原書感想文①「성덕일기」(映画『成功したオタク』)
"어느날 , 오빠가 범죄자가 되었다"
ある日突然、オッパが犯罪者になった
韓国、教保文庫で見つけたこの文句に惹かれ、ほぼ衝動買いに近い速さで買い物カゴに入れた。
自分の推しが犯罪を犯し、強制的にオタク生活が終了することになったオ・セヨン(오세연)監督。オタク生活が終了しただけでない。それまで好きという感情ひとつで注ぎ込んだ時間と愛情全てが、一瞬で口に出すのが躊躇われる黒歴史に変貌してしまった。しかし、この監督はそんな経験で感じた怒り、悔しさから一本のドキュメンタリー映画"성덕"(和訳すると”成功したオタク”)を作ってしまい、そして釜山国際映画祭で上映された。それだけに留まらず口コミが広がり全国の劇場で公開されるまでになった。この本はその映画のビハインド、制作過程等をまとめた一冊だ。
彼女のオッパ(오빠)はチョン・ジュニョン(정준영)だった。
2019年、女性を泥酔させ集団性暴行、そして無断で盗撮した女性のわいせつ動画を数回に渡りグループチャット内に共有したことで集団性性暴行罪の疑いで逮捕された。このグループチャットにはBIGBANGのメンバースンリ、FTISLANDのチェ・ジョンフンがメンバーだった。その後ジョン・ジュニョンは懲役5年の刑が確定し、現在も服役中だ。
この本の一番の不思議な点は、入口と出口の感情が全く違うことだ。
誰かを好きになって走ってきたが、その行き着く先が「推しの逮捕」だった。つまり失敗オタクのストーリーなのだ。なのに本を読み終わった頃には「誰かを好きになるっていいことだな」という幸福感と満足感が味わえる。主題は明らかにバッドエンディングなのに読み手の感情は上向きで結末を迎える点だ。入口と出口の収支が明らかに合わない。
「一体どうしたらその感情に至ったのか」
読んだ私自身がいちばん気になり、書いて整理してみることにした。
「同情心」
入り口は「同情心」だった。
私も程度はあるにしろ常に誰かを「ファン」だった。少女時代、f(x)、和田彩花、アンジュルム、SUPER JUNIOR、VIXX、宝塚(まぁみり)等々。
好きだった時にその人のことを考え、布教活動に勤しんだ。特に私は周りにオタク友達がいなかったので、時にはわけのわからない母親にいかに少女時代がかっこいいか話したり、いつか好きになるかもしれないと思って友達とカラオケに行ったときはあえてK-POPの歌を歌ったりしていた。私の「推し」が幸せになってほしいし、それを私の努力で少しでも貢献したいという思いでいっぱいだった。誰かの「ファン」「オタク」だった、その推しにかける時間や愛情、努力が決して小さいものではないことを知っていたからこそ結末がより気の毒だった。
「尊敬と憧れ」
その次にやってきたのは「尊敬と憧れ」だ。
だが私はオ・セヨン監督のような熱烈なファンではなかった。正確に言えば「熱烈なファン」になれなかった人種だ。何故なら、熱烈なファンでいることは日常生活の維持が難しいほど心が消耗されるからだ。私の「推し」が世間によく見られたい、良い成績をおさめてほしい、ずっと長く活動してほしい、活躍してほしい、等の欲望に覆われる。自分は生活の全てになるのに、推しにとっては「生活のほんの一部」で、私が「ファン」としてどうにかできる力は限られていることに気づき、その無力感と欲望の置き所がわからない。それでも「好き」だから心を削りながら「オタク」としての使命感に勤しむのだが限界がきていつも熱烈なファンであることを放棄する、その繰り返しだった。
けれどもオ・セヨン監督がオタクとして発揮した行動力は恐ろしいほどだった。毎日フェンカフェをチェックするのはもちろんのこと、サイン会にチマチョゴリを着て参加した。そして結果的にテレビでその「推し」と一緒に出演までした。中学生なのにも関わらずファンクラブの中では一目置かれた存在だったという。作文大会で賞をもらった10万円をオッパのギターに憧れてギターを買うのに使った。
私が好きなエピソードは2つある。
1つはオタク活動のためのお金を稼ぐために家のものを次々に売り始めたことだ。小さくなった服や靴や本を売ってオタク資金を集めた。
2つ目は自作グッズ作りだ。まだ公式グッズがない時期、でもグッズを何か持ちたいという一心で自分の好きな写真を一つのファイルにまとめて友達に頼んで課題を印刷ふりをしてカラーインクをたっぷり使って印刷し、そうした努力して下敷きと筆箱を作ってしまった。
まだ学生ということで出来ることが少ない、その限られた中で「好き」という感情1つで卓越した発想力、そしてそれを実現に移す行動力を発揮してオタクとして生きていく姿は、まるである主人公が復讐等の目標を持って驚異的な能力と努力で目標を次々達成していく一片のドラマや映画を見ているようだった。ただ物語の場合は復讐や富や名声を得るため、言うならば「リターン」を求めて行動するが、オ・セヨン監督の場合はただ好きという感情のみで発揮された行動力と発想力だったために一層愛おしく感じた。
「感嘆」
最後に「感嘆」だった。
オ・セヨン監督のオタク生活の実態を知れば知るほどオ・セヨン監督がかけた努力、愛情、時間が一瞬にして黒歴史になり自分の汚点になってしまうことが悲しく、そして気の毒で不憫でしかたがない。本の中でも監督は次のように記述している。
「好き」という感情で一心に注ぎ込んでいたものが、自分の意志とは関係ないところで黒歴史になってしまう。それは自分のアイデンティティの損失でもあると思う。「〇〇が好き」という感情、そしてその人の「オタク」としての自分を殺さなければいけないから。だけれども消せない自分の一部になってしまったものもあるという。
オタクをしながら影響されたことは多かったという。作文大会でもらった賞金で買ったギター、その人の影響できになった曲、歌手、ファッション等々。最初はその人のようになりたいと思って影響されたことがアイデンティティーに移っていく。もう消したくても消せない、消すつもりもない「自分」の大切な一部、自分の要素になっているという。
オタクとして持ちうる行動力と発想力を総動員したオセヨン監督のオタクとしての実行力に尊敬を抱いたのならば、自分の及びしれないところで黒歴史になってしまった自分の過去を映画作成というまた新たな方法で、自分の力で黒歴史すらも自分の要素の1つとして、アイデンティティとして変えてしまった、その手腕に「感嘆」の感情が湧き出た。
自分が「もう一つ」の好きなこと、「映画」を使って自分だけのストーリーに止めるのではなく同じ経験をした人だけでなく、オタク経験のある人々の共感帯を作ったのだ。黒歴史がなくなったとは言えないが、この過去を人前で恥ずかしがらずもう堂々と言えるようになった。
"人を好きになり推すこととは"
「人を好きになるということ、推すはどういうことなのだろうか」
ただが芸能人を好きになるということだけれども、けれど「好き」という感情を通して新しい世界に出会い、新しい人脈を構築して、新しい価値観を吸収して。その経験1つ1つが自分として形作っていく。
「趣味」「私的なこと」として分類されがちなこと、些細なことかもしれないけれど、「オタク」である私の堂々たる一部であることだと、そう思えたことが最後の出口の満足感と幸福だったのかもしれない。ぜひ日本で公開されてほしい。
追記)2024/2/1
日本で公開が決まりました〜!!
ドキュメンタリー映画『成功したオタク』