車に乗りかえるんじゃなく、漕ぐのが大変な道も楽しめば良いのです🚴
坂の多い地域に移住しました。
教員時代の校長先生が、まちたんけんに行く子ども達に
「この町では上り坂と下り坂どっちが多いでしょう?」
とニヤニヤ問いかけていました。
悪いオトナですね。そういうユーモア大好きです👓
子どもと遊ぶ、じゃなく子どもで遊ぶ。それくらいが上手くいくのです。
自転車で移動しています🚲
坂の多い地域ですが、信州、自転車、今の時期。
爽やかで気持ちよくて車じゃもったいないのです。
採れたて野菜を買いに道の駅へ。上りをひたすら進みます。
がんばって漕いで、あるいは愛車を押して歩いて。
上ってたどり着いたのだから帰りはずーっと下り坂。
ほとんどペダルを漕ぐこともなく、風も景色も気持ち良い。目の前には山と空。
もし車だったら行きも帰りも楽でした。でもこの楽しさは味わえない。
甲本ヒロトさんの言葉を思い出します。
車があっても自転車も乗り続けたいです。
苦労して漕いで、だから感じる楽しさがある。
車という便利で失くすのは勿体ないなあと🚲🚲🚲
せっかくもらった自転車ですし👇
どう反応するか、が大事な気がします。
反応に対してまた反応が来て、それが世界になっていくから。
反応をかえした方向に、世界はどんどん引っ張られていく。
教員経験で見つけた僕なりの真理🏫
ウソなくムリなく、良い反応をかえそう。
作りたい世界があって、相手を動かしたくて、先出しすることばっかりです。
学校なら「◯◯しましょう」ばかりです。
それだとやることが増える一方だし、相手を窮屈にしていくし、「先生に言われたからやりました」を抜け出せない。
その子の手柄を奪っちゃう。
こちらが言わずともやったことがその子そのもの。そこに反応をかえす。
こういう気持ちだったのかな。私はこう思ったよ。
って、受けてかえす。
何の部分に何をかえすか選べば、良い世界ができていく気がします🌏
庭のコンポストと緑肥、早く堆肥に変わってくれないかなあ。
でも願ったって早くはならない。中途半端じゃ逆に良くない。
できるのは、待つことだけ🍵
人にもそれぞれのペースとタイミングがある。
気持ちが今すぐ言葉にならないこともある。
こちらは見通しがあって「こう言ってくれたら次に進むなあ」と思って、そう言ってほしくなるけれど
本人にとっては言うのにドキドキしたり、何か言ってみたり、言葉を間違えてみたり、失敗や後悔をしながら「次こそは」と思う、そんな積み重ね。
その人の時機を待つしかない。
急がせるのは「言ってほしいことを言わせる」だけ。その人の言葉が出たんじゃない。
相手の手柄に見せかけた自分の手柄💰
先出しは相手のペースを乱すことかもしれない。
それより受けとって返すことな気がします。生き方ブレストでも気をつけています。
相手を変える・影響する・強制するより、解放する方向が僕は好き。
受けに回る。
先出しばかりの世の中だけど、僕は後受け。
現実的な制限の中で生き生きと解放される。
その方向を願って反応をかえしていきたいのです。
坂が多くたって不便だって、今すぐ変化が出なくたって、その良さだってあるのです🚴
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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…
それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。
日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。
大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。
返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。
今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。
よければお付き合いくださいませ。