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"おこがましい"の由来を考えながら読もう|「語源の話」【ガムトーク第5回】

 ボードゲーム・カードゲームの『ガムトーク』から、今回の話は「語源の話」となった。
 これはもう「豆知識やウンチクを披露してください」といわんばかりのテーマだ。しかし、飲み会の席のようなリアルの場ならともかく、ネットのブログで書く場合、豆知識をつらつらと書くのは寒い。ネット全盛のこのご時世、語源なんて検索すればば直ぐに分かることだし、私自身もネットから得た知識を偉そうにひけらかすことになりそうだからだ。
 さあ、困った。何を書こう。

ネットで得た知識をひけらかすなんておこがましいとは思わんかね

 "おこがましい"という言葉をご存知だろうか。いや、こんな始まり方は読者を舐め腐った言い方だ。私のエッセイを読むような人は教養高い知識人ばかりのはずなので「漢字では"烏滸がましい"と書く。意味は"身の程をわきまえない。差し出がましい。"でしょう?」と思っているだろう。

 善良な読者によって言葉の解説が済んだところで本題に入る。

 つい先日、この"烏滸がましい"という言葉の字面が気になり、語源について調べたことがある。知識人の読者でも流石にここまでカバーしている人は少ないだろう。さあ、まずはどんな由来か予想してみよう。

"おこがましい"といえば『ブラック・ジャック』のこのセリフ。
画像引用元:《連載開始50周年》手塚治虫の不朽の名作『ブラック・ジャック』の先見性と普遍性

 私の予想はこうだ。漢字の烏(カラス)が入っていること、また、"滸"という漢字は知らないがさんずいが入っていることから水に関係するものだと思われる。何か字面的には溺れているようなイメージも湧いてきた。
 私が導き出した回答は「カラスが泳ごうとしても上手くできない(カラスは泳ぐより空を飛んだ方が良い)」ということが由来だと推測した。さらに元を辿ると、これは明王朝時代の中国の故事に端を発する。

 中国の山間部に一人の老師が暮らしていた。老師はいつもカラスにその老衰した身体を馬鹿にされ、挙句の果てに家の中にあるものを度々盗まれて困っていた。いくら返してくれと頼んでも、カラスはいつもしらを切るばかりだった。
 ある日、老師はカラスにこう言った。
「カラスや、お前は空を自由に飛べるがその他のことは何もできないのだな。」
馬鹿にされたカラスは返す。
「いや、私は空どころか水の中ですら自由に飛び回れるのだ。見せてやろう。」
するとカラスは勢いよく川に飛び込んだ。羽は水を吸って重くなり、見る見るうちにカラスを川の底へと沈めていく。老師はカラスが上がってこないのを見届け、カラスの巣へと向かうのだった。

民明書房刊『中国故事に学ぶ社会的カラス』より

 私の妄想はさておき、複数のWEBサイトを見る限り"おこがましい"の由来はおおよそ以下の通りだった。

・"をこがまし"という古語がある
・元々の意味は「馬鹿馬鹿しい。みっともない。」
・転じて「出しゃばって恥ずかしい。生意気」という意味になった
・"烏"はカラス、"滸"は川辺という意味
・後漢時代にはうるさい人のことをカラスにたとえて"烏滸"と言っていた
・"烏滸がましい"には"痴しい"、"尾籠しい"の当て字表記もある

 私の予想の"中国の故事に由来"というのは少し当たっていたが、それ以外はすべてハズれていた。もう少し面白いエピソードが付随していても良いんじゃあないか、後漢時代の中国人さんよぉ!

 さておき、知識を自分のものとして披露して良いかどうかの基準というのはなかなか難しい。今回は複数のサイトを見て適当にまとめて紹介したが、これを私の知識としてここに載せてしまうのは何だか気が引ける。実際、ネットで見た豆知識をひけらかしたところ「それ、私も多分同じサイトを読みました」と言われたこともある。
 しかし、自分で実験や検証、調査、経験をしてデータを集めたりしない限りは、ほとんどの知識は他者から教わって得るものだ(ここでいう他者は物も含む)。自分の行動で得たことしか自分の知識とはいえないなんてことはない。そう考えると、知識というのは案外気軽に自分のものだと豪語しても良いのかもしれない。
 今回はWEBサイトという誰が書いたのか、いつ消えるか、書き換えられるかも分からないものを情報ソースとしているので不安が残っているが、これが大学教授や専門家が書いた本だったらもっと自信が持てるだろう。私ももっと本を読まねば。
 さあ、みんなももっと本を読もう。

 ちなみに、偉そうに長々と文章を書いている私の生涯の読書量はせいぜい20冊程度である。台無し。

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