自分に自信がない方へ〜自分自身への絶対評価〜
初めに
今、自分に自信が持てない、という方がいたら是非みて欲しい内容になります。
僕もつい最近まで自分に自信が持てませんでした。周りには優秀な方が多すぎます。
博士から某大手企業に行かれた方や、学校単位を動かせるくらい価値のある論文を書かれている方。有名コンペティションで優勝されている方。
本当にすごいと思うのですが、そういう方を見るたびに思うことがありました。
俺って本当にダメだな。
どれだけ勉強しても、辿り着ける気がしない。
周りから頑張っていると言われる度に、よくできると言われる度に、そうやって見えているのに全然できていない自分が嫌になっていました。
そんな時に触れた言葉がありました。
これが僕を救ってくれたと思います。
相対評価は意味がない
その言葉を紹介する前にちょっとだけ前提知識を。
みなさん、気温が何度になると暑いと感じますか?
30℃ですかね?40℃ですかね?色々あると思います。
でも、日本にいるか、赤道にいるかで暑いの基準って変わりますよね。
つまり、誰かが「暑いと感じる温度」はどうでもいいんです。
事実として日本では35℃は「平均よりだいぶ高い」気温であるというだけです。
つまり、あるのは「平均よりだいぶ高い」という事実だけであって、それを暑く感じるかどうかというその点に関して優劣なんて存在しません。
暑いと思う人がいてもいいし、寒いと思う人がいてもいい。
これはなんだってそうだと思います。
じゃあ、何を指針に生きていくのかという話です。
自分で絶対評価をする
僕を救ってくれた言葉があったと書きましたが、まずはそれを紹介します。
『周りの人との相対評価ではなく自分で絶対的な評価をすれば良い。』
『生きている意味って優しくなるためにあると思っているんです。昨日のわたしよりも今日の自分がちょっとだけ優しい人間であればいいなと思いながら生きています。』
周りとの相対評価を気にしないのであれば自分で絶対評価をすれば良いんです。
自分の中での絶対評価とは、自分の中にある感情であったり、倫理であったりに従うということです。
自分の中では相対評価はあって然るべきだと思いますが、それを対外的に見せるとき、それはあくまで「自分」というものを中心に置いた「絶対評価」でいいと思います。
他人なんかと比較せずに自分の中で「良い」と評価したものを選択すればいいんです。
僕は少し前から二つ目の言葉を自分の座右の銘として生きてきました。昨日よりも優しい自分になるために色々なものを評価する。結果、自分をなくして他人を助けたこともありましたが、その根底にあるのはあくまで「昨日よりも優しい自分」でした。
ですが、その生き方に自信がなくなっていきました。自分よがりなのではないか、結局自分が優先なのではないか。
そんな時に一つ目の言葉に出会ったんです。「自分との絶対評価」でいいんだと。そう言われたんです。
ああ、間違っていなかったんだと思いました。
他人の感情はいくら話を聞いても100%わかることはありません。理解することもできません。
だから、比較するのはあくまで昨日の自分であって他人ではない。
昨日の自分より成長できたか。僕でいえば、優しくなれたか。それだけでいいんだと思います。
それでは。
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