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辞書を読みまくったら、言葉の意味を調べるより言葉をどう使うかを考えるようになった
皆さんもう新明解国語辞典(以下・新明国)は購入されて読まれたかと思いますが、いかがでしたか?
様々な気付きがあったかと思いますが、辞書に書かれている言葉はすべてが正しいと思っていませんか?
その考えは甘い。辞書、いや言葉というものは結局私たちが使うものであるのです。
何を当たり前のことをと思ったでしょう?だけどこれが難しい。
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例によって、『舟を編む』の解説文の平木靖成さんの文章を掲載したい。
たしかに辞典は言葉の規範を示しているように思われるが、実際は、辞典が言葉を提案することはできず、世間の言葉の後追いしかできない。また、日本語は標記が多様であり、基準が厳密でない面が多くある。
そのため辞典を、言葉を「正しさ」の枠に押し込めるよりも、もっと自由に言葉を使うために使ってほしいと常々思っている。お好みの辞典を、そこで得た情報を踏まえて、言いたいことをきちんと伝え、且つ相手の心に響く自由な表現をするために使ってもらえないかと思うのだ。
辞典が権威や権力として言葉を縛るのではなく、道しるべでありたい。(pp334-335、執筆者によって一部抜粋)
辞書は様々な言葉の意味を紹介しているが、肝心のその言葉を使うのはもちろん辞書ではなく私たちである。
たとえば最近では男女平等という言葉がトレンドである。
だから新明解国語辞典では「女性らしい」「男性らしい」という言葉の解釈を減らし、恋愛の対象を「異性」から「特定の相手」に変えた。
しかし、果たしてこの解釈だって人の偏見がある中で書いたのだから、ふさわしいかわからない。
あちらを立てればこちらが立たないはよくあることだけど、すべての人を納得させられるものは厳しいだろう。
ちなみに、新明国では過去に使われていた用例をなくすことはしないらしい。古文を理解できなくなるから。だから大きく意味が変わる言葉ってのは、現代たくさん使われている新語ばかりなのかもね。
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私たちは自分の思いを自分の頭で考えて、相手に言葉にして伝えることができる。言葉は自分の思いを伝えるためのツールだけど、辞書はそのツールの参考備品でしかない。
だから、語彙力がないからって悲観する必要はない。
もちろん知っているに越したことはないが、たとえばLGBTとか知っていたところで同性愛なんておかしいと思いながら同性愛者に「おかしくないよ!」なんて言ったってうれしいわけがない。
逆に、たとえば思いやりを持っていれば必ず相手に伝わる。悪口や怒りの裏に隠された自分への温かい思いなんかは、言葉以上に伝わることだってある。
皆さんも相手の熱意に負けたとか、褒め言葉に感情がこもっていないお世辞だと思って冷めてしまった経験はないだろうか。
あなたの感情は、実は言葉よりもはるかに強い影響を与える。
辞書は発言者の感情を少しでも楽にするための手助けをするだけで、答えを提供しているわけではない。そのことは決して忘れてはいけない。
もちろん誤解をもたらす話し方とかもあるけど、そういうことだ。
言葉が簡単に明文化されて拡散される時代になって言葉に頼るのは必要になったとはいえ、言葉の絶対視はいけないと思う。気づかないうちに人を傷つけうるのだから。
なんなら私の場合、変に気を遣うなら正直になれと思ってしまう。
だから素直になったほうがいいのだ。少しならまだしも、本心をゆがめてまで言葉を操らないといけないとは思わない。それで仲が悪くなるならその程度の付き合いということで仲が悪くなるのが少し早まっただけだ。
自分の想いを伝えるための「言葉」というツールは実は万能ではないのだ。
当たり前のことだけど、言われて気付くということもあるのであえて長ったるく書いてみた。
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ところが残念ながら最近ではご存知の通り、オンライン授業やテレワークだのになって直接人と会う機会が減ってしまった。
色々な人と音声通話またはビデオ通話をするようになったけど、うん、相手の感情はふつうに会った時の会話と比べると、全然わからない。
この記事だって真剣に相手にどう伝えればいいかうんうんうなって考えて書いてるけど、そんな思いは結局ツールでしかない文字からしかわからない。(ああ、そういう意味ではやっぱ辞書は必要なのか)
パソコン越しだとどうしても相手の感情を感じる限界がある。そしてその壁を超すことはおそらく不可能だ。
パソコンでお互いやる方が楽で便利だろと思っていたし、営業は足でするもの、というのが時代遅れだと思っていたけど、今ならどちらがよかったのかわからない。
人と会うという行為は想像以上に重要だったんだなとつくづく思う今日この頃。
SNSといった文明の発展は人の感情を一切見せなくする。それはいい意味でも悪い意味でも、冷たい。
電子書籍を最近購入してまあ便利だなと思うけど、何か大事なものを失ってしまったのではないかと思ったりもしている。
言葉だけで本心を伝えるのは難しい。いろいろな人の話を聞いて相手の思いが乗り移るんだなあと改めて感じた。
新明解国語辞典の改訂は割とニュースになってる今だからこそ、言葉と感情とどう付き合うか真剣に考えていきたいな、と改めて思った。
恐らく卒論、それ以降も考え続けるだろうから、定期的にnoteに書いていきたいな。
ちなみに、上記に書いたのを踏まえて「新解さんの恋愛観」の続編を絶賛編纂中なので期待して待っててくださいね!
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とはいえ辞書は時代に即して言葉の解釈も変えているから、知っておいて損はないよね。↓