坂口恭平さんに会った話

坂口恭平さんにお会いした。そう、躁鬱人界の巨匠、坂口さんである。

坂口恭平さんは、なにでもっとも名前が知られる人なのだろう。自分の携帯電話番号を公開して、死にたい人からの電話を受け取っていて、実際に、困窮するシングルマザーにポンと 10 万円送って命を守っていたりすることだろうか。それとも、美しいパステル画だろうか。ぶっとんだ著作の数々だろうか。

坂口さんの本を初めて読んだのは「自分の薬をつくる」で、悩める人への思いがけない面白いアドバイスですっかりファンになった。その次に読んだ「躁鬱大学」で完全に大好きになった。最高すぎて、一人でニヤけたり、手を打って笑いながら読んだ。躁鬱人の友だちがいたら、「躁鬱大学」で的確に描写された躁鬱あるあるを一言一句に至るまで「わかる〜!!」と言い合いながら読んだだろう。「躁鬱大学」は、精神科医の神田橋條治さんによる「神田橋語録」を大学の講義の指定テキストのように引用しながら、その引用について自由に語るような形式になっている。躁鬱人として、神田橋さんによる躁鬱人評は気持ち良いぐらい的を得ていると感じるので、神田橋語録を肴に無限にしゃべりたくなるのは全く共感する。「躁鬱大学」を読むと、「躁鬱大学」を指定テキストとする講義を今度は自分がやりたくなるくらいだ。とにかく「躁鬱大学」が爽快すぎて、自分の生き方をガラッと変えようと思うくらい影響を受けたから、もしチャンスがあるなら、坂口さんにいつか会ってみたいなあと思っていた。

すると、思いがけずチャンスがきた。近所の書店で、坂口さんがパステル画の個展を開くというのである。本人も熊本からいらっしゃるようだったが、ずっと会場にいるかはわからない。でもすぐ近くにいるかもしれないのに会いに行かない手はない。意を決してでかけた。

会場につくと、案の定、坂口さんはいない。店員さんに聞くと、あたりを散策していていつ帰ってくるか、帰らないかもわからないという。個展初日の終了まであと一時間。息子を実母にあずけてきたが、一時間もすれば母の帰る時間になってしまう。とりあえずもうしばらく粘ってみようーーーそう思った数分後、本人がふらりと入ってきた。思わず「あ!」と言ってしまって、苦笑いの坂口さんに「あ!じゃないよ〜いるんだから〜」と言われた。(ツチノコみたいな反応をしてしまってすみませんでした)

すごい色気である。マスク越しにもわかるカッコよさ。意外にちょっと高くてフランクな話し声だった。おそらく坂口さんに会えることを期待して、書店をふらふらしていた人は他にもいたようで、坂口さんに気づくやいなや、みんなが坂口さんを囲み、話しかけだす。横で聞いていると、坂口さんの museum の開館初日に大阪から熊本まで会いに行ったような猛者までいる。そこに割って入るのにはすごく勇気がいった。ちょっと店の奥の方で休もうとする坂口さんを追いかけていって、どうにか声をかけた。

自分も躁鬱人で、躁鬱大学を読んで勇気をもらって進路変更しようとしていること。パステル画に感動したこと。神田橋さんはすごいですねと言ったら、あれは一度詣でるべき、みんながディズニーランドに行くように、俺達の詣でる本尊は神田橋だから、と言っておられて笑った。同じ躁鬱人というだけで、もう俺たちと呼んでもらえたのが嬉しかった。坂口さんも神田橋さんに 2 回会いに行ったらしい。ものすごく待ったら最後のほうに診察してもらえるらしい。神田橋さんが何歳なのか知らないが、会えるうちに会いに行きたいと思った。

躁鬱大学の話をしたら、あれ効く?なんておっしゃっていた。いい意味で力が抜けているところが素敵だと思う。心地よいゆったりした服を着て、快適に、心に正直に生きるように努めている感じがした。無邪気で人懐っこいような、しかし距離もあるような、そんな印象を受けた。子ども部屋に特化したインスタレーションをやってみたいと思っていることを話したら、うまくいくと思う!と背中を押してくださった。いいスケッチができたら Gmail に送っていいですか、と聞いたら、いいよと気軽に言ってくださった。他にも坂口さんに話しかけたい人が列をなしている気配があったので、それで退散したが、お会いできて本当によかった。

家に帰ると、坂口さんみたいなゆったりした服を着よう、と思い立ち、バルーンパンツを初めて買った。ちょっとずつ、新しい自分に進んでいる予感があった。

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