宇津保物語を読む5 吹上 下#5
神泉苑の紅葉の賀 仲忠、涼、琴を弾く
訳
こうして、嵯峨院は紀伊国からお帰りなさり、朱雀帝は、院のもとへ神泉苑で紅葉賀を開催するとの案内を申し上げなさる。
右大将(兼雅)は三条の北の方(俊蔭娘)におっしゃる。
「嵯峨院は紀伊国の源氏をお供として連れて帰京なさいましたが、神泉苑での行幸に院もいらっしゃり、管弦の遊びが開かれるなはずなので、仲忠侍従も琴を演奏すべきなのだが、どうせなら人よりも優れた演奏を披露するのがよかろう。例の、しばらくは秘めておこうとおっしゃった例の琴は、この機会にお出しになりませんか。」
北の方「亡き父が世にお出しにならなかったものを、私の代で世に出すのも心苦しいことです。」
右大将「この世に希な楽の音を、帝の御前で一度この侍従に演奏させたいのに。後にも先にもめったにあるまいことをさせましょうよ。」
といって、秘琴を北の方から請い受けて御行幸のともに参加なさる。
さて、嵯峨院も神泉苑にご到着なさった。
世の名手とされる者たちもみな集まり、文人も選ばれた者すべてが参上する。
その折、嵯峨院は帝とのお話しのついでに
「不思議なほど世に珍しいところがあると、だれそれが申していたので、見てみようかと出かけてみたのだが、それがこの涼の住んでいたところでね。あれこれと見てまわったが、たしかに、この世に類のない場所であった。でもまあ、そんな田舎に、そのまま住まわせておくわけにもいくまいと思い、この子を連れてきたのだが、殿上などを許し、お仕えさせてはくれんかね。」
というと、帝は「承知いたしました」ということで、涼には宣旨が下り、昇殿がゆるされることとなった。
こうして、宴は始まり、文人たちは詩題をいただき、上達部、殿上人、文人たちが詩を作り、それを文台にのせて献上する。
この機会に、季英は式部省試の詩題をいただき、ひとり船に乗せられて池にこぎ出す。すぐに優れた詩を作り出した。、それによって進士(文章生)の資格が与えられ、紀伝道の最終試験である方略の受験資格が与えられた。
こうして、管弦の遊びが始まり、上達部たちは技を惜しむことなく披露する。
嵯峨院が仰せになるには、
「上達部たちが技を惜しくことなく披露しているのに、涼、仲忠が何もしないでいてはいかんだろう。琴を弾かせるがよい。」
と帝におっしゃる。
帝、「そのように命じましょう。とくに仲忠は、琴を弾くように命じても、はぐらかすことが何度もありましたから。」
とおっしゃり、仲忠をお呼びして、
「『このような宴の日であるにもかかわらず、まして、仲頼や行政らが技を尽くしている夜であるのに、仲忠が何もしないでいていいわけがない。』と院がおっしゃっていますよ。この琴で一曲披露なさい。」とおっしゃって、「せた風」を胡笳の調子に整えて仲忠にお与えになる。また「はなぞの風」を同じ調子に整えて源氏の侍従(涼)にお与えになる。
仲忠はかしこまって申し上げる。
「ほかの方たちは今日のためにわざわざ準備した手ではございますが、私のたまたま演奏することのできた手はすでに以前披露したものばかりでして、今日のために準備しておいたものはございません。」
と申し上げる。
帝「残した手がないというなら、以前弾いたものをもう一度披露するがよい。才能というものは誰かに聞かせて、上手であると評価されるのがよいのだ。今宵演奏しないではどうしようもないだろう。早く弾きなさい。」
とおっしゃるが、それでも弾こうとはしない。
帝「仲忠の前では天子の位も甲斐なしだ。蓬莱の不老不死の薬の使者でさえ、帝の命令には背くことができずに海を渡のに。ともかくもまあ、弾きなさい。」
とおっしゃる。仲忠は恐縮して、お言葉を聞いてはいたものの、涼と牽制し合って、なかなか演奏が始まらない。
帝「しかたがないのう、涼、おまえから音を奏でよ。」
とおっしゃる。涼は困ったなあとは思いながらも、先ほど整えた胡笳の調子で序破急の序の下りをかすかにかき鳴らす。仲忠もようやく同じ琴をそれに合わせ、胡笳の手を演奏する。
夜が深まるにつれて、琴の響きは高まってゆく。人々が心惹かれて聞くうちに、胡笳の手をすべて弾き尽くしてしまった。帝をはじめその場にいあわせたすべての人は涙を流しなさる。
帝は仲忠に杯を賜う。
秋を経て、やっと聞くことのできた琴の音に
松の枝の蝉も声をあわせて鳴いている。
(巣ごもる蝉=吹上に引きこもっていた涼)
仲忠
秋が深いので、山辺に吹く松風を
時に珍しいとも思わずに蝉はきっと聞いておりますよ
(蝉=涼)
嵯峨院
長い秋の夜が更けてゆくのもうれしいことだ
朝露を落とす小松の影に涼むことができるので
(「よ」=「夜」「世」 小松=涼)
涼も杯をいただいて
風が強いので、露さえ置くことがない小松には
宮人が涼む陰などございませんよ
(わたしなどとてもとても)
二の皇子が杯をお取りになり、琵琶を弾く仲頼に与える
木陰ごとに誰もが涼む松よりは、
私としては風がいつまでも吹いてほしい
(風=仲頼の琵琶)
仲頼は杯をいただいて
松が近いので、吹き来る風もいっそう荒れています
秋の木陰には誰も涼みはしないでしょう
(私などまだまだ)
三の皇子が杯をお取りになり箏の琴を弾く行政に与える
木枯らしの風が吹いたといって、
松虫は繁った木陰にいると人は見ることでしょう。
行政はそれをいただいて
何年たっても葉も落ちず変わらぬ松からは、
どうして木枯らしの風が吹のでしょう
四の皇子、和琴を弾く仲澄に与える
総じてどれが松風であるか聞き分けることはできませんが、
私にとってはとても涼しい木陰でしたよ
仲澄は杯をいただいて
隠れ沼の草葉をさやさやとさせる風でさえ、
松風の響きにどうして喩えることができるでしょう
と詠んで杯をいただく。
5人は連れだって庭におり舞踏をする。
いよいよ仲忠と涼の琴の共演となる。
なかなか弾こうとしない仲忠、しかし、いつもと違うのは、仲忠は涼を強く意識している。
涼の力量をはかりかね、うかつに技が出せないのだ。まずは無難に一合わせ。
二人の技量はこんなものではない。
いよいよ真の対決が始まる。