陶器と土器とアラサーテレビディレクター
テレビ業界に入社すると、ほとんどの新人はアシスタントディレクター、つまり、ADになる。
ADの主な仕事は、ディレクターの補佐だ。
ディレクターが企画を書くための資料を、図書館まで探しに行く。
ディレクターの出張前に、飛行機のチケットやホテルやレンタカーを予約する。
ディレクターの荷物を代わりに持つ。弁当を買ってくる。
ディレクターが来る前に編集室を掃除し、珈琲を煎れ、PCの電源をつけて待つ。
ディレクターの起きる時間、寝る時間に合わせて生きる。
ADは雑用係ではない。奴隷でもない。
ADは「ディレクターの仕事をすぐ側で見て学べる」特等席だ。(と、思わないとやってられない)
前時代的だとは思うが、職人や芸事の世界と似ているのだと思う。
ADは皆、1〜8年ほどこの修行期間を経て、ディレクターデビューが認められる。
***
入社して最初の1年間、私は3ヶ月ごとに2人のディレクターの下でADを務めた。
1人は、50代のベテランディレクター。男性。
いつも腕組みで仁王立ち。仏頂面っていうか地顔が強面。よくハイブランドの革ジャンを着ていた。
彼はまさに鬼ディレクター。
スケジュールは分単位で緻密に組む人だった。
ロケでは、的確な指示でクルーを動かす。
いい仕事をすると褒めてくれるが、ミスすると怒鳴る。
「てめぇふざけてんのか!!」とか言う。たまに椅子蹴ったりもする。めちゃくちゃ怖い。
人柄は怖いけど、仕事は本当に美しかった。
編集作業は、朝、キリマンジャロコーヒーをドリップすることから始まる。
計画通り粛々とカットが繋がる様は、まるでトランプタワーのよう。
ナレーションの言葉選びがおしゃれ。シンプルで清潔感のある文章。
出来上がった番組はいつも、ため息がでるほど、隙なく仕上がっていた。
もう1人も、同じく50代のベテランディレクター。
こちらは女性。
彼女は直感的というか、野生的というか、本能的というか、自然体すぎ。
たとえロケ中でも「あっ!面白そう!」と何かを見つけると
クルーもスケジュールもそっちのけで走り出し、行方不明になってしまう。
そして突進した挙句、こけて、泥んこになって、げらげら笑ってる。
「寝坊した!めんご!」と食パンくわえながらロケ車に飛び乗ってくる。
ロケ中落とし物しまくる。台本の合間から何故かスルメが出てくる。
編集中はチーズおかきをボリボリ。ナレーション書きながら寝落ちしたりする。
抜けてるところも多々あるが、彼女の人間力は、魔法のように周囲の空気を和らげた。
スタッフも取材されている人も、彼女といると素が出る。思わず笑ってしまう。
彼女の番組はもれたなく、人間くさくて、温かみのある番組になった。
真逆のベテランディレクター。
ある上司は「あのふたりって、陶器と土器みたい」と称した。
独自の美学を持ち、凛と佇む、陶器のティーカップ。
ぐっちゃぐちゃだけど なんだか味わい深い 土器の壺。
私は数カ月ごとに「陶器」の上司と「土器」の上司の元を
行ったり来たりしながら業界のいろはを学んだ。
***
初めてのロケは、「陶器」上司と一緒にいった石川・輪島市だった。
ミスばかりしたので、「てめぇロケの邪魔しにきたのか!」と怒鳴られ、ちょっと泣いた。
でも、泣きながらも食らいついてみたら、最後には「お前、よく頑張ってるよ」と肩を叩いてくれた。
撮影後の夕食では、「ロケではその土地の美味い酒を味わえよ」と手取川や千枚田を注いでくれた。
次のロケは、「土器」上司と一緒にいった富山・高岡市だった。
部下である私に「ねぇねぇここどう撮ったらいいと思う?」とフランクに聞いてくれた。意見を尋ねてもらえることが、とても嬉しかった。
高岡銅器の鐘を見つけては鳴らして歩き、顔はめパネルで写真を撮り、ちょっと旅行気分だった。
「楽しい番組は楽しみながら作るもんよ!」を合言葉に、どこまでも寄り道を楽しんんでいた。
「陶器」上司は取材相手によく言っていた。
「僕はテレビのプロなんで、必ずいい番組にします。安心して任せてください」。
胸を張って、落ち着いた声色で、自信たっぷりに。
一方、「土器」上司は、取材相手が人間国宝だろうが、政治家だろうが、俳優だろうが、あっという間に友達になり、いつのまにかあだ名で呼んでいた。
彼女の前では誰も心のガードを保てない。ATフィールドクラッシャー。
彼女はみんなの魅力をカメラの前に引きずりだした。
「陶器」上司はときどき、ノートや台本を不自然に片付けずに帰った。
わざわざ「今日ここに台本置いていくからな」と宣言してから編集室を出ていく。
それが「盗み見て勉強しろよ」という合図だと気づいてからは、
深夜の編集室でこっそり台本を読み漁り、番組を構成するノウハウを学んだ。
ロケ中「俺、トイレ行ってくるから撮影進めといて」とおもむろに現場を離れ、突然ディレクションを任されたたこともあった。
そうやって彼は私を育ててくれた。
「土器」上司は編集中たびたび「もうやだーーー!!!」と台本を投げ出すので
「一緒にナレーション考えましょう!」「こんな構成はどうですか?」と励まし提案するのが私の役割だった。私が初めて書いたナレーションは、多分、彼女の番組の中の一節だったと思う。
私がディレクターデビューしたとき、
陶器上司は「たまたま近くにいたから寄っただけ」なんて言いながら、
何度も編集室を尋ね、さりげなくアドバイスをして、颯爽と帰っていった。
土器上司は「やっほー!!!」と元気よく編集室に遊びにきてくれ、
手土産のお菓子を食べながら数時間おしゃべりした後、「じゃーねー!」と手を振り、帰って行った。
数年前、仕事上のトラブルに巻き込まれ、誰にも頼れず、
会社の屋上から「助けてください」と電話をしたのは陶器上司だった。
すぐかけつけ、オフィスから離れたカフェに連れ出してくれた。
息ができないくらい嗚咽を漏らす私に紅茶を飲ませ、バーバリーのハンカチで涙を拭ってくれた。「あとは俺に任せろ」という言葉通り、その後すぐ各所に根回しして解決してくれた。
昨年、もう人生終わったと思った去年の暮れ、
「おまじないかけたげる!」とひょっこり現れたのは「土器」上司だった。
首がちぎれるほど頷きながら話を聞き、笑わせてくれ、上司と一緒に仕事運の神社まで行ってくれた。
「これでもう大丈夫だよ。今日からはいいことしか起きないよ。」
彼女にニコニコと言われると本当にそうなる気がしたし、
その言葉通り、今年、私の仕事は躍進した。
***
2人を「陶器と土器みたいでしょう?」と称したのは
当時のプロデューサーだ。
プロデューサーは、続けて私にこう言った。
「あの2人、陶器と土器みたいでしょう
でも、あなたは、陶器にも土器にもならなくていいからね。
2人からそれぞれ素敵なところを盗んで、いいディレクターになりなさい」
思えば、ディレクターデビューした直後は
「陶器」上司みたいな緻密で完璧なディレクションをしようとして、破綻した。
残念ながら、私は彼のように美しく仕事ができない。
でも、自分が書いたナレーションを読み返して、「うわ、この一文、彼そっくりだな 」とびっくりすることがある。
「土器」上司の真似をして、過剰に人の懐に突撃して失敗としたこともある。
でも、やっぱり人を撮るのが好きで、やめられない。
取材相手と良い関係が築けたとき、ふと、彼女の現場と同じ空気感がよぎるときがある。
偉大な上司たちのディレクションは
全部じゃないけど、ちょっとずつ、私の中に溜まっている。
***
私がディレクターになってしまった以上、
もう二度と、彼のADにも、彼女のADにも戻れない。
たまに会うと、近況と思い出話に花が咲くが、
一緒に同じ番組を作る機会はもうない。
その代わり、春になれば
新たな新入社員が私のADにつく。
彼もしくは彼女は、
私の仕事から番組作りのいろはを学ぶだろう。
私自身もまだまだ未熟だが、
陶器っぽくも土器っぽくもある 厳しく楽しい上司になりたい。
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