中須俊治(アフリカドッグス代表)

1990年京都生まれ。日本とトーゴ共和国を往復し、エウェ族と京都の職人の染色を重ねて商品を開発中。大学在学中に単身アフリカへ渡航し、ラジオ局のジャーナリストとして番組制作に携わる。大卒後、京都信用金庫に入社。嵐山地域で営業を担当した後、独立・起業。モットーは他力本願、2児の父親。

中須俊治(アフリカドッグス代表)

1990年京都生まれ。日本とトーゴ共和国を往復し、エウェ族と京都の職人の染色を重ねて商品を開発中。大学在学中に単身アフリカへ渡航し、ラジオ局のジャーナリストとして番組制作に携わる。大卒後、京都信用金庫に入社。嵐山地域で営業を担当した後、独立・起業。モットーは他力本願、2児の父親。

マガジン

  • 中須俊治『Go to Togo』(烽火書房)

    2020年4月30日発刊、中須俊治『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』(烽火書房)の裏話マガジンです。

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自己紹介

 満を持して、noteに上陸した。関西では5人くらい熱烈な読者がいるといわれる人気ブログ、トシハるメモリアルからやってきた。京都生まれの京都育ち。いまはアフリカのトーゴ共和国という国での会社づくりに邁進している。トーゴを中心に住まうエウェ族と京都の染色文化の融合をディレクションしている。  1年半前は、京都信用金庫の営業担当だった。行く先々で、これまで知らなかった京都をたくさん見た。たとえば、お世辞にも綺麗とはいえない佇まいの染色工場で、ドロドロのジーパンを履いて、爪のあい

    • レティシア書房さんでのイベント

       コロナで出会えた人がいて、できたことがある。ほんとうはいまごろトーゴにいて、たくさんの人たちと楽しい時間をシェアできるはずだった。そのためにかなりのコストを割いてきたこともあって、当初は絶望した。しかしそんな中だからこそ出会えた人たちとの時間を振り返ってみると、わりと最高だった。この3ヶ月くらいで100人を超える人たちとお近づきになれた。  オンラインイベントが続いていたなかで、久しぶりのリアルイベントを京都市中京区にある「レティシア書房」さんで開催することもできた。6月

      • 『Go to Togo』を出版してからのこと

         ぼくと烽火書房・嶋田くんの渾身の一作、『Go to Togo』を出版してから2ヶ月くらい経った。ぼくたちにできることをやろうと、オンラインイベントをやりまくってきた。コロナ禍でこそ、ぼくたちの挑戦には価値がある。こういうときだからこそ、諦めわるくアクションを起こす。暗闇にいるからこそ星は輝いて見える。  そうしてぼくたちのすべてをぶつけながら、倒れたり、すりむいたり、崖っぷちに立たされたりして実績をつくってきた。イギリス・ガーディアン紙「The world’s 10 be

        • ぼくの奮闘記が一冊の本になるまで

           こんなぼくが、世の中に本を出すことになった。誰でもできることではないことに挑戦させてもらっているからには、とことんまでいくぞ。このコロナ禍で、ドラマや映画がどんどん延期になっていくなか、この本は予定どおり出版した。諦めわるくアクションを起こす姿勢をみなさんにお見せしたい。こんな今だからこそ、伝えられることがあると思っている。 中須俊治ってこんな人間です 小学校では蛇口をひねればお茶が出てくる京都・宇治に生まれた。青色と赤色の蛇口があって、青は水が出てくるのだが、赤は温かい

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        • 中須俊治『Go to Togo』(烽火書房)
          15本

        記事

          編集後記④:ひとりじゃ何もできない出版社『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           いよいよ嶋田くんによる最後の編集後記。これまでに増して、気合いを入れて書いてくれたらしい。気合い入れすぎて、自分で気持ちよくなっていたらしい。なにかに挑戦するとき、ぼくが大切にしていることを嶋田くんは実践していた。自分で自分を奮い立たせるということ。  ___  ぼくはわりとなんでもやりたがりで、悔しがりです。なので本をつくったり、いろんなものを制作するときには「企画も僕です、執筆もぼくです。なんだったら撮影もデザインもぼくです」なんて調子に乗ったことを言います。  

          編集後記④:ひとりじゃ何もできない出版社『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          chapter7:思いよ届け『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           ぼくたちは目標を定めた。この本を全国各地に10,000部届ける。そうすれば、何か変わるかもしれない。ドリカムも言っている。「10,000回だめで へとへとになっても 10,001回目は何か変わるかもしれない」と。10,000を超えた先の景色を、ぼくたちは見に行こうとしている。  「ダメだ」「ムリだ」「できるわけない」、そんな言葉をぼくはこれまで幾度となく受け続けてきた。その言葉をエネルギーに変えられるほど、ぼくの精神力は強くない。けれども、そういう言葉で諦めるほど生半可な

          chapter7:思いよ届け『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          chapter6:装丁『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           嶋田くんのデザインセンスは、そこらへんの「デザイナー」と呼ばれる人のそれとは一線を画している。そのことが如実にあらわれたのが、表紙のデザインだ。『Go to Togo』の表紙は「ひとふでがき」作家にお願いしたと、嶋田くんから説明を受けた。そして本書の表紙に、なぜ「ひとふでがき」の作品が適しているかということをぼくに話してくれた。それを聞いて、ぼくは嶋田くんのデザインセンスに脱帽した。   「現地で撮影した写真を超えることができるか。」  嶋田くんはズバリ、この作品を表紙

          chapter6:装丁『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          編集後記③:題名を決める『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           ひとり出版社「烽火書房」の嶋田くんの文章が、最近やけにアツい。日に日にアツくなっているのが、一緒にいる時間が長かったからか、ぼくにはビンビンに伝わってくる。嶋田くんがアツい。出会った当初、世間に対してひねくれていた嶋田くんが今、人生を全力疾走している。にもかかわらず、まわりのリアクションは反比例しているのではないかと思うほどである。  それでも嶋田くんは諦めない。倒れるなら前のめりに。ぼくも嶋田くんと気持ちを同じにしている。高校時代、ぼくの代名詞は「全力少年」だった。もう

          編集後記③:題名を決める『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          chapter5:三校『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           ぼくたちは猛烈なラストスパートをかけた。「猛烈」というのは、あながち間違いではない。スケジュールの合間をぬって、編集者の嶋田くんとZoomで読み合わせをした。オンラインだけでは伝わらない熱量は、リアルに会って打ち合わせをした。その熱量が高まり過ぎて、幾日か徹夜で打ち合わせをした。  見出しごとに音読し合った。その見出しを読み終わるたびに、「これヤバい本やな」とか「シビれるな」とか「ここの表現は天才的」とかの言葉を掛け合った。二人三脚で、1年以上にわたって走ってきた。その時

          chapter5:三校『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          chapter4:再校『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           さらなる高みをめざす嶋田くんとの本づくりの終盤戦、校正に基づいて文章を修正しながら、ぼくたちは写真のキャプションと脚注にも本格的に着手した。このキャプションと脚注は、本書のこだわったポイントのベスト3に入るかもしれない。ここの部分だけで、一冊の本が出来上がってしまうくらいに趣向を凝らした。テーマとしたのは、トーゴ共和国という多くの人には馴染みのない国での生活をよりリアルに、そして楽しく想像してもらうことだ。今回はその一部を公開したい。  たとえば、この写真に当てはめたのは

          chapter4:再校『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          編集後記②:発明する『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』について、出版社である烽火書房・嶋田くんにも記事を書いてもらっている。文字どおり、二人三脚でここまできたから、青山テルマ feat.SoulJaばりのコール&レスポンスをnoteで表現しようとしている。今回はその2回目。前回は驚くほどリアクションがなかった。それでもぼくたちは、アクションを起こすことを恐れない。  以下、嶋田くんより。 ___  第二弾では、この本に込めた「発明」について書きます。発明というと少し違和感が

          編集後記②:発明する『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          chapter3:初校『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           粗々しいけれども徐々にまとまってきて、ちょっとずつ本の様相が帯びてきたころ、嶋田くんにそのときの進捗具合を聞いた。「うーん、まだ40%ぐらいかなあ」という答えが返ってきたとき、ちょっとなにを言ってるのかわからなかった。ぼくとしては、もう90%くらい書いていたつもりだったので、ぼくと嶋田くんのテンションの高低差に耳がキーンとなった。しかし原稿を実際のA6判のレイアウトに落とし込んだものをPDFで送ってもらうと、たしかにまだ40%かもしれないと思った。4章立てのそれぞれの出来栄

          chapter3:初校『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          chapter2:原稿を書く『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           本づくりをすることになり、自分の年表をつくった。それを編集の嶋田くんに送ると、目次の構成案があがってきた。その目次を見ながらこれまでやってきたことを俯瞰すると、あのときのことが今に活きてるのかもしれないと実感することがたくさんあった。そう思うと、人生いろいろあるけれど、無駄なことはないのかもしれないという気にもなってくる。どんなときも目の前のことに自分なりにベストを尽くしていく大切さを胸に留めながら、どんどん原稿を書いていった。  しかしこれが結構、たいへんだ。調子のいい

          chapter2:原稿を書く『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          編集後記①:コンセプトを決める『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』について、出版社である烽火書房・嶋田くんにも記事を書いてもらうことにした。文字どおり、二人三脚でここまできた。ぼくたちがこの本にどれだけの気持ちを込めたかを記録していきたいと思う。中須と嶋田、29歳。20代のすべてを、この本に詰め込んだ。  以下、嶋田くんより。 ___  第一弾は、コンセプトをつくる、ということについて。中須くんが話をしている記事と関連するかたちで書いていきます。 「本をつくりたい」という話を聞いて、

          編集後記①:コンセプトを決める『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          chapter1:人生をふりかえる『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           ひとり出版社「烽火書房」の嶋田くんとの本づくりは、まず人生をふりかえることから始まった。物心がついたときくらいからのことを年表に落とし込んで、人生の重要エピソードをランク付けしていった。実はその作業は、起業してすぐのころにやっていた。大学の先輩に「大切なことは人生が教えてくれる」とアドバイスをもらい、ぼくが書き入れたエピソードに対して、先輩が「このときどんな感じやったん」とか「なんでそのときそういう選択したんや」とか質問してくれていた。それがこの本づくりでも、めちゃくちゃ役

          chapter1:人生をふりかえる『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

          chapter0:はじまり 『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』

           2020年は30歳の節目になる年だ。いろいろとキリがいいので、新しいことに挑戦しようと地道に準備してきた。人生初の出版に向けて、1年以上かかってようやく校了まで辿り着いた。いまに至るまでのことと、これからのことについて書いていきたいと思う。まずは出版にあたって、編集をお願いした嶋田くんとの出会いについて。  2019年のはじめ、フィンランド帰りの先輩とトーゴ帰りのぼくとで、それぞれが海外で感じてきたことをシェアする会をした。そのときぼくは京都信用金庫を退職してアフリカに渡

          chapter0:はじまり 『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』