徒歩1秒の面接

初めに

 みなさん、現在の状況はそれぞれだと思いますが現在のリモートワークの普及についてどのように考えていますか?

 ちょうど今日の朝、僕はインターンの面接を家からオンラインで受けていました。

 その中で感じたちょっとした違和感というか、ふと振り返ったときに今の社会って生きづらくなったなと思うことがありました。

徒歩1秒の面接

 面接をしてきた、っていう話をしましたがこのご時世なんでもちろんオンラインです。

 朝7時くらいに起きて9時過ぎまでダラダラして面接の準備をする。準備が終わったら面接。

 これらが徒歩1秒の部屋の中で完結するんです。

 今までの感覚だと変な感じしません?

 面接とかテストとかっていうと、電車や車やバスに乗りながら自分なりに気持ちを落ち着かせたり、シュミレーションしてみたり。

 それには間違いなく外部の環境音であったりが影響してきます。いつもは煩わしく聞こえる音もそういった時だからこそ意味を持って聞こえる。

 いつもだったら着目しなかったことに着目して、この人は一緒に面接受ける人かな、とかただの会社員(学生)なのかなって思考を回す。

 それまで含めて僕は面接やテストだと思います。いつもと違う環境に嫌でも置かれて嫌でもいつも着目しなければならない部分に着目しなければならない。

 それは進学なり就職なり転職なりすれば最初にぶつかる壁でしょう。最初は必ず「いつも」と違う環境ですから。いつも以上に人の服装や髪型や顔色や仕草に気を遣う。

 そこから成長することだってあると思いますし、いつもと違う視点を持つことである気づきが生まれるかもしれない。

 ですが、いつもと同じ環境内に突如として生まれる「オンライン」という別空間に投げ出された時にいつもと違うことに着目するでしょうか。

 人は何を言っても弱い生き物です。その人間がいつもと同じ環境に身を置きながら気持ちを完全に切り替えていつもと違う(別空間)環境に身を置けるかと言われると疑問符がつきます。

徒歩1秒面接の弊害

 これは面接だけじゃなくて学校の授業や会社の就業に関しても言えると思いますが、これによって普段気持ちを緩められるべき場所が緩められなくなっています。

 最近は「コロナで観光地がああ」なんて言っていますが、それ以外にも大きな要素があると思います。

 それは家ですらのんびりできないから観光地に行く余裕がないことだと思います。観光地に行く時間があるのであればその日程が確保できるのであれば家でダラダラ過ごすよってなっちゃうと思います。

 今までは家に帰って来れば寝るだけにしろ、何にしろとりあえず一旦仕事や学業からは解放されることが多かった。

 それは自分の気持ち的に場所での区切りができているからだと思います。ですが、今は家ですら学校の一部や会社の一部になってしまっている。

 いつもなら疲労パラメーターが一年でいっぱいになるから一年に一度旅行に行けばよかったところが今は一ヶ月でいっぱいになってしまう。

 そうすると疲労パラメーターはすぐ100を超えて旅行にいく気力すら残らなくなってしまう。そんな余裕さえなくなってしまうのだと思います。

最後に

 僕は現在大学で教授の手伝いでプログラミングをしていますが、その立場でも休みの日にパソコンをコードをいじらずに終えてしまうのはとても気持ちが悪いんです。

 僕ですらこれなのだから、と思います。

 ですが、これはあくまで僕の一意見です。

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