諦めてばかりの女が『ウィッシュ』をみて泣いた話
みなさんは「願い」と聞くと何を想像しますか?
ディズニーは100周年を迎えたそうで、
その記念すべき年に制作されたのが『ウィッシュ』。
ディズニーファンならもうご覧になったかと思います。
私自身は今年5年ぶりにディズニーランドに行き、
シーの「ソアリン」(飛んで世界を旅できるアトラクション)で拍手するほど感動したのですが、
今回『ウィッシュ』をみてソアリンのことを思い出しました。
今回ディズニーが映画のテーマにしたのは「願い」。
ぶっちゃけてしまえば、映画のストーリーの展開や主要キャラクターそれぞれの行動原理、
モブたちの「お前はそれでいいんかい!」とツッコみたくなるような最後には疑問が残りました。
しかし今回の映画の核は「「願い」とは人にとっていったいなんぞや」
だったので、総評としてとてもいい映画でした。
いうなれば女友達とカフェで話してて、アイスコーヒーの量が3分の1になってきた頃。
女友達が「私が思う「願い」っていうのは、例えば〜」で始まるような映画。
タイトルに書いた通り私は諦め癖がべったりとこびりついた女で、
そんな自分に辟易としているのですが、
なんで諦めちゃうのか考えた時に、
結果ばかりを重視しているからなんだろうなと。
でも『ウィッシュ』では人の「願い」を生きる糧のように描いていると思いました。
「願い」を叶えるために頑張る。
重要なのは叶えることではなく、自分が思い続ける限り頑張り続けること。
続けることがどんなに難しいかわかる今、それが生きる意味に値するものなんだろうなと思いました。
だから「願い」は人に渡してはいけないし、人に叶えてもらうものでもない。
社会問題をディズニーなりに反映している昨今ですが、今回もさまざまなシーンで感じます。
「願い」を人に渡してしまうのはなぜか。
きっと楽なんですよね。国王も「気持ちが軽くなった」的なことを言っていたような(間違えていたらごめんなさい)。
もっとわかりやすく現代社会に置き換えると「個人情報をお店や企業、政府、サービスに渡して便利にする」。
これと同じ原理なのではないかと。
考えないでいい、悩まなくていい、体力を使わなくていい、というのは一見いいもののように思えますが、それだけを目的にしてしまうと気づいた時に取り返しのつかないことになる。
目的をその先まで考えて、便利な世の中を利用し「願い」を自分の力で叶えたいです。
みてない方はぜひ!上映前の短編映画でも涙脆い人は泣きます。たぶん。
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