中華圏を旅して
Chineseって一体何なのかと考えさせられた。
2月末で仕事を辞め、3月はひたすら中華圏を中心に旅をした。ニュージーランドに行ったら恋しくなるのは日本食ではなく間違いなく中華なので、たらふくお腹に詰め込んだ。
初めに訪れた上海は、紛れもない中華人民共和国。高速鉄道で杭州に移動し、そこから香港へ飛んだ。香港は一国二制度の土地であり、いわゆるグレーゾーン。今回の中国ビザ免除の条件は「第三国への航空券がある」ことだったため、その条件に照らし合わせると香港は中国から見て「第三国」である。
香港の次はマレーシアのペナンへ飛んだ。ペナンはマレーシアの中でも特に華人の割合が多く、昔の中国の南洋文化がうまい具合に残っている。ペナンに住んでいる華人は英語だとChinese Malaysianであり、華人はEthnic Chineseである。華僑はOverseas Chineseであり、厳密には華人と華僑は意味が違う。
ペナンの次に訪れたシンガポールは最早華人国家である。中華系シンガポール人が人口の半分以上を占めるが、彼らもまた英語だとChinese Singaporeanということになる。
その後、中国の東北地方へ飛び、韓国を経由して日本に帰った。つまり、あらゆる土地で様々な背景を持つChineseと出会ったことになる。しかし、その大半は決して中国人という訳ではない。
ましてやChinese MalaysianやChinese Singaporeanは出自と民族性を表しているに過ぎず、中国人であった試しはない。彼らの多くがマレー半島に移住した時代は、中華民国でも中華人民共和国の時代でもなかろう。
Chineseとは国籍なのだろうか、それとも広い意味での民族・文明なのだろうか。Chineseであることと中国人であること、そして中華人民共和国国籍であること。これらは似て非なる難しい概念だと、改めて考えさせられた。
余談だが、中国語一つとっても、その呼び名は地域によって様々である。「中国語」と我々が呼ぶものは、時に「普通话」であったり「中文」であったり「國語」であったり、またある時には「華語」であり「华语」でもある。対外向けには「台灣華語」と宣伝されたり、外から「北京語」と呼ばれることもある。以上の呼び名は殆ど同じ言語を指すが、言語の呼称だけでもこれだけ複雑なのだから、各々の出自の話になるとより一層複雑なのは容易に理解できる。
欧米もいいが、案外隣の方が奥が深くて面白いと改めて感じた。特に、世界中の非Chineseの中で漢字の持つ微妙なニュアンスを自然に理解可能なのは、おそらく日本人だけである。日本人こそが、時に良き理解者として、また時に良き宣伝者として、この巨大な隣人達と関わって行くべきであろう。そこには数多のチャンスが未だ眠っていることと思う。
日本人と中国語は相性がいいから、英語よりもおすすめです。