図書館よ永遠なれ
八月某日。調べたいことがあり、いつものようにGoogleを開いた。
しかし、あらゆる検索ワードを駆使するも、いまひとつ答えに辿り着けない。天下のGoogle先生も知らないことがあるんだな。そりゃそうか。
Amazonに検索ワードを入れる。すると関連性のある書籍が幾つか並ぶ。
しかし、パラパラと中を見ることは出来ないため、どの本に欲しい情報が載っているか分からない。専門書なのでどれも高価だ。一か八かに掛けて買ってしまおうか?そんな度胸も予算もない。
そうだ、図書館に行こう――
こうして私は図書館へと向かったのであった。
蝉の大合唱と地獄のような暑さを抜けて自動ドアをくぐると、静まり返った室内がクーラーの冷風で迎えてくれる。その静けさと冷たさが心地よい。お店ではないので当然「いらっしゃいませ」と言われることもない。なんだか新鮮だ。
それにしても静かだ。外は車の音や人の話し声が常に聞こえるし、家でも大体音楽か動画を流しているので、どうも落ち着かない。自然と背筋が伸びる。
歩いてみると、思っていたよりも広い。
辺りを見回すと本、本、本。当然だが本しかない。
これ全部読んでいいの?そんなことがあっていいの?
最近はもっぱら書店やネットで本を買って読んでいた私はいつの間にか「本は買わないと読めない」のが当たり前になっており、無料でこれだけ沢山の本を読めることに衝撃を受けた。厳密には料金は支払っているようなものであるが、そこは深く考えない。
一生掛かっても読み切れない程の数の本だ。もし、今時間を止めることが出来るのなら、一冊ずつ手に取ってみたい。
あ。
目当てのコーナーに辿り着いた。それらしい本を手に取り、閲覧席に腰を掛け、ページを捲ってじっくりと確認していく。
それからひたすら文字だけを追い続け、時計にもスマホにも目もくれず、しばらくそこに居た。そしてついにその時が訪れた。
こ、これだー!
まさしく求めていた情報に辿り着いた。人類がGoogleに勝利した瞬間である。図書館では10円でコピーを取ることが出来る。なんと至れり尽くせりなことか。すかさずコピーを取る。これでミッション達成だ。
せっかくだから何か借りようかとも思ったが、家では積読が待っているため、今回は借りるのはやめることとした。
帰り道、電車に揺られながら、ふと図書館ってこんなに楽しかったっけ?と思う。
最後に図書館に行ったのは、いつだっただろうか。そうだ、あまり思い出したくないが、鬱病を患い無職をしていた時だ。平日午前中の図書館は、暇を持て余した老人達しかおらず、私のような若者がいるのは非常に場違いであった。借り方もカードの作り方も分からず戸惑う私に、受付のお姉さんがやけに優しくて、こんな自分でもここにいていいんだ、という安心感でなんだか泣きそうになったのだった。自分にとって悲しい時期の出来事だから、いつの間にか記憶に蓋をしていたようだ。
あれから何年も経った。少しは前に進めているのかな。正直分からない。けれど変わったことは確かだ。それでも図書館という空間が、本を読みたいと思った時に、変わらず静かに受け入れてくれた。その事実が嬉しかった。
どうか私があの老人たちのように年を取ってその扉をくぐる日にも、その静けさと、程よい空調と、読み切れない程の沢山の本で、変わらずに迎え入れて欲しいと、そう願った。
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