「けものたちは故郷をめざす」 安部公房 感想文
ラストシーンがあまりにも予想外で、久三が日本の地に踏み込めなかったことに、何とも思い切れない気持ちが残った。ここに作者の意図があったのではないかと感じた。
決して幸せになれなかった人々がいたという事実が伝わって来た。
荒涼とした大地で、先の見えない恐怖と飢えと寒さに耐え、想像を絶する日々を受け入れ立ち向かうしかない人間の無力さ。
迫る広大で過酷な自然の中で、二人は二つの点でしかなかった。
引用はじめ
「あれから二人を支えていたものはもはや理性的な意思などではなく、恐怖と幻とけだものじみた内臓の衝動だけであった。その衝動によって相手が支えられており、いぜんとして屈せず努力をつづけているという事実の刺戟だけが、今にも消えさろうとする生への執着を、なおも鞭打つ最後の力だったのだ」岩波文庫p.147 p.148
引用終わり
「何も考えずに行動が決まる」衝動だけで突き動かされている二人。
しかしこの小さい点はしぶとかった。
生き残れた凄まじい強さがあった。
その脅威の世界に迷い込んだように、ひたすら読み耽ってしまった。
自分が何者であるかも分からず、その存在も否定されて、誰が味方かなのか敵なのか。
起こっていることすらわからない異常事態に、日本人は南を目指すしかなかったのだ。
侵略して行った日本の立場は一変し、日本人にはすでにいる場所がない。
ここはどこの国であるかさえ誰もわからない。これはとても恐ろしい。
高の目的とする「金」と「権力」への欲望を満たすための手段としての「アヘン」。それを守ることへの執念と執着が彼自身の命を長らえさせたと感じた。当然すぎる狂気の結末には納得した。
ソ連軍、毛沢東の八路軍、蒋介石の国民軍、陰であやつられている傀儡軍(かいらいぐん)。
「傀儡軍にはこの証明を見せないように」p55
とアレクサンドロフが言う。
この入り乱れた軍の力関係をもう少し理解していたら、もっと別な視点からの気づきがあったのだろうと思った。
高が久三を貶める(おとしめる)、久三を助けた日本人が高を貶める。
人間の醜さが炸裂していて、高の出現以来、誰も信じられなくなり泥沼化して行く。人間のむごたらしさが目立っていた。
その中で、母の埋葬の時、「塩の塔」を立ててくれたモンゴル兵が印象に残る。
翌朝、夜露にぬれてきえうせた「塩の塔」に、
「満足そうにうなづき空をさして何か言った。天にのぼったという意味らしかった」岩波文庫、p.46
天にのぼった母を思ってくれたモンゴル兵。
「冷たく凍った煎餅(チェンピン)を火にあぶり、味噌をぬって食べさせる」
P.108
そうしてくれた馬車の青年。本当に食べ物にありつけた喜びの瞬間がこちらまで嬉しかった。
青年は汚れた企みの中に巻き込まれて行ってしまう。
久三の口に肉を放り込んで、さらに日本人のいるところまで導いてくれた公園の浮浪児。レ•ミゼラブルのガヴローシュを思い出した。
ぶっきらぼうだが優しく、生き抜いて行く力強さを持っていた。
そして、軍票と証明書を用意して久三を出発させてくれたアレクサンドロフ中佐。脱走したことも怒らなかった。
泥沼の中にも、温かい人達はいた。
安部工房の初期の作品であるというが、読み手をここまで引きこむ作者の力強い表現力が凄いと思った。
日本人はこの事実を受け止めなければならない。
久三は必ず日本の地を踏んだ。
そう信じたい。
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