映画感想 アイリッシュマン
1月20日視聴!
2019年にNetflixにて配信されたマーティン・スコセッシ監督の作品。やはり名匠マーティン・スコセッシが手がけた作品というだけあって、「配信発」の世間的イメージがガッと変わった印象がある。配信から始まった作品がアカデミー賞といった世界的な映画賞に出ても、文句言えないような空気を作ってくれたような、そんな感じができたように思える。この映画ともう一つの作品『ROMA』が制作されてから、配信発のイメージは確実に変わった。
で、その内容だけど、まず……
ロバート・デ・ニート若ェ!!
まず老人のロバート・デ・ニートが登場し、そこから若い頃の回想シーンが始まるのだが、これが本当に若い。これはいったい何なんだろう……と疑問に感じたが、デジタル・メイクだそうだ。
本人は特殊メイクもなし、顔にポインターも付けず、そのままの格好で映画に出て、後のポストプロダクションでCGで作られた若いロバート・デ・ニートの顔に差し替えられる。
具体的な技術については調べる時間もないのでわからないが、これが可能ならいっそ別の俳優に入れ替えちゃうとか、そういうこともできてしまうんじゃないだろうか。私は以前、「演技はできないが顔だけが人気のイケメン俳優は顔だけ提供し、芝居はうまい人に演じて貰ったほうが良いんじゃないか」みたなことを書いたが、そういうことも可能な時代……というわけだ。
すごい時代に来たものだな……。
ただ演技に関してはなかなか難しいらしく、確かに顔は若いロバート・デ・ニートだが、肩周りの筋肉が固く、どことなく姿勢が老人っぽい。俳優達もそこを意識して、30代のシーンでは背筋を伸ばして行動も素早くしようと努力したらしい。でも見ていると、さすがに体型は老人体型。演技でカバーしきれないものがあるようだ。
お話だが、ロバート・デ・ニートことフランク・シーランはごく普通の食肉輸送トラック運転手……というところから始まる。仕事で移動中、トラックが停まってしまって、修理をしているところに親切なオジさんが声をかけてくる。「ここだ。これを締めろ」と言われたとおりにすると、トラックが再び動くようになった。
後々わかることだが、このオジさんはマフィア界のヤベーやつだとわかる。街で誰かを消す時は、このオジさんの許可をもらわなくてはならない……そういうオジさんだった。
最初の方はフランク・シーランはこのオジさん=ラッセル・バファリーノに頼まれて、マフィアが経営するレストランに肉を横流しする……という仕事を請け負っているだけだった。それが次第に殺人の依頼も受け付けるようになる。
フランク・シーランは以降、マフィアのヒットマンとして活動するようになるのだが、その場面がまったくドラマチックに描かれていない。どこか日常の延長のように描かれるし、場面によってはコメディ的なユーモアを持って描かれる。
ヒットマンとして活動を始めたフランクは、いつも同じ川に使用した銃を捨てに来るのだが、この時の編集リズムが完全にコメディ。次々と車が来て、捨てる銃もどんどん物騒なものに変わっていく。そして川底には投げ捨てられた大量の銃。あそこをさらえば軍隊を一つくらい作れる……って、どんだけ殺してきたんだ。
ついでに映画に登場してくる人物の半分くらいは銃弾で死亡している。物騒なお話なのだが、それすらどこかユーモアを持って描かれていく。
マフィア映画といえばおっかないボスがいて、命知らずのヒットマンが無茶をやって……みたいな流れをイメージするが、そういう“いかにも”な描写がまったくない。ごく普通の、アメリカの日常のようなものを背景に描きつつ、その中にしれっと暴力も描いてくる。その日常感がなんともいえない異様さを作っている。
前半部分を見ていると、マフィアからの依頼というのはだいたいが「商売相手を消してくれ」と、意外と普通のビズネスの話。その後も生き残って老舗になっていく企業って、つまりは相手をマフィアを使って消してきたのかな……とか思うようになってしまう。アメリカは恐い。
そういうマクロなお話を展開している前半から、重要人物であるジミー・ホッファの登場で政治のお話へと段階を一つ変えていく。
ホッファについては私は存じ上げなかったのだが、50~60年代アメリカでは大統領に次ぐ人気のある人だったらしい(その後、なぜか失踪したらしいが……)。だがホッファはニクソンを支持していて献金も送っていたため、ケネディとは敵対関係になる。
一方のマフィアたちはケネディ支持で、不正選挙をやりまくって大統領の座に据えてしまう。
不正選挙やりまくった……という話は驚きだが、どうやら実話らしい。マフィアとケネディはズブズブだったんだな……。
その次はフランク・シーランはキューバ革命を支援するため、大量の武器を提供する。
マフィアがアメリカだけではなく周辺国の色んな情勢・歴史に一枚噛んでいた……ということがわかる場面だ。特に武器供給の話はかなり興味深い。
戦争について語る専門家でも、その武器がどこから供給されたのか、そういう話まで言及する人は少ない。この辺りは『ロード・オブ・ウォー』という映画で詳しく描かれていたが、武器商人が紛争地域を巡り歩き、武器を売っているわけだが、その武器商人達の大ボスが実はアメリカ政府。アメリカは自分で紛争地へ武器を供給し、自分で出兵している……という構図が描かれる。
とある食肉輸送トラック運転手だった男が、次第にヒットマンとなり、アメリカ史の裏側を覗いていく……というストーリー。あまりにもトンデモないお話が続いて、「これ本当か?」みたいなお話が一杯出てくるが、どうやらどれも本当らしい。映画的な誇張や要約は当然あるはずだが、だいたいの流れは映画の通りらしい。アメリカ現代史の裏側にある暗部をあぶり出している。
しかしだからといって殺伐とした映画ではなく、なぜかどこかユーモアをもって描かれている。いくつもの惨劇が描かれるのだが、どれもさらっと、ごく当たり前の日常シーンのように通り過ぎるような描かれ方をしている。拳銃の扱いも上手くなく、上手くないというところで、逆に生々しさを表現しているように感じられる。フランク・シーランの暗殺シーンがいくつもあるのだが、その場面を大袈裟にクローズアップをしたりスロー撮影したり、音楽で盛り上げたりもしない。いや、スロー撮影されているシーンはあるのだが、なぜか背景に穏やかな音楽が流れ、ユーモラスな描かれ方をしている。
もはや暴力が日常の一場面でしかない……という状態を表現したのだろう。アメリカはおっかない国だ。
ただ、暴力シーンには1カ所だけ引っ掛かりがあった。というのもロバート・デ・ニートが殴るシーン、パンチのタイミングと相手役の吹っ飛ぶタイミングが明らかにズレている。普通の映画では息を合わせて、バッチリのタイミングで吹っ飛び、本当に当たったように見せかけるものなのだが、この映画の殴り合いのシーンはどれも当たっているように見えない。ズレている。
あそこまで繊細なシーン作りをするマーティン・スコセッシはどうしてあれでOKしちゃったのだろう?
映像的な引っ掛かりはまあそこだけで、ほとんどのシーンはやはりよくできている。色調のまとめ方が良く、日常のシーンではどの人物もオレンジやグリーンといった落ち着いた色の服を着て、さらにセピア調のフィルターがかけられ、非常に美しい。その上にフィルムっぽい粒子が加えられ、往年の名作映画でも観ているかのような雰囲気に仕上げている。
マフィアが集まる重々しいシーンでは、みんな白や黒の服を着て物々しさを表現する一方で、ゴールドの照明が画面を美しくしている。
画作りはどの場面も文句の付け所がなく、きっちりしている。
引っ掛かりは、長いこと。3時間30分。よくあるハリウッド映画的な、エンターテインメント的な盛り上げ場が特にない。殺戮シーンもエンタメ的な盛り上げとして描かれず、淡々と流れていくだけ。わかりやすい“ハイライト”がない。それで3時間以上もあるのだから、見続けると少ししんどさがある。
確かにドラマ的な厚みは凄いし、「これ本当か?」という驚きは一杯あるのだが、見ていると疲れる……というのはある。
尺が長く大きなハイライトもないのに大予算映画……なるほど映画会社が手を引いたわけだ。それでも予算を付けて映像化にGOサインを出したNetflixは偉い。この判断ができたというだけでも、Netflixがもうどの映画会社よりも一歩進んでいるといえてしまう。
映画会社が作れなかったが、Netflixなら作れてしまった映画。これはひょっとすると映画の転換点なんじゃないか……そういう気すらする。もしかしたら後に記念碑的な映画になるかも知れない。そういう映画を見られて良かった。
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