明日への無条件の希望
初めに
よく、強い人間と弱い人間なんて言われます。それは精神的にという意味です。
僕も相対的には強いと弱いはあって然るべきだと思います。ですが、弱いからこそ見える視点があるし、強いから見える視点があります。
僕は現在大きな病気はしていませんが、難病指定されている目の病気とともに生きています。
今はいつ進行するかわからない、という不安と闘っていますが今に至るまでいろいろなものと触れ合ってきたように思います。
明日への無条件の希望
みなさんは寝る時に起きた時のことが怖くなった経験はありませんか?
僕はありました。それこそ難病だと診断されてから手術するまでは目が覚めたら目が見えなくなっていたらどうしようという不安と闘っていました。
今はその病気とともにいることが普通になって不安になることは少ないですが、目の調子が悪いなと思った日はやっぱり不安になります。
ですが、多くの人は当然のように今日と変わらない明日が来ると信じています。別に難病でなくても、今日と変わらない明日が来る保証はどこにもないのに、です。
そして、きっと多くの人が当然のように抱ける明日への希望を抱けない人はその人生が苦しくなってしまいます。
いつでも不安と闘って、何かに縋りたくなる。それは宗教だったり、薬だったり、自死だったり。
それが悪いとかじゃなくて、不安を覚えるなら当然です。かくいう僕も手術まではいろんな占いを見てみたり、自死について考えたこともありました。
だからこそ「強い/弱い」という言葉は変だと思うんです。強い・弱いって言うとまるで人間は数直線上に乗せられてしまうように感じるんです。
僕は物事という直方体の周りをいろんな人間が囲っているイメージなんです。だから見える部分は異なって当然だと思います。それに「強い」も「弱い」もないと思うんです。
希望を抱けなくて見えた視点
僕は診察を受けてから手術までは希望を抱けなくなりました。
ですが、そこで気づいた視点があります。一日中希望を抱けないことはめちゃくちゃ辛い。
そもそも布団に入ったら嫌でも希望を抱けなくなってしまう。いつか視力を失うかもしれない。
そうだとしたら、僕は家に引きこもるんじゃなくていろんな景色を見ておきたいと思うようになりました。
そうすると、今まで普通に通っていた道がちょっと違く見える。ちょっとした色の違いとか、今まで気づかなかった看板とか。
今までは視点を下げていたものが少し視点を上げるようになるとこんなに景色って変わるのかと思いました。
そして、僕ですらそのようになったのだから命の危機にあった人はより深くいろいろなものを考えて、深く見ようとするのだろうと思います。
彼ら・彼女らの持つその世界は美しく見える。それは桜のようにすぐに散ってしまうからではなく、普段の景色をより色鮮やかにしてくれるから。
最後に
僕は難病に罹ったことはあまり後悔していません。
後悔しても何も変わらない。そもそも難病なんてなりたくてなったわけじゃないし、自分の力じゃどうしようもなかった。
だからこそそこから得られるものを全部掻っ攫ってやる、というつもりでいます。
もちろん、診断されてから手術を受けるまではそんな風に捉えられませんでしたが、今ならそう思えます。
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