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シボレート ひとを殺すための言葉


シボレート(シボレス)とは

 旧約聖書の士師記には、次のような逸話があります。
 ギレアデとエフライムという二つの部族が抗争していた時、エフライム人は殺戮を逃れるため川を渡ろうとしました。エフライムの落人を見つけたギレアデ人は、「川」を意味する「シボレート」という言葉を言わせました。エフライム人は、「シ」の音を発音できないからです。正しく「シボレート」と言えなかった者は渡し場で殺されました。

「シボレート(Shibboleth、シボレス)」とは、この故事に見られるような、ある集団の構成員を他から区別するための一種の合言葉です。言語以外の文化などが判断基準になることもあります。

”十五円五十銭”

 シボレートは、時代も場所も異なる近代日本でも使われました。1923年9月1日に発生した関東大震災では、社会の混乱の中で「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」などのデマが横行し、多数の朝鮮人や中国人、それらと誤認された日本人らが殺害されました。

 この時、朝鮮人と疑われた者に対し、彼らには発音の難しい「十五円五十銭」を言わせて区別したことは有名です。

”パセリの虐殺”

 1937年、中米カリブ海のドミニカ共和国において、隣国ハイチからの移民が虐殺される事件が起きました。

 ハイチ人はハイチ語(フランス語と現地語が混じってできた言語)を、ドミニカ人はスペイン語を話します。ドミニカ兵は「パセリ(スペイン語でperejil、ペレヒール)」と言わせ、スペイン語らしく発音できなかった者を殺害したとされます。

”トマトの虐殺”

 中東のレバノンでは、イスラム教のスンナ派とシーア派、キリスト教などの宗教が混在しています。各宗派に気遣ってバランスを保ってきたレバノンでは、パレスチナの難民が流入したことで政治バランスが崩れ、内戦に突入しました。

 1975年~1990年にかけてのレバノン内戦では、パレスチナ難民が憎悪の対象となり、主にキリスト教徒の民兵に殺害されました。

 レバノン人の民兵は、パレスチナ人を峻別するために「トマト」と言わせました。レバノンでもパレスチナでもトマトは「バンドゥーラ」と言いますが、レバノン人とパレスチナ人では発音が微妙に違うのです。


 人は言葉を通じて自己を他者に理解させ、他者のことを理解します。同時に、言葉を通じて「敵/味方」を峻別し、時には一方的に殺戮することもしてきました。旧約聖書の時代から近代にいたるまで、人類は同種の過ちを繰り返し続けています。

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