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上から降ってきやがったので、1999年から2000年あたりのSCRAPブックから記事の拾い読み。「汽車」と「市営の路面電車」と「地下鉄」、ってコトバの使い分けがわからなくなってるフーテン記事の背後や事情と。ボスマン裁定ってコトバの用例採集例と。

たまには「別に怒ってやしませんよー」って意思表示くらい
はしないよりもした方が良さそうだ。
 まあ白岳しろさんのコメントがパッタリ来なくなったのは
多分このにべもない返事をしたからかも、なのですが。

BS朝日のケンコバのビジホ旅でも二回目のマスターが
米焼酎で「白岳しろ」を薦められてケンコバ呑んでいましたし。おめでとうございます、と。

ビールで喉を濡らした後に行きつけの店のマスターに薦められて
「白岳しろ」を呑まれてました。

最近は毎日投稿のリズムもあるので酒量は減らしているの
ですが、仕事の区切りや気分転換の一杯で「金しろ」も
「KAORU」も呑んでいますので。

 ただここ二回ほどの特集が「ニッチな嗜好品」過ぎて、
スキを押せないテーマなのが少し寂しいところですけど。

自分に合う銘柄がわかる「白岳の地図」ついに完成!“風味”と“香り”のマトリクスを歩きながら、あなただけの1杯を探し当てていただきたい|白岳しろ【公式】

このくらいのマトリクスに順応した「多様性」があると
いいな、とは思いますが。欲目過ぎますかね。


とりあえず多分に怒り疲れたのと、ちょっこし片付けモード
との切り替えに疲れて、なんのネタをこさえることもなしに
日が暮れるまで寝てしまった。

 まあそろそろ夏の大片付けでコタツ蒲団を上げたので、
それを下ろす準備をもくもくこなしていた。

 今月のレシート精算が終わっていないので、まだ本格的な
モードに入るのはこれからだが、大体三次工程でモノをどかせてスペースを確保する作業は完了したから、まああと七割ってところでしょうか。

 なんとか起き抜けて目的の部屋に入ったらほぼ空箱で説明書しかない「Winning Post6」のPC版とスクラップブックの
1999年から2000年あたりの一冊が上から降ってきやがった。

ってことでこれも縁なのだろう。
ちょうど成田きんさんが亡くなった、とか2000年に到達する前に池田貴族が36歳で死んだ、と言われてる記事が雑多には
並んでいはるそんな前後。
(イカ天の寵児池田貴族はその後高速道路中国道で並んだ桜塚やっくんと同じような「時代の象徴」と弔われかたに推移
していくのてすが)

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1485585?display=1

 そんな頃のSCRAP拾い読みでもしてみますか。


まずは新聞内同人誌面か。北海道は完全に夕刊が無くなった
世界線ですが、この頃は字体も小さくデンソーコードはベタベタ
貼られておらず、ミニコミ的な新聞内同人誌が封入されてることも
少なくありませんでした。
 何度か取り上げていたりもするのですが、そんな朝日夕刊に同梱
されていた「BUN BUN」1999年の「なんだ?コレ」欄
から少し。まあ前提前置きはこちらに正解があります。

ぐずたらと近況を並べていくところから行くから、別に看板はいいや。2022年10月ノ巻-「汽車」と「市営の路面電車」と「地下鉄」と-|torov

本来「汽車」と「市営の路面電車」と「地下鉄」は
それぞれ別で、かつJRと札幌市がそこそこ仲が悪い平行線、
ってのが札幌の交通事情だった、ってのは少しくらい覚えてて
欲しいなとも思ったり。

 大多数(大概それは旧手稲村を除く、だからノブコブの吉村崇の
知名度くらいに解釈がナンギに乗り上げるもの)の
「札幌市民」にとって「市営の路面電車」と「地下鉄」は
札幌市内でのインフラとして整備されて発展してきたものなので、
SLの外様から気動車に移行しても国鉄からJRの
「汽車」は内陸の炭鉱と海岸の港町(ここでは苫小牧でも
函館でもなく特に小樽)を結ぶ間の結節駅の一部でしかなく、
特に高架駅が整備される前は街を南北に分断する余所者の
「象徴」だった、ってことを加味しないと
「汽車」と「市営の路面電車」と「地下鉄」、ってコトバの使い分けは
一生理解出来なかろう。

明治29年(1896)発行「大日本汽車道中独案内」内鉄道案内図

 だから「市営の路面電車」は街中を中心にループ化するし、「地下鉄」は
新交通ゴムタイヤなので東京・大阪・名古屋・京都・福岡などとは違い、
そもそもJRと市営交通は乗り入れを行わない設計になっていると。
(これに付随してJRに対抗する高速バスに対しても接続性の悪い
交通インフラに設計されてるので(とみに冬の、を問わず)インフラ
なんて地下鉄以外は「順調に遅れるもの」って認識が道内では強い)

 これらを踏まえて。

ここで若者の代表として、北海道大学鉄道研究会の下村英明
会長に登場してもらおう。
「道内には、他の地域よりも遅くまで蒸気機関車が残っていたんですよ(内註・1970年代の1975.12.14まで、室蘭本線)。要は、道民は電車に馴染みが薄いと」。
 さすが、鉄研の会長だが、いまや電車は当り前に走っているのでは?
「電化区間は意外に少ないんです。(中略)で、ほかはディーゼル車ですから」

「BUN BUN」1999年9月号「なんだ?コレ」
どうして「汽車」って呼ぶの!?

 で、設問者の手稲区の人も、調査回答してる調査隊のゴンゾウ
(「当たり前」ではなく「当り前」の送りガナ世代)も
北海道大学鉄道研究会の下村英明会長も関西ないしは大阪の出身
なので、こうも鼻を括ってしまうんだな、といふのが
顕著な記事なんですが。
(そんだけやいう留学とは別ベクトルでオクラホマ並みに
北海道の大学に関西や東海圏(私が大学の自治会にいた時
当初の調整型な会長は愛知県出身だった)から学生が越境離散してた頃
の事象ではある、がここからも観て取れる)


 メイン並みに項を重ねてしまったのでもう一つは軽いので。

 よくサカつくEUの話でボスマン移籍、ってタームを出すけど
オイルマネー以前の大革命だったボスマン裁定は1995年
12月のことだったのね。

サッカーファンなら知っておきたいボスマン判決|六|note

球蹴りビジネスがさんざ言われた機運もあって、サカつく
シリーズが作られる素地にもなった一端がボスマン裁定でも
ありますが。

2000年あたりのスポニチだとコトバとしては「ボスマン裁定」を
採用していたのが受け取れるこの頃の欧州サッカーに対しての
文例採集例を乗っけてここは記事を締めようかと。


95年12月のボスマン裁定によって有力選手の獲得には膨大な資金が
必要になった。しかし、裏を返すと資金さえあれば、
EU内の有能な選手をかき集めることも可能ということ。

「NEWウルトラZ」揺れる欧州サッカー3
「人気、実力に加え経営能力も」
スポーツニッポン2000年5月18日掲載





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