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「専用席」と「札幌市電」と「さっぽろ文庫」が主な板垣遺産。

 といふことで久々に本来の市電関連(軌道線)に
話を進めていくわけですが。
 まあここは最低限を抑えておくためのガイダンス
まで、にはなるのかなと。

なんとか札幌周縁の「札幌温泉軌道」「札北馬鉄」
「軽石馬鉄」に関して話題を片付けたので、こないだ
投票(期日前投票)してきた際に撮れた場所的に里帰り
した248号の姿、ってシロモノもあるわけですが。

まあ札幌オリンピック、なる鬼っ子のような進化を
要求したがる巨大利権イベントの最中で軌道線である
札幌の市電は地下鉄がある程度整備されても生き残る
ことが出来たか、といえば、そこに棹さし未来を見据え
ていた板垣武四市長、といふ方が札幌にはいた、といふ
ことをまずは主張しておきたい。
 っていう今回は主にそんなお話。

牛鍋蝸牛氏が以前「札幌人」に執筆していた板垣市長に
対するエピソードはまずこれか。

 路線を残す際、当時の板垣武四市長(故人)が言った
「俺の目の黒いうちは市電はなくさないぞ」というせりふ
は有名です。沿線住民だった板垣さん一家は、奥さんが
大の市電好きだったらしく、中央区のお年寄りは「板さん
のおかげで今の市電がある」と話してくれました。当時の
世論も市議会も「市電全面廃止」で固まっていた中での、
存続続行。女性のほうがまちづくりに関して先見の明が
あるのかもしれませんね。

季刊「札幌人」2004年秋号(札幌グラフコミュニケーションズ)p24

ま、存続の追い風になったのが中東戦争とオイルショック
というエネルギー供給元の不安要素に基づいていた、
ってのもある程度覚えておいて損のない現象(フェノメノン)
だろうな、とは思う。

と同時期において市電・地下鉄どちらにも適用した
「専用席」の概念。妊婦・60歳以上の方・怪我をしている
人専用の席、といふ概念で、このリテラシーがあることも
あり、片手間の優先席で済ませてしまった地域よりも
「専用席」として該当する方に席を譲るリテラシーが札幌
では高いとして注目されて研究もされつつある昨今ですが、
この「専用席」の概念・マナーを導入したのも板垣武四
市長時代の功績、と云われております。

この2つが主に「板垣遺産」とも呼ばれる札幌の偉大な
レガシーであり、もう一つは長年かけてひとまず完結した
さっぽろ文庫が板垣武四市長時代に発足したレガシーと
なります。で、この1巻目が「札幌地名考」であることから、
ここを基軸にマイナーな地名の探究が行われていったのも
当時のマイナーな地名スレの醍醐味の一つではあったと。

板垣武四市長時代に当人が書かれた「札幌地名考」の
序文を少し引きます。

 いずれにせよ、地名は人とともに生きています。地名には
ふるさとの香りがします。そんなことから、さっぽろ文庫の
第一巻が「札幌地名考」だったということに深い意義を感じ
ています。
 どうかご愛読ください。そして地名を通じて、そこにお住
まいの方々が一層深くこの地を愛されることを期待します。

札幌市長(当時)板垣武四「地名と私-序にかえて-」(1977.09)

そんなスタートの一つもあったマイナーな地名スレで
どんな話がなされていたかをこれから気が向いた時にでも
リライトしてみようかなと。

ひとまずは板垣武四市長がいたことで守られたいくつかの
「堀川」があり、でまた性急なヘタをこいたことでこないだ
死亡してた自民党傀儡の堀達也市長の頃に地下鉄バブルで
ヘタをこいたので、それ以上の地下鉄路線延長・延伸の話が
立っては消えてった、の端緒でもあることくらいは、抑えて
おくのも悪くないのかなと。

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