【美しい死】〜品位ある医療の、ひとつの結末〜森亘著
お誕生日を迎え一つ年を重ねると、終戦記念日を迎えます。
メメントモリ 死を思う時でもあります。
2014年、私は墨田区にある会社で仕事をしていましたので、
よく上智大学聖三木図書館に通っていました。
その夏、本棚に並ぶ本たちの中で、
一冊の背表紙が私を呼びました。
それが「美しい死」でした。
真っ白な装丁が美しく、表紙を開くと、寄贈の朱印。
著者から贈られた大切な一冊でした。
私は複雑な 家庭環境で育ってせいか、
思春期に母を亡くしたせいか
はたまた本の読みすぎか、
子ども時代から「死」を身近に感じていました。
その思いは長男を聖路加国際病院で出産した時
激変しました。
「生命」の圧倒的な力に
今まで不安に思っていたことが取り去られ、
「生と死」は均等なバランスで考えられるようになりました。
ところが、この2014年、
一度も一緒に暮らしたことのない父が
肺気腫となり、体力が急速に衰え、
緊急入院となりました。
父の生活をどこでどうさせていくかを考えるに至って、
これまで“人生をどう生きるか”について考えてきましたが、
“人生をどう閉じるか”が視野に入ってきました。
そんな時、この本が私を呼んでくれたのです。
人間の「生と死」に関わる医療従事者や医学生たちへの
講演でお話しされた原稿をまとめたものです。
結びの章「美しい死」は何度読んでも
素晴らしいと思わされました。
敬愛する恩師が亡くなられ、
生前望まれた人体解剖が終わった時に
感想を聞かれて、
森先生は「美しい死」という言葉で表現されました。
なぜ、そんな言葉が口をついたのか、
先生はご自分の考えをこのように書かれています。
このように節度ある治療を受けた遺体の内臓にはある種の美しさがあると気付きました。
たとえば、最先端の医療を受けた例でも、それが適度であれば遺体の残された変化はむしろ古典的ですらあり、美しいと呼びうる姿であります。
節度ある治療とは同時に品位ある医療であり、患者の人間としての尊厳が守られることにも通じます。
人間というものはしょせん、いつかは死を迎えなくてはならない運命にあることを考えれば、そして死が多くの場合、医療の最終段階として訪れるものであるならば、医療というものは、人間の人間らしい自然の力を助けることで、自分の身体の中に秘められている自然の力による治療を側面から助けると共に、その人生の最終段階においては自らに運命づけられた自然の死を助けるのも、医療のもつ役目でありましょう。
「必要にして十分な医療」「節度ある医療」あるいは「品位ある医療」をどう行うかの適切な判断は「知識」「教養」「品位」の三者を併せ持つ医師によってのみ初めて下しうるものであり、今日の医師にはこうした高度の資質が求められています。
医師というものは、その人生において、自らをある程度犠牲にしてでも、広く人々に奉仕せねばならない使命と運命を背負っていると自覚しなければなりません。
そして、それに見合うだけの物資的報酬は必ずしも期待できません。
得るものがあるとすれば、一方では自らの誇りであり、他方、社会の中での尊敬でありましょう。
みなさま、どうか若者に対し、医師とは正しく誇り高く、世の尊敬を集めるべき職業であることを説かれ、『知識』と共に『教養』並びに『品位』を与えていただきたいと存ずる次第でございます
1997年(平成9年)9年11月
日本医師会創立50周年記念大会・特別講演でお話されたことの大意です。
読んでいて、「我が意を得たり」と何度も思いました。
そして、同時に、この資質は医師のみならず、
また政治家、企業家、弁護士、教師、牧師という
特殊な職種にある方々のみならず。
必ず死す運命にある一人の人間として、
持ちたいと思いました。
森亘先生は
(もりわたる、 1926年1月10日〜2012年4月1日)
日本の病理学者、東京大学名誉教授・元総長。
元国立大学協会会長、。元日本医学会会長。医学博士。東京生まれ。
2012年4月1日 肺炎のために、東京大学附属病院で死去。享年86歳
「美しい死」は2007年(平成19年)に初版刊行されていますので、
人生の最後に残された遺言とも言えると思います。
・序に代えて 最近の医療の思う
・医学教育
・日本医学会
・病理学を巡って
・医療昨今
・科学技術と社会の理解
・医と人間
・結びの言葉 美しい死ー品位ある医療の、ひとつの結末ー
父は延命治療を一切せず、
心のこもった介護を受け、
翌年、土用のうなぎのうなぎを
美味しそうに食べて
秋風の吹く頃、旅たちました。