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「壁」 安部公房 感想文

あれ、これって何だろう⁉️

初めて「千と千尋の神隠し」を見た時と同じ感じだった。最初、全く入り込めなくて、子供の心を忘れてしまったのかと思った。

先入観と思い込みで出来ている 私の頭の中では、読み始めから全くわからない、頭のどこかを解放しなければと焦った。

始めの印象は、カフカの「変身」にかなり似た感覚があった。
しかし読むうちに違っていた。明るいのに暗い。「変身」より更に奇妙!

何とか理解しようと意味を考えると、ますますわからなくなって行く。「意味」から少し離れようと思った。

「S・カルマ氏の犯罪」のカルマ氏のように、「(相変わらずぼくは非常に素直でした)」p.119、「(僕は素晴らしく素直でした)」、と、得体の知れないものが出てきても、動じないようにしよう、と思うくらい異質な小説だった。

しかしこの展開に慣れていくと、主人公や周りの人間や獣にも、何とも言えない空虚感と、そしてどうしようも無い孤独な焦燥感が私の心に切なく刺さってくるのだ。

その感覚を呼び覚ますような現実感のない闇や硬さや膨らみ、滑らかな美しい心象風景のような文章に気づかされて、安部公房の才気のようなものを感じ取った。

名前をなくし、周りの無機物が生き物になり、「われわれ物質は主体を恢復しよう」という不気味さを放つ。
影を獣に喰われた男。
身体が絹糸のようにほぐれてしまい姿を消す男、そのほぐれた糸が赤い繭になる。家は出来たが身体がない。
そして最後は肉体が液体に変化してしまうのだ。肉体が溶けてしまうのは、貧しい労働者だけであるという、問い。 

何も持ってない貧しい画家が、赤いチョークで欲しいものを描き、そしてそれが本物になってしまい、食べ物やベッドなど、欲望を現実にする。そのチョークをある女性に半分わけ、女性の描いたピストルで殺されてしまい「壁」の中にはまりこんでしまうという不条理。

ラストは、ある司教が事業家になり、拡張発展のためにグロテスクな人肉ソーセージを作り出してしまうという怖い話。

このような短編集だった。

呑み込んだ「曠野」に、ポツンと独り、そこに「壁」がそそり立つようなシュールな世界は、小説の中に壮大な空間を想像させた。そして現実の「孤独」との対比が面白い。

硬い壁。

対照的にコミカルな個々のキャラクターの落ちのあるテンポの良さに乗せられてしまい笑った。

名前、名刺、職業、身体、影、自分の存在を示すものが何もなくなった時、その見えるものにどんな意味があったのだろうと、きっと考えることだろう。そしてそれらに振り回されている自分は何だったのかを。

それぞれの短編の主人公は失ったものをひたすら探し、元に戻そうと現象のない身体で敵(敵なのか?)の攻撃に抗いながら、異世界に追い詰められ、今まで生きてきた世界の裏にあるような世界に引き摺られていく。自分の本質と実体を探しているように。そこがとても怖かった、自分の裏側は見たくない。

そして、「S・カルマ氏の犯罪」はラスト、見渡すかぎりの曠野で「壁」になってしまう。その壁は成長していく。
壁は「宇宙」なのかもしれないと思ったが、よくわからなかった。


こんな歌詞がある。


星のこぼれた夜に
窓のガラスが割れた
俺は破片を集めて
心の様に並べた 

何か未来のことを
すぐに知りたい俺は
指にダイヤルからませ
明日の日付で廻した

       「青い闇の警告」 井上陽水


引用はじめ

「どこか遠くの工場でサイレンがなりかけてやめ、空間が変にゆがみました。おびえた子犬の悲鳴がそのゆがみをさらにねじりました。そのねじれにまきこまれて彼はあわてて起き上がりました」 p.134

引用終わり

陽水の詞もとてもシュールで、
「娘がねじれた時」という曲もあるように、多くの印象と感覚と言葉がこの作品と重なった。

冷たくて、暗くて、淋しい青い闇の世界に、いつもの感覚が感じ取れた。

若い頃、人の死、失恋、仕事で突き当たった「壁」、辛く悲しく憔悴感に浸っている時、別の空間に行きたくて陽水の曲を聴いた。辛い時は更に淋しい曲を求めた。陽水の持つ世界、透き通った声が心を静めてくれた。

「壁」を読んでいてその思いが甦ってきたのだった。



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