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アートは鼻歌。自分の欲との付き合い方。
ダイニングテーブルを切り出した余りの木材で時計を作る(まな板も🐳)。
丸く整え文字盤を彫り、さてこの先どうするか…🕒
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彩色するもしないも自由。それが何色かも自由。どこまでやるも全てが自由。
その感覚ってけっこう苦しい。気持ちがぐるぐる闘いでした。
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初めから完成されてもいる。
木目がきれいでシンプルで。これは無難にカッコいい。
絵の具なんて20年は触ってない。どんな風にしたいかも無い。
このままでも悪くない。手を加えれば、もしかしたらビミョーになる。
それでもやるか。
…。
で、やってみましたよ。「こういう機会そうそう無いから、やらないのがもったいないよな」って。
あー筆は2回洗うんだったと、基本の基本を確かめながら🎨
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ドキドキしながら塗ってみる。なんか意外と良いかもしれない。
爽やか。かわいい。人に見せても悪くなさそう。
この先どうしたいかも無いし。筆の動かし方も浮かばない。
でもこれだといかにも無難。チャレンジとしては物足りない。
それが何だかもったいない。こういう機会はそうそう無い。
なので方向転換。黒を投入!
計算も先の方針もなし。
黒を混ぜると色が深まる。それを「悲しみを入れる」と呼ぶ。
言われたその言葉に惹かれ、とにかくやってみたわけです。
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墨液もあると言われ採用。今日は何でもやってみます!
分かっちゃいたけどガラリと変わる。あちゃー、やらかしちゃったかも。
ゴシゴシこすってみたりとか、キズを増やしてみたりとか。
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端に色を加えてみる。離れて眺めてまた調整。
何とか立て直せないものか。いや今のも良いと思えないか。試行錯誤…。
そしたら少し変わってきた。
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「アートは鼻歌」と言葉をもらい、思いつくまま進んでいく。
コントロールしたくなる。けど出たとこ勝負に切り替える。
生まれたものにちゃんと驚く。次はどうしようかと悩む。何とかしようと足掻いてみる。
そういう全部を自分で決める。
アートは人生トレーニングみたい。
方針を選び貫くこと。自分で全てを決めること。
暮らしや仕事に通じる良い比喩。普段も絵の具をしたくなる🎨
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初めにゴールがあるんじゃなく、やってみながら見つかっていく。
一直線に進むんじゃなく、ウロウロしながら探していく。
あちゃーってなった後悔も「これで進むしかないんだし」って覚悟を決めるための材料。
なんとも人生っぽいリアルさです。
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何を目指すかなんて分からない。何に繋がるかも分からない。
デンマーク留学もそうでした。意味なんて(何か分からないけど)あるに決まってる。
せっかく留学しているのだから将来に繋がる経験をしないともったいない。
— とーる@生きやすい形を探す (@toru0303) October 6, 2022
でもそういう逆算思考(下心)が、この時間を技術訓練に変え、未来への部品に変え、つまらなくする。
できるのは、この空気に身を浸し、受け取り影響されること。その自分が未来を選ぶのだから、意味なんて有るに決まっている。 pic.twitter.com/7sqPescD9z
手放す時に見えるって、こういうことなのかも。
手放すのは「こうなってほしい」って自分の欲。
理解しようとすると、理解できる範囲に収めてしまう。
近づきたい相手とはうまくいかない。近いなら近づきたいと思わない。
良いものを作ろうとすると無難になる。
そういう構造がありそうです。
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欲との付き合い方が大事だと、最近ぼんやり考えています。
アートはきっと良いヒント。そんな気がします。
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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…
それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。
日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。
大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。
返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。
今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。
よければお付き合いくださいませ。