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飛鳥まぼろし散歩(中)

飛鳥坐神社を出て五分ほど歩くと、飛鳥寺に着いた。蘇我馬子が創建した、日本で最初の寺である。創建当時のものは「飛鳥大仏」のみ生き延びて、あとのものは度重なる火災により失われたという。

安置されているのは至って小さな御堂であり、飛鳥大仏を雨風から守る以外に目的がないような建物である。拝観料を支払い靴を脱ぐと、すぐに御対面となる。心の用意が間に合わない。

飛鳥大仏右

仏像の鑑賞法は大きく四種類に分けられる。

(1)美術工芸品(芸術作品)として見る
(2)手の形などに教義を読み取る
(3)製作年代に照らして当時を想像する
(4)信仰の対象として礼拝する

これらの鑑賞法をそれぞれ、芸術的、記号的、歴史的、宗教的と名付けてみる。私たち現代人は芸術的かつ記号的に仏像を鑑賞することが多い。芸術的に鑑賞することは(一見)基準がなく鑑賞者の自由であり、記号的に鑑賞することは意味が一意的に定まり安心するからだ。

仏像のよしあしは主観(好み)が決めることであり、作品の意味は予備知識さえあれば記号的に把握できる。正しいかどうかはさておき、そう思いたいのである。やさしい道であるから。

もうひとつの道、歴史を想像し、信仰に至る道は、たしかに困難な道である。なかでも後者、宗教的鑑賞は不可能と言って良い。「そんなことはない。自分は仏像を尊くてありがたいものと拝んでいる」などと反論しようものなら、想像力の欠如をすすんで告白するようなものだ。

仏教というものが、文化のほんの一つの分野となった現代にいて、仏教即ち文化であった時代を見る遠近法は大変難しい。仏教という同じ言葉を使っている事さえ、奇妙なくらいのものだ
(小林秀雄「蘇我馬子の墓」前掲書、155-156頁)

小林の困惑は、彼の想像力からやってくる。いや、彼のように歴史を想像することで、心のうちに古代人の信仰を再現しようとすれば、誰だってそうなるにちがいない。私も仏像を見る時は、必ず困惑から始まる。

仏教が日本にもたらしたのは単なる哲学ではない。暴力と野蛮。復讐につぐ復讐。仏教は古代社会の深い闇を照らす唯一の光だった。とりわけ、時代の病を一身に背負うと決めた人、聖徳太子にとってはそういうものだった。仏像に表現された信仰の異様な大きさにたじろがないなら、鑑賞者はいちばん肝心なものが見えていないのである。

「仏さんの顔を左右で見比べてください。右から見ると厳しい顔をしてはりますが、左から見ると優しい顔ですわ」

ふとわれに返ると、人のよさそうな爺さんが仏像の見どころを解説していた。座って耳を傾けつつ眺めてみる。言われてみればそんな気もする。芸術的鑑賞というやつだ。私の隣に座っていた見物人が真顔で「たしかに」とつぶやいた。

飛鳥大仏左

「このお寺は飛鳥時代に建てられました。日本で最も古い寺です。壁にかかる絵は、当時の飛鳥寺を描いたものでして、こんなに広かったんですね。建てたのは聖徳太子ではなくて蘇我馬子と言われとります」

聖徳太子ではなくて。わざわざ断るのが面白い。まるで蘇我馬子の建てたことが残念でならないかのようだ。これは歴史的鑑賞に見えて、じつは記号的鑑賞である。なぜなら、作者、年代、見た目といった観点自体は、人間不在の知識にすぎないからだ。想像力が要らないからだ。

古代と現代、時代の隔たりを想像し、古代人の信仰の強度に困惑する。安定した鑑賞法に沿って理解するのではなく、鑑賞法の不在に居心地の悪さを覚えながら眺める。正しい鑑賞法などと偉そうに言う気はないが、仏像に素直に対面した時の正直な感想とは、こういうものだろう。

飛鳥大仏は優しい顔などしていない。そこにあるのは「異形」の顔である。作者の鞍作止利(クラツクリノトリ)の故郷、中国人の顔でもないし、仏教を生んだインド人の顔でもない。およそ親しみというものから程遠い顔をしている。

平安鎌倉期の仏像には、すでに日本人の顔が彫られている。仏教が生活化したからだ。この時代には「生きる苦しさに寄り添い人々を包容する神」が求められた。飛鳥時代はちがう。聖徳太子が仏教に求めていたのは「野蛮を終わらせる異形の神」だった。

仏像の顔に、時代が求めていた精神が写し出されている。面白いことだ。仏像の変遷を彫刻技術の発展で説明するなど、つまらぬことである。爺さんのよどみない「講談」が終わるや、混雑を嫌う私はそそくさと外に出た。

続いて岡寺に向かう。恐ろしく急な坂を上がると、明日香村の全体を見わたせる岡の上に、しゃくなげの咲き誇る寺があった。

岡寺から明日香村

ここで見た大仏(如意輪観音座像)は、飛鳥大仏と比較にならないほどの混乱を私の頭に生じさせた。

(撮影禁止だったため、HPのリンクを貼る)

奈良時代の作品で、土で作る仏像としては日本最大のものだという。質感は土というより白い砂のようで、とても生々しい。真正面から見上げると、こちらを見つめてくる。何が言いたいのか?何も言いたくないのか?「私は今、お前を見つめている」。それくらいしか言っていない気がする。

顔はこちらの勝手な解釈を拒みつつ、むしろ私に何かを求めてくる。顔は顔だけでひとつのメッセージだ。これは、私が学生のころに心酔したフランスの哲学者、レヴィナスの思想である。

全体性と無限

顔は所有に、私の諸権能に抵抗する。・・・顔が世界のうちに導入する表出は、私の諸権能の弱さに対してではなく、私が何かをなしうるという権能に対して挑みかかる。依然として一個の事物である顔は形態を突き破るが、にもかかわらず、この形態によって限定されている。・・・つまり、顔は私に語りかけ、それによって、権能(それが享受や認識であれ)の遂行とは何の共通点もないある関係へと私を導くのである。・・・私が殺したいと意欲しうるのは絶対的に自存せる存在者のみである。つまり、私の権能を無限に凌駕せる存在者、それゆえ、何かをなしうるという私の権能を、この権能と拮抗することなく麻痺させる存在者のみである。・・・この無限が他者の顔であり、根源的表出であり、「汝、殺人を犯す勿れ」という最初の言葉なのである。・・・自己表出する存在は自分をつきつけるが、この定立は、自己表出する存在がその悲惨と裸出性によって(その飢えによって)私に訴えるというまさにそのことをつうじてなされるのであり、このとき、私はこの訴えに耳を塞ぐことができないのだ
(エマニュエル・レヴィナス「全体性と無限」国文社、2006年改版、286-91頁)

むつかしい文章に見えるのは外見だけのことで、岡寺大仏を前にした私にもあてはまるような、日常の経験について語っている。無心になって何かを眺めている時、私たちはそれを理解しようとしているのではなく、それが語りかけるのを待っている。そして、それは私の意志でそうしているというよりは、そうしなければならないという、説明のつかない「責任感」から、そうしているのである。

お前を見つめている。そんなことを言われたって困る。私は答えるべき言葉を持ちあわせていない。仏像の視線は私を吸い込み、釘付けにし、身動きを取れなくする。どうやら私は完全に酔ってきたようだ。しかし、何によって?

眼をそらせばよいではないか。おのれに言い聞かせるが、そういうわけにはいかない。この視線は明らかに、おのれに向けられている視線だから。この視線によって私は、あらゆる鑑賞法の不毛と不当を思い知らされる。自由な鑑賞眼を奪い去ってなお、見つめることを強要する視線によって。

ここには主体と客体の混乱があり、巻きこまれたら最後、「悪酔い」がはじまる。私は仏像を見ているのではなく、見るように命じられてここに座らされているのではないか?仏像は見られることでその秘密を明かすのではなく、私が知らず知らずのうちに行使している視線の暴力、鑑賞の自由というやつを明るみに出して告発しているのではないか?

この仏像は「純粋な顔」なのだ。沈黙することで、こちらの勝手な記号的な理解に切り刻まれるのを免れている。逆に、私たちに見つめることを強制して、そのまま信仰の道に導こうと企ててさえいる。古代人の神を求める心は何と凄いものを作ったのか。

いや、こんな呑気な感想は今だから言えることであって、この時の私に感心している余裕はなかった。恐ろしくなって逃げるように坂を駆けおりただけだ。

≪つづく≫


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