっぱり生きていけそうにないよ。私が死んだら、私の分まで母上によく仕えておくれ。」
などと言い続けているうちに、ついに父君を慕いながら亡くなってしまった。
母君も取り乱し嘆きなさるものの、すでにかいもない。
ここにもまた悲しい事件である。あて宮への恋は当人だけでなく、家族までも悲劇に巻き込んでしまう。まったくもって罪な女である。
恋は盲目と言うが、前回紹介した仲頼はまだそれでも自制心があったが、実忠の返事とその歌には、まったく家族に対する愛情が感じられない。
恋によって家族への愛があせてしまったことも、「げにいかに、と思ふものから」と自分でもどうしようもないと開き直り、「花に心も移る」なんて言い切っているのだから「のどかに思したれ」といったって、「のどか」に思えるはずないではないか。
わが子に対しても「真砂子を数え尽くしたら」なんて、永遠に帰らないといっているようなものだ。
あて宮を一途に恋い慕っている姿にちょっと同情していたが、その裏で家族がこんなにも傷ついていたとは。
わが子の死を実忠はどのように受けとめるのであろうか。