残念ですが国語には道徳教育の振りかざし、しか残っていません。そんなもんでしかないから識字率は高くても文盲、なんて事態が普通に起こるの。所詮文盲庁なんて花見気分とウイルスで出来ているんだからせめてコトバの選び方くらい大事にしましょうかね。
ってことでおそらくかつて所詮文盲庁でシークした
成分分析はどこかにあったはずだ。
これはあとから調べてみよう。
基本姿勢は数え方から、というコンセプトで
今日のメインテーマはこちら。
池田綾子で「数え歌」。
ってことで標題のメインテーマを担っている
ところに関してはオーソリティーのこの人の本が
大体説明してくれます。
なのでムダなイデは放置して、エツとり。
エッセンスだけ拾って、技術やコツのテクニックを
還元した方がやはり「よりまし」になる。
(日本語的にはよりましからその縁(よすが)
を持って広がりとのびしろが確保出来る可能性を
残すことにもなるし、英語的な「よりまし」って
いえばモアベターにもなるでしょ)
ってことでここで臨む時のコトバのフォーム
(としての姿勢)はおおよそこれになる。
物事は言葉で考えるもの、なのでこのバリエー
ションをどのくらい埋蔵しているか、それを
上手く運用できるかで書ける文章は自ずと
違ってくる。それが文章を書いて構成して校正
する上でのあくまでも基本姿勢。
逆に埋蔵していたとしても、それを上手く運用
できずにものぐさに走ると大概はロクな結果を
生まずにいつもの「ミノタウロスの皿」に殉じた
形で捌かれた血痕にしかならない。
つまりはこの方が近いからと無謀に横断歩道の
ないところで道を横断して交通事故とか、卑近な
欲望に釣られていろいろし損じるギャンブラー
とか、書店員にまともな検索ワードも与えず
それだけで通じると思ってんのか、という結局
目的の本にありつけない空回りする欲望の押し
つけをかましてありていに貰いの少ない、人の
話を聴かない団塊の世代に特にありがちな、
いわゆる典型的な死亡フラグってヤツである。
団塊世代が意志の押し付けを家族主義のイデ
込みで熨斗つけてくるのはもうくたばってくれる
より対処方法はないので、会話できるうちから
対応するしかないけれど(まあ昔からそれは
ある。「姨捨機能」って言ったりするヤツだけど)、
もう一つの不可能、があって、そろそろ社会的
にはここに属する人達を「機能的非識字」と
呼ぶようになって来ているらしい。
すなわち、もう何が「わからないかが、わから
ない」のレベルで動機付けが出来ないまま漂流する
社会的ぼっちが「機能的非識字」として存在
している、ってこと。
棘観たときにはこれも少し気にはなってたな。
勉強が出来る子と苦手な子の比較に「分かる!」の声や「出来る子は
そう考えていたのか…」の声→それ以外のパターンの子も集まる
「勉強とか超越した子」
ここのコメント欄に残ってるツイートにもいろいろ
示唆はあるんですが、私が勝負しないところで
矢鱈かましてくるのを生理的に嫌うのはここの
価値観の衝突があるからかもね。
マヌス @8EwMMLFV0DyDtc9
2019年7月19日
小学校は100マス計算の時間を競ったり、九九を
いかに早く言うか、テストが解けたら残り時間
自由にしていいとかで、じっくり考えることを
推奨するのはあんまりなかったな…。
大体の教師が「活発さ・瞬発力>正確さ」だった印象
スポーツやeスポーツでよく言われる赤筋的思考
というか、「この記事は何分で読めます」思考に
凝り固まってる人達とは一線引いている一面は
確かにあるので。
だからそうした瞬発力とデカイ声式クイズ
パターンに陥らない思考と工夫が日本語使い
としてはどうしても(対策的に)必要になるの
かな、と思っている次第。
ってことで調べはついたかな。
なんとか見つかったわ。
データ検索したけど出なかったが「文盲庁」では
なくて「文盲腸」で記述していたか。
昔成分分析メーカー、ってのがあって「文化庁」で
成分分析してみたけど、余りにも的確過ぎてそれ以上
ガチャする気にもなれなかった、ってのがありまして。
当時遺していたコメントがこちら。
花見ムードとウイルスで生成されてるなら、この現状と
惨状も納得するしかないね、と当時思ったのでした。
診断メーカーとしてまだ存在はしているようだけど。