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今はなき映画館のおっちゃんが私に小さなシアターを創らせた……そんな物語

はじめに

私は奈良市でシェア型のシアタールームを営んでおります。
2015年8月に開業して、今年で8年が経ちました。
映画館のない奈良市において映画を楽しめる場所が、どのような経緯で生まれたかのを、あるおっちゃんの思い出と共にほぼノンフィクション(記憶の揺れアリ)でまとめてみました。

【第一部】 ある映画館のおっちゃんとの出会い

前売り券を買っていた映画が終了していた中二の秋

「イグチ、えらいこっちゃ!」
僕は映画のチケットを握りしめ、クラスメートのイグチ君に駆け寄った。
「新聞(映画館の上演一覧)見たら、もう終わっとるぞ」
「うそやん!」
イタリア製の西部劇が大好きで、塀などの高所からジャンプする際いちいち「ジュリアーノ・ジェンマ〜」と叫ぶイグチ君は、もう一度「うそやん」と声をあげた。
「どないする?」
「お金返してもらお」
もともと今日はその映画を観る予定だったので、映画館へ出向くことに問題はない。
二人の意思決定はすこぶる早かった。
そこであらためて、映画の前売り券に目をやる。

『青い体験』

イグチ君の大好きなイタリア映画だ。
ただ西部劇ではなく、セクシーな家政婦さんが我が家に住み込むお色気ムービーである。
中学生男子としては是が非でも観てみたい作品といえよう。
顔を伏せながらゲットした前売り券だったが、鑑賞機会を逃した二人としては、もはやなりふりなど構っていられなかった。
チケット代500円といえども中学生にすれば大金。死に金にはしたくない。
学校の授業を終えると、大阪上本町にある上六映画劇場へ猛進した。

ラウラ・アントネッリ主演のエロティカルな作品

はからずも名作を観てしまい心を入れ替える中二の2人

「そこから事務所に入って、中の人に言うて」
入場窓口のおばちゃんが指をさす方向に、事務所があった。
そっとドアを開けると、カウンター越しにおっちゃんが座っている。
その恰幅のよいおっちゃんに、もう一度同じ事を伝えた。
「あのぅ、この映画もう終わっているみたいなんですけど……払い戻しってできますか?」
「どれ、見せてみぃ」
おっちゃんは、僕の手から『青い体験』の前売り券を奪い取った。
ラウラ・アントネッリを下から見上げるアングルのチケットをしばらく見てから、僕の顔を一瞥した。

「君ら、前売り券の払い戻しはでけへんで」
おっちゃんの威圧感と自らの罪悪感が入り交じって、いたたまれない空気に包まれる。
もう返金は諦めようと思い、イグチ君へ振り返った。
彼の表情には、普段見せつけてくるジュリアーノ・ジェンマっぽさが微塵もなかった。

「はい、わかりました」と頭を下げて事務所を出ようとしたら、おっちゃんがちょっと笑いながら「まぁ、待ちぃな」と発した。
「こんなしょーもない映画なんか観んと、いまやっている映画を観て帰り。ええ映画やから」
しょーもない映画以外は、意味がわからなかった。
「ほんまはアカンねんけど、君ら学生やから特別に観せたるわ」
関係者用の劇場入り口を示しながら、「ちょうどええ、いま始まったばかりやから」と僕らを急かした。

上映していた映画は、邦画だった。
七三分けの森田健作が甲高い声で喋っている。
どうやら2人組の刑事として、荒涼とした田舎道を歩いている。
なんの映画かまったくわからなかった。
隣に座るイグチ君はイタリア映画でないからか、すでに寝ていた。

物語は終盤になり、オーケストラの演奏が始まった。
題名すら知らないこの推理ドラマに、ここまではなんとかついていけている。
荘厳な管弦楽が静かに、時には激しく鳴り響く。
お遍路の恰好をした父と子が放浪の旅を続けている。
場内のあちらこちらから、鼻をすする音が聞こえてきた。
イグチ君はいつの間にか目を覚ましていて、映像に食い入っている様子だ。
やがて映画は終わり、ダウンライトがあたりを照らした。

「挨拶に行こ」とイグチ君に呼びかけ、2人で事務所を訪ねた。
そこには満面笑みのおっちゃんが、僕らを待っていた。
「な、ええ映画やったやろ」
僕らは素直に「はい」と返した。
「あんなしょーもない映画観るより、こっちの方が断然ええわな」
何度もしょーもない映画といわれると縮こまるしかないが、「むっちゃ感動しました」と礼を述べた。
そしてパンフレットを買って、イグチ君と映画の感想を語り合いながら近鉄電車に揺られた。

『砂の器』

特撮や功夫、アニメ映画以外で、私がはじめて劇場で観た映画となった。

親と子の宿命を描いた感動作

映画館への道中を含めて映画を観たと胸を張る学生時代

その後上六映画劇場では『ロミオとジュリエット』『あの空に太陽が』を観た。
ただし事務所のおっちゃんとは会うことはなかった。
やがて高校生になり、映画好きがますます加速した。
午前中に南街劇場で『ザ・ディープ』、午後から南街スカラ座で『サスペリア』を連チャンするなど、70年後半から80年代にかけては映画三昧だったといえよう。
映画作品そのものが好きというだけでなく、映画館で映画を観る行為が自分にとって輝かしい時間だった。
それもこれも上六映画劇場のおっちゃんが、素晴らしい映画体験を中学生の私に与えてくれたからだ。

大学を卒業し一般企業に就職。その後、独立から倒産を経験するなどめまぐるしい日々が続き、レンタルビデオの台頭などあって、映画館で映画を観る機会は減少する。
そんな折り、上六映画劇場が閉館したというニュースを聞いた。
2004年のことだった。
東京で暮らしていたため、上六映画劇場がなくなった事実をしばらくは知らなかった。
映画と映画館を紐付けて記憶している場所がなくなるのは寂しい。
あの時のおっちゃんを探してもらおうかと探偵ナイトスクープへの依頼を考えたが、いかんせん東京にいたので番組が放映されていないのである。
……やがて上六映画劇場について考えなくなった。

上六映画劇場のおっちゃん(記憶の彼方から描いてみる)

【第二部】 シェア型シアター・ビジネスの創業

奈良に引っ越して一番不自由だったことは映画鑑賞

2013年、東京から奈良へ引っ越した。
イグチ君と出会った中学校へ転校するまでは奈良で暮らしていたから、人生のいつかは奈良へ戻ろうと決めていたことによる。
(以下の記事はその経緯)

ネット検索で築90年の町家っぽさを残す住居を見つけて、そこを借りた。
不自由だとしても昔の暮らしを愉しんでいこうと意気揚々だったが、想定外の不都合に見舞われる。
それは建物の老朽化による歪みと、断熱材が入っていない土壁の機密性の脆弱さだった。
隙間風や外気が入り込む冬の寒さは厳しいが、着込めばなんとか我慢できる。
ただ問題はそこではない……そう、室内の音が外に漏れまくるのだ。
東京で使っていたホームシアターを持ち込んだまではよかったが、映画を観た翌日には「夕べはスターウォーズ観てはったん?」と近所にバレバレなのである。

映画および AudioVisual好きとしては、ホームシアターは手放せない。
背に腹はかえられぬ思いで音量を絞ると、せっかくのサウンドデザインが堪能できない。
しかたなくサラウンド・ヘッドフォンを買って試しはしたが、音場が頭の中にとどまりダースベイダーが脳内でスーハーと息をしてしまう。
これでは映画に浸れる環境とは言いがたい。
さらに奈良市では映画館がことごとく閉館していた。
もはや映画鑑賞に関して、奈良は詰んでいた。

奈良へ引っ越してきて最初に住んだ家

いかにして奈良で暮らしながら映画を楽しめるかを課題化

だから奈良はダメなんだ……というのは簡単である。
どうやってこの奈良暮らしの中で映画を堪能できるかを、自らの課題にした。
オズボーンのチェックリストに倣えば、この家で映画を観ようとするから限界がある、鑑賞する場所を変えたらよいのではないか。
東京に比べ、奈良は家賃が安い。
映画を観る専用の空間を近場で借りられたら、それも倉庫のような窓のないところで十分。
そうして自宅から徒歩5分以内で、良さげな物件はないものかと、ネットで探し始めた。
問題を課題に変えた途端、なんだか楽しくなってきたわけである。

「代用したら」を発想に使ってみた

個人的なホームシアターはやがてシェリング・ビジネスへ発展

商店街から一筋奥まったところにコンクリート壁の物件があった。
6坪ほどの広さがあり、友達や家族で映画を愉しめる隠れ家としては十分だ。
「ここで念願の本格的なホームシアターを構築しようではないか」
契約を済ませ、シアター内部のレイアウト模型を造ったりして盛り上がる。

サウンドで悩まされた分、音場へのこだわりがあった。
ドルビーアトモスは必ず導入したい。
そのために天井へスピーカーを設置する必要がある。
音漏れや外部からの雑音対策……そんなこんなで防音室は必須アイテムだと理解した。

映像もより美しくと、SONYのネイティブ4Kプロジェクターに130インチスクリーン。
さらにリクライニングチェアを発注する。

1/20サイズの室内模型

こうして夢と費用が膨らむわけだが、併行して「この施設を貸し出そう」というビジネス的な目論見が芽生えていた。
都心への出張が多い身としては、使っていない時間の方が断然に多い。
そのタイミングで誰かに貸し出せば、副業にもなる。
ネットを介して予約しスマートロックで入退室できれば、誰もが自分のシアタールームとして活用できる。
こうして「ならまちシアター 青丹座」が生まれた。

映画フイルムのキズを取り入れたロゴマーク

あの思い出の名作を上映するためにシアタールームを開業

シェア型のシアタールームとして営業する前に、オープニング・イベントを行うことにした。
絶対にやりたいことがあったからだ。
それは、上六映画劇場で私に映画愛を与えてくれた『砂の器』の上映会である。
はじめて映画の上映権を買って、開業日に1回だけ開催した。
奈良テレビの取材が入り、コメンテーターの方にも観ていただいた。
上映後に取材を受ける方々の感動している姿を見て、ほんとうに嬉しかった。
上六映画劇場のおっちゃんに近づいた気分だった。

オープン初日「砂の器」と「スティング」を上映

……そうして8年の歳月が過ぎた。
映画ファンやライブ好きに支えられ、小さなシアターを続けてこられた。
おかげさまで赤字にはならずに、今に至る。
2019年には商店街に移転して、スクリーンサイズや席数を少し増やすことができた。
さらに、同じ仕組みのシェア型シアタールーム開業も手伝うことができた。
大好きな映画に包まれる場所が、小さなビジネスを生んでくれてもいた。
そんな日々において、上六映画劇場のおっちゃんから”僕ら”への計らいを忘れることはないのである。
あとひとつ願いがあるとしたら……ここでイグチ君と一緒に『青い体験』を観ることだろう。

ー了ー


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