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映画感想 THE FIRST SLUM DUNK

 バスケ映画最高の名作!

 2022年はアニメの当たり年だった。年の初めである2月に『鹿の王 ユナとの約束の旅』『劇場版 地球外少年少女』、5月に『犬王』、6月に『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』、7月に『映画 ゆるキャン』『神々の山嶺』、9月に『雨を告げる漂流団地』……と一部をピックアップしただけでもとんでもない本数。このうえに海外アニメや『ドラえもん』などの定番映画もあった。そのなかで11月公開『すずめの戸締まり』と並んで特大ヒット映画だったのが本作『THE FIRST SLAM DUNK』。2022年12月に公開されて、翌年の8月までというロングランヒットで日本国内だけで興行収入159億円。その後も定期的に再上映されており、これを書いている現在も再上映予定が立てられているので、興行記録はどこまで伸びるかわからない。
 『THE FIRST SLAM DUNK』はアジア圏で絶大な評価を受けており、台湾、韓国、中国でもやはり記録的特大ヒット。台湾で18億円。韓国では累計観客動員数687万人で興行収入100億円以上。中国では観客動員数1817万人で興行収入131億円。どこの国でも『すずめの戸締まり』と競い合うように興行収入を伸ばし合って、1位『すずめの戸締まり』2位『THE FIRST SLAM DUNK』というランクになっている。まさにこの年の日本を代表するアニメ映画だった(欧米圏ではアメリカでのみ公開)。
 他にもシンガポール、フィリピン、インドネシア、ベトナム……アジアのどこの国に行っても『THE FIRST SLAM DUNK』が公開され、大ヒット。その余波として、聖地巡礼で鎌倉市には旅行者が大挙して訪れる……という現象を作ってしまう。
 本作の評価は、映画批評集積サイトRotten tomatoでは43件のレビューがあり、肯定評価堂々の100%。一般レビューでも98%と絶大な支持を受けている。
 獲得したアワードは、第46回日本アカデミー賞で最優秀アニメーション作品賞、新潟国際アニメーション映画祭で蕗谷賞、第27回ファンタジア国際映画祭で最優秀アニメーション賞、第41回ゴールデンクロス賞で日本映画部門・最優秀金賞受賞……まとめるのが面倒なほどに国内・国外問わずあらゆる映画祭で最高賞を獲りまくっている。
 本作が制作される切っ掛けは、2003年頃から。テレビシリーズの『SLUMDUNK』がDVDとして売り出され、これが好調なセールスを記録し、この時点から劇場化の企画が立ち上げられていた。特にテレビシリーズは山王工業戦の直前で終わっており、この試合を映画にしてほしいという要望は強かった。
 しかし原作・井上雄彦が了承せず。東映アニメはいくつかのパイロット版を制作し、井上雄彦に提示したが「自分が思っているものと違う」と却下。
 2014年、3度目のパイロット制作版で井上雄彦はようやく了承。最初はオブザーバー的な参加のはずだったが、制作に関わっていくうちに、気付けば自身が監督・脚本まで務めるように。CGシーンの全カットを自らチェックし、自身でレタッチを加えて、原作そのままの絵が動いているようなクオリティに仕上げた。

 前置きはここまでにして、前半のストーリーを見てみよう。


 沖縄。小学生時代の宮城リョータは、兄のソータを相手に1on1を挑んでいた。ソータはすでに優秀なバスケプレイヤーとして注目されつつあった。リョータはその後を懸命に追っていた。
 しかしある日、ソータは友人たちとともに海釣りに出かけていく。
「……んだよ1on1やるって言ったやし! もう一回って嘘ついた! 嘘つき! 馬鹿ソータ! ばーか! アホ! 馬鹿アホちんこ! もう帰ってくるな!」
 リョータは練習に付き合ってくれなかった兄を罵倒で送り出す。そしてそのまま……。

 それから数年後。
 宮城リョータはある試合を前にしていた。広島県開催バスケット・インターハイ。その2回戦でぶち当たったのは山王工業。インターハイ3連覇の強豪校だった。
 試合が始まる。湘北は山王相手に順当な試合を繰り広げる。しかし次第に山王のペースに飲まれていき、点差が付けられていく……。

 そんな最中、リョータは過去を思い出す。
 兄が帰ってこなくなって、家の中は沈んでいた。地元ではバスケの名プレイヤーだったソータ。その兄と比較されるソータ。
「ダメだな。兄貴の代わりにはなれないな」
 誰に会っても、そう言われてしまう。
 そんな時、母が唐突に「引っ越ししよう」と。故郷・沖縄を離れて、神奈川県に移住。リョータも神奈川の学校に転校。しかし環境に馴染めない。友人はできないし、不良から絡まれるし……。
 リョータは一人きりでドリブルの練習を続ける。そんな時、とある少年が声をかける。
「1人でばっかやってたら、せっかくのテクニックがもったいないぞ」
 3点シュートを次々と決めてみせるその少年は、「またやろうぜ」と言い残し、去って行った。
 それからリョータは高校に入り、あの時の少年と再会する。しかし少年は変わり果てた姿になっていて、不良グループのボスになっていた……。


 だいたここまでのお話しで前半25分。実際には試合シーンがもっと長く、試合の最中に回想シーンでドラマが掘り下げられていく……という構成なので、印象は文章で見るものとだいぶ違って見えるはず。

 さて、本編を掘り下げていこう。

 オープニングシーン。湘北レギュラーメンバーが手書きの鉛筆画で描かれていく。最初に描かれるのが宮城リョータ。次に三井、ゴリ、流川、最後に桜木。原作では主人公だった桜木が最後、桜木をしのぐ人気キャラだった流川が4番目……。原作で主人公、重要度の高いキャラをあえて後ろに設定している。
 私の個人的な話をすると、私はジャンプ本誌で『SLUMDUNK』を読んでいて、それきり単行本で読み返さなかったし、アニメシリーズはおぼろげな記憶しかない。だから最初に「宮城リョータが主人公になっているらしい」と聞いたとき「誰?」って思った。桜木、流川、ゴリ、三井の4人は覚えていたが、記憶にも残らない、印象の薄い5人目。その5人目をあえて主人公に据えている。

 宮城リョータの印象が薄いのは、立ち回りが地味に見えるから。湘北にはゴール下で鉄壁の強さを誇るプレイヤーがいるのだが、その中で宮城リョータは自らシュートを決めるキャラではなく、ドリブルとパスでボールを運ぶ役。派手な立ち回りをする他プレイヤーに対し、やっていることが地味に見えてしまう。
 でもそれも考えようで、よくよく考えれば、湘北はゴール下の攻撃以外はポンコツ。誰がボールを運ぶんだ、といったら宮城リョータ。宮城リョータがいないと試合がほとんど成立しない……。それにドラマの展開としても、宮城リョータがドリブルで運び、パスで回すから、そこで各キャラクターの回想シーンの切っ掛けを作れる。全員を見渡せるポジションにいるから、すべてのキャラクターに平等にドラマを掘り下げる機会を作れる。
 宮城リョータを主人公にしたのは、そういうドラマを掘り下げるのに都合が良いから……という狙いがあったわけではなく、単純に原作であまり掘り下げがなかったから。宮城リョータを主人公にしてドラマを組み立てたら、逆に全員のドラマを平等に掘り下げられ、なおかつ1本の劇場映画としてまとまりがよくなる。結果的に宮城リョータを主人公にして良かった……という感じでしょう。

 宮城リョータは攻めの要。相手ゴール下まで運ぶのがリョータの役目。だだそのぶん、明らかに運動量が多くて大変そう。

 強豪・山王工業はすぐに「宮城リョータさえ封じれば、湘北は攻撃できない」と気付いて、リョータ封じをはじめる。ここからどんどん山王のペースに飲まれていく。
 それにしたって、この封じ込め方はひどい。

 原作主人公だった桜木花道はトリックスター役。賑やかし担当。原作では桜木視点でドラマが進行してたから、客観的な視点で描かれる桜木の姿がどこか不思議。こう見ると、桜木はこの場においてイレギュラーな存在だったんだな……と今さらながら気付く。

 ここからは作品の構成を見ていこう。

 まず冒頭。宮城リョータの少年時代が描かれる。

 5分。そこから一気にジャンプして、山王工業との試合シーンへ。最初の試合シーンは9分間、かなりしっかり描かれる。

 14分。再び宮城リョータの少年時代。ここがちょっと長めで21分まで。

 21分。ふたたび試合シーン。ここは短く1分。山王工業のプレスディフェンスで宮城封じが始まる。

 22分。宮城リョータの中学生時代。環境に適応できない中学生時代。三井との出会いが描かれる。ドリブルを山王工業に封じられる現在と、うまくいかなかった中学生時代が重ねられている。4分。

 26分。試合シーンに戻る。攻められる一方の湘北。休憩タイムの時に、安西先生からアドバイスをもらう。

 34分。回想シーン。ゴリの回想シーンが始まる。ゴリと宮城リョータとの関係性が掘り下げられる。宮城を軸にすると、他のキャラクターも自然に掘り下げられる……というのがここでわかる。

 38分。ふたたび試合シーンだが、桜木がいったん下げられて、試合を客観的に見る視点に。安西先生の「諦めたらそこで試合終了ですよ」の名台詞はここ。

 43分。桜木ふたたび出場。

 51分。三井の回想シーンが始まる。試合シーンの三井のシュートと、三井の回想シーンが重ねられている。

 三井の回想シーンから、そのまま宮城リョータの回想シーンへとお話しが繋がっていく。宮城視点にすると、他のキャラクターが掘り下げられて、さらに宮城のお話しに繋げられる。

 ここまでで、ゴリ、三井、宮城のドラマが固まり、防戦一方だった試合が反転していく様子が描かれていく。
 こう見て行くと、原作主役格だった桜木花道と流川のエピソードがぜんぜんない。それは原作を読んでね……ということだろう。

 では次に今作でなにが描かれていたか……を見ていこう。
 『SLUMDUNK』はスポーツ漫画であると同時に、ヤンキー漫画でもある。不良というのは、学校という社会に適応できなかった人たち。これは学校という社会そのものに大きな問題があるのだが……それは別のところでお話ししよう。そんな社会に適応できなかった者が、自分たちの居場所を求めてやってきたのがスポーツの世界。
 では宮城リョータは、どうして社会に馴染めない少年になってしまったのか。

 冒頭。小学生時代の宮城リョータ。兄ソータからグータッチを求められ……。

 そこから別のシーンへと飛ぶ。父の死。落胆する母。兄ソータは、「俺たちが母ちゃんを支えないと。俺がキャプテンで、お前が副キャプテンだ」

 気丈に振る舞うソータだが、本当は父親が死んで悲しい。しかし母親が落胆している家で、悲しんでいる姿を見せるわけにはいかない。自分が父親の代わりになるのだから。ソータは「秘密基地」にしている洞窟で、1人泣く。その秘密を知っているのはリョータだけ。

 そこから再びあのグータッチのシーンへ。このグータッチには、父不在の家庭を兄とともに引き受ける……という意味も含んでいたが。
 しかし兄ソータは友人たちに釣りに誘われて行ってしまう。シーンだけ見ると、なんでここでリョータが激高したのかわかりづらいが、ここは「一緒に1on1」という話ではなく「一緒に母ちゃん守るって決めたじゃないか!」……しかし、あたかも兄がその役目を放り出すかのように遊びへ行ってしまう。しかもそのまま、兄は帰らぬ人になってしまう。

 1人取り残されて、どうしていいかわからなくなる宮城リョータ。小さな自分だけでは母を守れない。母も息子とどう接して良いかわからない。リョータは母をどうやって守れば良いかわからないし、母も息子を守りたい気持ちはあるけどどうすればいいかわからない。気持ちのすれ違いが苛立ちをうみ、ぶつかり合いに発展していく。最悪の状態へと陥っていく。

 母との葛藤を解消できぬまま、神奈川の中学校へ転校。別にグレて不良になっていたわけではない。母が気持ちを汲み取ってくれず、勝手に転校を決められてしまったことに拗ねているだけ。それが、この地域の不良に「調子にこいてんじゃねーよ」と見なされてしまう。その「調子こいてんじゃねーよ」に対し、宮城リョータは「え!?」と返す。別に「俺は不良だぜ」と振る舞っていたつもりはまったくなかったのだ。
 母親との葛藤が、そのまま地域となじめない状況を作り出し、宮城リョータははぐれものになっていく。

 1人でドリブル練習をやっているところに、ふと少年が話しかけてくる。三井だ。リョータは三井に、兄を思わせるものがあって、戸惑う。

 ところが数年後、三井はなぜか不良グループのボスになっている(これ、なんでこうなったんだっけ?)。宮城はそのことに失望し、自分がふたたび孤独に陥ったのを感じる。

リョータ「ソーちゃん、ごめん。なんでかな。俺、母ちゃん怒らせてばっかりだ」

 何もかもから弾かれたような感覚になり、自棄っぱちになってバイク事故。その後、故郷である沖縄を訪ね、兄ソータが残したバッグの中からバスケ雑誌を見つける。それを見ながら、自分の原点を思い出す。

ソータ「いいかリョータ。俺たちが母ちゃんを支えないと。俺がキャプテンで、お前が副キャプテンだ。頼むぞリョータ」

 母ちゃんを守る……それが兄と決めた誓いだったじゃないか! どうしてその役目を放り出してしまったんだ。あの時、兄が自分を見捨てたように感じたから。いなくなった兄への反抗。その兄が死んだことをずっと受け入れられなかった。孤独に陥ったのは、自分の意固地のせいだった。
 その兄と、もう一つ立てていた誓いが、山王工業に勝つこと。ここでリョータの物語が、山王工業に勝ち、そのことで自身が抱えてきた葛藤を乗り越える……というドラマへと進んでいく。

三井「俺は誰なんだよ」

 湘北のメンバーはみんな似通った葛藤を抱えている。俺はなんなんだろうか? 俺たちはなんなんだろうか。居場所がない。居場所がないからアイデンティティの確立に不安を抱えている。

 ゴリですら、実は孤独を感じていた。ゴリは真面目にバスケをやりたいが、誰もついてきてくれない。ずっと自分1人で空回りしている。試合の最中ですら、自分1人で空回りしている気がして、孤独を感じてしまっている。

桜木「オヤジの栄光時代はいつだよ。全日本の時か。俺は……俺は今なんだよ!」

 今しかない。どうせはぐれもの。学校という社会に入っていっても、誰も自分を受け入れてくれない。クラスメートから怖がられ、教師からは目を付けられ……。俺、というアイデンティティを失わないように、髪を赤く染めて、俺が消えてしまわないようにしなければならない。それが本能に基づく行動だった。
 俺が俺でいられる瞬間は、ここでしかない。今ここで走らないと、俺という存在がここにいる意味がない! 選手生命がここで絶たれたって構わない。俺が俺である証明を、ここでさせてくれ!

 ゾーンプレスから、かなり無理矢理に切り抜けるリョータ。今ここを切り抜けないと、俺がここにいる意味がない……! 試合の展開とドラマの展開がうまくはまっている。諦めたらそこで終了……。立ち向かわなければ勝利はない。

安西「諦めたら、そこで試合終了ですよ」

 だから諦めない。最後の瞬間まで。一見するとなんでもない台詞だが、この一言が後半のドラマすべてを予言し、体現している。諦めたら、試合が終わるだけではなく、自分がここにいる意味がなくなる。湘北のメンバーが賭けていたのは、自分たちがここにいる意味という、アイデンティティ。諦めなかったからこそ、あのドラマチックな瞬間が訪れる。

 次は映像を見てみよう。

 試合シーンは見ての通り、CG。試合シーンをCGで制作した利点は、コートの中の10人を常に動かすことができる。手描きでできなくないけれど、非常に難しい。パース、デッサンを崩さないように、画面内の10人をそれぞれ意識を持って動かす……それだけで超難易度の作画になってしまう。バスケットはそれぞれの選手が秒単位に位置を変え続ける競技であるから、その位置関係を正確に把握しながら手で描く……というのはほぼ不可能なレベル。しかも今作の試合シーンはカメラワークは全体的に低め。それでいて画角が広い。手で描くと難易度の高すぎる構図を意識的に狙っている。

 CGの利点はこういう場面。モーションキャプチャーで動きを作った後、カメラワークの検討ができる。どのカメラ位置にすれば、全員の動きが見えるのか。格好いい構図になるのか……。あとカメラ位置10センチ横にずらすとどんな画面になるのか……そういう検討ができるのがCGの利点。そういう検討のうえに描かれているから、画面がどの瞬間で止めても「映える画」になっている。

 同じカットの続き。桜木がボールを取って、すぐに山王が防御に回っている。このスピーディな動きを見せられるのはCGならでは。

 布も一緒に動かせるのもCGの利点。この場面では2人がジャンプし、服の布がふわっと上方に動いている。ものすごい躍動感。この布の動き、シワの動きは手描きでの表現は難しい。

 宮城リョータが素早い動きで相手のマークをすり抜ける。動きがスローモーションになり、服の布が膨らむ瞬間が描かれている。

 続くカットがこの画。かっこいい……。ただのバスケの試合を描写する、だけではなく「凄い……」と感じさせる画を作り出す。やはりCGで描写して正解だったところ。

 動きはモーションキャプチャーだけど、そのモーションキャプチャーでできる動き……に捕らわれていない。作りたい絵のイメージがあって、そこを目指して作られている。例えばこのカット。桜木が通常の人間ではあり得ない跳躍をしている。現実世界でこんなジャンプ力をもったやつなんているわけがない。現実ではあり得ないけど、こういう絵を作りたかったから、そのイメージのほうを優先させている。

 キャラのアップショットを見てみよう。明らかにベージュ曲線ではない。手描きの絵がテクスチャーとして張り込まれている。線は筆ペンっぽいザラつきが出ているし、色むらも出ている。
 普通にCGを作ってレンダリングしてもこんな絵になるわけがないから、たぶん1カット1カット作画を書き起こして、CGキャラクターに貼り込んでいるんじゃないかと……。その作画はおそらく井上雄彦自身が作画監督をやっているんじゃないかと。CGだから作業が楽に……というわけではなく、ある程度以上の手間はかかっている。

 山王工業のコーチ。ヒゲのところに筆っぽい質感が出ている。

 CGでやるとリアルな光源計算ができるから、リアルなテクスチャ+リアルな光源でレンダリングした画面が最高のもの……とついつい考えてしまう。そこには権威主義的な信仰もある。しかし、この作品が目指しているのは井上雄彦の漫画の絵を再現すること。漫画の絵がそのまま動いているかのように見せること……をメインテーマにして絵が作られている。

 CGで画面を作ることの唯一の弱点は「動感」が弱いこと。こうやって絵を静止画にすると、動いているという感じがしない。手描き動画であると、動きが誇張されるから、こうやって止めても躍動感が出てくるもの。激しく動いているところにブラーをかけると、多少の“らしさ”は出るけれども、“わざとらしさ”も出てしまう。なによりブラーをかけると井上雄彦らしい、硬質感のある絵にならない。
 そうはいっても利点のほうが圧倒的に多いので、トレードオフとしてはここは仕方ないかな……。

 映像面の弱点は、回想シーンの作画。試合シーンがCGを使って徹底的に構図を練りまくった画面であるのに対し、回想シーンは普通……。ちょっとバランスが悪く感じられてしまう。

 原作が完結して26年の時を経て、原作者自身が監督を務める。そのことにどんな意義があったのか?
 当たり前の話だけど、漫画は静止画。動きはない。動きがあるっぽい絵を描いて、読むときに「こういう動きだろう」と解釈しながら読むことになる。その解釈の一つがアニメとして映像化したものだ。しかしそれも、他人の解釈でしかない。果たして原作者自身はどんな画面・動きをイメージしていたのだろうか。
 漫画は自分で描いてみればわかるのだが、自由に構図を作り出せる……というわけではない。ページそのもののバランスがあって、2ページ見開きの中である程度の起承転結を作らねばならないから、頭の中にあるイメージをさらに切って編集しなければならない。
 では井上雄彦はどのようなイメージを持って漫画を描いていたのだろうか? 井上雄彦といえば、ご存じの通り、現在の漫画界最高の絵描きだ。時代が違えば画壇の画家になっていたであろう……そんな絵描きの才能を漫画という仕事に投資してくれた、希少な人だ。『SLUMDUNK』でも『リアル』でも『バカボンド』でも、ページを開けば極上の画面が出てくる。あの絵が漫画で読めるという、とてつもない贅沢! でもそれも、漫画の絵に落とし込むという都合上、希釈されているものがある。井上雄彦の100%生搾りの映像はどうなっていたのか……。それが今作『THE FIRST SLAM DUNK』。

 画面の中を10人の選手がものすごい速度で動き回っていたのだが、おそらく漫画を読んでいたとき、誰もこんな動きはイメージできていなかっただろう。作者の頭の中だけにあった、「本当のSLUMDUNK」。26年の時を経て、CGで井上雄彦の絵をほぼそのまま動かせるようになって、やっと私たちは「SLUMDUNKの本物」を見ることができた。
 私も正直なところ、ジャンプ本誌で読んでいた頃、『SLUMDUNK』がここまで真に迫るドラマだと思ってなかった。気付いてなかった。26年ごしに『SLUMDUNK』の本当の姿を知った……という感じだ。

 やはり見事なのは試合シーンで、試合の展開をここまで精密に描いた作品を見たのは、この作品が初めて。選手がどのように動き、どういったテクニックを繰り出して、1点1点を競い合うのか。そういう細かい過程を丹念に描いた作品は、この作品の他にはまずない。しかもその試合の展開がドラマと密接に結びつき、ドラマが展開すると試合が好転していく……その流れが気持ちよく作られている。
 アメリカはバスケが国民的スポーツでもあるから、バスケを題材にした映画はまあまああるのだけど、『THE FIRST SLUM DUNK』ほど一つの試合を丹念に描いた作品は存在しない。ほとんどのバスケ映画は、ドラマの合間に、ダイジェスト的に試合シーンが描かれる程度だ。
 一方の『THE FIRST SLUM DUNK』は本当にガッツリ一つの試合を掘り下げる。私は初見時、アニメを見ているというより、純粋に試合を見ている気持ちになっていて、湘北が1点を決めるたびにガッツポーズしていた。そういう気分にさせるくらい、バスケの試合が「本物」に感じられるように描いていた。「映画を観た」という前に「試合を観に行った」という印象が先に立つくらい、よく作り込まれている。

 あまりにも文句のない、完成されたバスケ映画の名作なのだが、一つ難点があるとしたら、少なくとも向こう10年、実写でもアニメでも、バスケを題材にした映画はもう作れなくなってしまった。というのも、この作品が今後のバスケ映画の「規準」になる。どんなバスケ映画を作っても、「『THE FIRST SLUM DUNK』と較べると……」という言われ方をする。『THE FIRST SLUM DUNK』と真正面から戦って勝てるわけがないから、どうしても変化球的な切り口の作品しかなくなる。作り手はいったいどうすればいいのか……。
 バスケ映画の名作なのは間違いないが、バスケ映画にトドメを刺したかも知れない。凄すぎる名作は、ブームを作るのではなく、フォロワーすら作らない。でもバスケ映画は、もうこれがあるから他はいらないかも知れない。そう思わせてくれるくらいの、突き抜けた名作だった。


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