誰もが等心大で居られる、誰もがそこに居ていい社会をめざして
僕は僕自身が “等心大” でありたいと願うと同時に、誰もが等心大で居られる社会になってほしいと願っている。
今は障がいがある方の社会復帰を支援する仕事をしている。
彼らは幼い頃から自身の特性が社会に受け入れられなかったり、社会で働いたがうまくいかなかったりして、今僕とともに働いている。
社会を見渡せば、「障がいがあるなんてかわいそう」とか「普通じゃないんだ」なんて見方でありふれている。
もちろん障がいの程度によっては、とんでもない生き辛さを感じる社会であることは間違いない。
でも、だからと言って、彼らがありたいと想う姿や実現したい人生を追い求める権利までは奪えない。
誰もが等心大で居られる社会は、言い換えれば、「誰もがそこに居ていい社会」とも言えるだろう。
障がいがあるから〜とか、男/女だから〜とか、外国人だから〜とか。
それは誰かが作った勝手な制約で、本人たちが好んで手にしたものではないことがほとんど。
誰かが作った勝手な制約で、等心大で生きること、そこに居ることを否定してはならないし、できっこないと思う。
誰もがみな、自分をさらけ出せるわけではない。
でも、「さらけ出していいよ!君の等心大を見せていいんだよ!」と伝えることはできるはず。
誰もが等心大で居られる、誰もがそこに居ていい社会をめざして、今日も目の前の人に、等心大で居られる場所を創り続ける。
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