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論理の罠に捕まると、世界を半分とり逃す🌎

アレコレやることが多いと、時間に追われる感じがします。
早く自分をラクにしたくて、どんどん進めていきたくなります。

時間が詰まる気がします🕒
心も頭も追われます🏃なんだか嫌な感じです。

そこからの現実逃避。まったく関係ない小説を読むと、意外と気持ちがスッキリでした。
そういうことってありますね。テスト勉強中の片付けとか。

仕事がたまっているから仕事を進める!
論理的にはそうなんですが、だから永久に忙しい🏃🏃

論理で「正しく」動いてみると、あんがい間違えるかもしれません。
論理で動くと目前の小さな対処にばかり、無限に追われる気もします。

スッキリした頭の方が、ほどよい「終わり際」が見えたりね🔍

現実逃避してスッキリした後の世界はきれいでした🚲


りんごギフトのお返しに、お米をくれた方がいます。田んぼで育てているからねって🌾
別の方も言ってくれます。「お米に困った時には言って。家にいくらでもあるからね」って🌾🌾

ありがたいです。心強くて安心です。
それで「論理的に」考えて、そういう人間関係を作っておこう、とか言っちゃいそうです。

でもその論理的な発想、因果関係とか目的と手段の発想が、相手を道具に変えちゃいます⚙
論理的に動くだけだと、大事なものを逃しそうです。そうしたかったわけじゃないです。

相手を手段や道具に変えず、関係していたいです🍎

初めて原画を買いました。早川容子さんの作品。気持ちが和らぎます。


論理的に「正しく」考え振る舞うことが、正しくない時もあるのです。
あれはデンマーク留学中🏫

その日は遅くまでパーティーで、僕は早く寝たくって。
でも朝4時くらいまでズンチャンで、寝付けない頭はぐるぐる巡る。
翌朝はみんなで片付けする約束で、けど飲みすぎて起きれない人は参加しなくて。

そんなのおかしいじゃん、って寝れない頭で考えます💭
集会とかで訴えようか、と妄想します💭💭

もし実行したらどうなったか。
周りを説得するために話は論理的になっていく。来る反論を予想して、返す言葉も用意する。闘いに勝てる準備をする🥊

ここでアレレと気付きます。
初めはこの小さな悲しみを知ってほしかっただけなのに「闘いに勝つ」に変わっている。
説得力や影響力のために論理武装して、賛同者が出ればますます引き戻せなくなる。

論理で動いたその結果、したかったこととズレています。

論理と「知ってほしかった悲しみ」は違う。なのに論理にばかり傾く。
正しさを訴えて勝ち負けが生まれる。その関係性に禍根が生まれる。
平和を求めたのが闘いになる。

論理の罠そのものです👀


教育もまた同じです。
AをすればBが起こる。欲しい結果のそのために、相手を操作して手段化する。
いちばん人間的なはずの営みが、いちばん道具扱いに変わっている🔧

そういう怖さに敏感でいたい。世の中そんなことばかりですから。

こういう投稿をすると良い。
こうすると楽にお金が増える。
こうすると。ああすると。私はこうした。

そんな手段の話ばかり。日々が目標への部品になる。
この毎日こそが人生なのに、部品にされて空しくなる。

論理の罠そのものです👀👀

世界は論理だけじゃない。論理は世界の半分だけ🌎
ご用心して生きたいです。

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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…

それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。

日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。

大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。

返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。

今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。

よければお付き合いくださいませ。

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