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恋と学問 第5夜、紫文要領の目次づくり。

今夜から紫文要領の本文に入ります。初回となる今回は、ふつう本を開くと最初に出くわすことが多い、目次についてお話します。なぜ目次に注目するかと言うと、本というものは大抵の場合、目次を見ればそこに何が書かれているのか、大体の見当がつくからです。

著者である本居宣長の章立てを元にした、岩波文庫版・紫文要領の目次は次のようになっています。(カッコ内の数字は岩波文庫版におけるページの枚数を表します)

紫文要領 目次
  作者の事(2)
  述作由来の事(2)
  述作時代の事(2)
  作者系譜の事(1)
  紫式部と称する事(3)
  準拠の事(1)
  題号の事(3)
  雑々の論(3)
  註釈の事(4)
  大意の事(133)
  歌人此の物語を見る心ばへの事(23)

目次から本の大体の内容を知ろうとする、読者の期待はあえなく裏切られます。この目次は誰が見ても「ううん?何が書かれているのか、ほとんど見当もつかないな」というのが正直な感想でしょう。当の宣長でさえ「紫文要領は草稿であるため文章が乱れているのは勘弁を願いたい」と、わざわざ断りを入れているほどです。

目次とは文章の構成に対する著者の意識が反映されたものですから、それがここまで乱れているというのは、よほど宣長の心中に切迫したものがあって、急いで仕事を進めざるを得ない事情があったのだろうと推し測られます。

とはいえ、宣長に文章構成への配慮が全くなかったわけではありません。本文の姿を見るに、ある程度の筋書きは用意した上で書かれたと思われ、無計画に書き進められたとは言いがたいのです。ただ単に、それを目次や章立てという形に反映させる余裕がなかっただけだと考えられます。

ならば私たち読者が、目次本来の機能(本のおおまかな内容の開示)を備えた目次を、宣長の代わりに作ればよいのです。目次の不親切に腹を立てるのではなく、宣長のやり残した仕事、私たちに課した宿題だと前向きに考え、今からその試みを述べてみます。

この目次をひと目見て思うのは、まえがき→序論→本論→結論→あとがきといった、現代の一般的な論文の構成になっておらず、章節がズラズラと並べられていて非常に見づらいこと。そして、全180ページ中133ページと、圧倒的に「大意の事」が長いイビツな見た目をしていることです。このことから、大意、すなわち源氏物語の「主題」が、宣長の最も伝えたいことなのだなと見当がつきます。

ちなみにタイトルにも同じことが言えます。紫文要領とは「」式部が書いた「」章の「要領」という意味ですが、紫式部が書いた文章とはむろん源氏物語のことですから、要するにタイトルが意味するところは「紫式部は源氏物語で何を伝えたかったのか」ということになり、結局は大意=主題と同じ意味です。

したがって、「大意の事」は「本論」、それ以前の短い章節は「序論」として括ることができ、「大意の事」に続く「歌人此の物語を見る心ばへの事」は、「結論」に相当することが分かります。徐々に紫文要領の輪郭が見えてきました。

本文を一読すると、この目次にはふたつの問題があることに気付きます。ひとつは、本論である「大意の事」が長すぎるということです。長い長い本論には、様々な論点が含まれ、主張が述べられ、発見が記されています。まったく章節で区切らないで文章が続いていることに無理を感じます。新たに章立てして分割するべきでしょう。

もうひとつの問題は、結論の末尾に「あとがき」に相当する部分が含まれていることです。切り離すべきでしょう。さらに、この「あとがき」は結論の内容とつながっておらず、むしろ「まえがき」にこそふさわしいのではないかと思います。なので、思い切って冒頭に持っていきます。

さて、以上の試行錯誤を経て、私なりに目次を整理してみますと次のようになりました。

紫文要領 目次
 【まえがき】
 【序論】源氏物語を読む前に知るべきこと
    第1章 作者のこと
    第2章 執筆の動機
    第3章 成立の年代
    第4章 作者の系譜
    第5章 紫式部という呼び名
    第6章 準拠のこと
    第7章 題名のこと
    第8章 様々な論点
    第9章 源氏物語研究の歴史
 【本論】紫式部が伝えたかったこと
   第1部 文学と物の哀れ
    第1章 物語文学とは何か
    第2章 蛍の巻の文学論
    第3章 仏教的解釈は不当
   第2部 善悪と物の哀れ
    第1章 物語における善悪
    第2章 善き人とされた人々
    第3章 帚木の巻の人物論
    第4章 物の哀れ・詳論
   第3部 恋愛と物の哀れ
    第1章 なぜ恋が物語の中心なのか
    第2章 物の哀れは生と死に関わる
    第3章 物語は訓戒を主題としない
    第4章 不義密通すら主題ではない
   補説1.栄華と物の哀れ
   補説2.仏教・再論
   補説3.人の情の本当の姿
   補説4.物語中の迷信について
   補説5.過去を想像する力
 【結論】歌が生成する姿を伝えた物語


いかがでしょうか?むろん、実際の味わいは読んでみなければ分かりませんが、おおよその中身は想像できる目次になったと思います。(個人的には、このくらい親切な目次を最初に見せてくれないと、読み進めてゆくうちに雲をつかむような心地がしてきて、不安になります)

次回からは、この手づくりの目次に沿って紫文要領を読み解いてゆくことにしましょう。ただし、宣長の主張の中に、それを単独で採りあげて1夜の話題にしても良いくらい面白いものを見つけた時には、いったん紫文要領の進行を止めて脱線します。そのような具合に、このエッセイは焦らず急がず、気ままに進みますので、読んでくださる方々におかれましても、ゆったりと構えてもらって、気楽にお付き合いください。

それではまた。おやすみなさい。




【以下、蛇足】




今回は目次を作るお話でした。33才の宣長は文章も乱れがちに、整理された目次を作る余裕すらないほど、何かにせき立てられているかのような勢いで、紫文要領を完成させました。この、勢いにまかせた、ノリが良い、ドライブした文章は、紫文要領が持つ魅力の大きな部分を占めています。

それにしても、どんな事情があって急ぐ必要があったのでしょうか?すでにいくつかの仮説がありますが、筆者としては賛成できないものが多いので、次回は私なりの説をお話してみたいと思います。

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