動いた先に見えるもの
この記事を書くキッカケ
基本的に僕は動くことが嫌いでした。アンパイな環境に属していればいいと考えていましたし、それによって不都合が起きることもなかったからです。
ですが、人生の目標を「昨日より少しだけ優しい自分になる」と決めた時に僕は動かなければいけないと強く思いました。
頑張って動けば優しくできる相手が多くなるのにそれを排除する選択肢を取ってしまうことは自分の人生の目標に反すると思ったからです。
動いた中で失ったもの
後悔はしていませんが、僕は動く中で多くのものを失ったと思っています。
特に自分の周りのものは多くを失ったと思います。貯金や自由時間が良い例ですかね。
動くにはお金が必要です。本を買うのにだって、どこかに行くのだって必ずお金が絡んできます。
僕は娯楽費に使おうと思って貯金していたお金まで切り崩すことになりました。
当たり前ですが、娯楽費にお金が割けなくなれば自由時間を作ってもできることがないです。
結果として、今まで自由時間としていた部分は自分の勉強時間や睡眠時間になりました。
娯楽費がなくなるので遠出もできません。ですから、友達と過ごす時間が短くなって、学校の周りで食事するくらいで済ませるようになりました。
ですが会える時間が限られるからこそ濃密な話ができるようになりましたし、毎回の時間を大事にしようと思えるようになりました。
動いたもので得たもの
基本的に動いて失うものの一番大きなところはお金と時間です。ですが、それを後悔しないくらい僕は色々なものを得ました。
自分自身が一番変わったと思うのは時間の濃密度を高くできるようになったことだと思います。さっきの友達の例がわかりやすいかと思います。
また動くことでいろんなチャンスの場面に立ち会うことができるようになりました。
色々なものに手を出しているのでてんやわんや状態なんですが笑、間違いなく重要なものを得ていると自負できます。
僕自身で言えば大きなプロジェクトに配属されたりとか米国へ行くチャンスを頂けたりとか、お偉方と勉強会をさせてもらったりとかですかね。
自分で言うのも変な話ですが、僕の今の状況は相当運がいい方だと思います。
ですが、自分で動かなければ得られなかった状況なのも確かです。
正直忙しくて目が回りそうになることもあります。
ですが、これは自分の自信になっています。何にも変え難いものです。もし失敗してもいいと思っています。
失敗して離れてしまう人がいてもいいと思っているからだと思います。俺はこの環境では認められている。だから外に出ていろんなものを経験すればより強くなれると思っています。
あまり失うものへの恐怖がなくなったように思います。
最後に
最後になりますが、もし今怖くて一歩を踏み出せていない方がいればぜひ一歩を踏み出してみてください。
その先には必ず誰かがいます。一歩踏み出した人たちはその怖さを知っています。その怖さに打ち勝ってきています。
先ほどは明言しませんでしたが、自分が一歩踏み出した時に一緒にいてくれる友達は濃密な時間を過ごす分、「親友」になりやすくなります。
ぜひ失うかもしれないものを恐れるのではなく、得られるかもしれないものに対する興味と好奇心で突き進んでみてください。