【第一回】詩のごとく、画のように
煩悩は宇宙の土台を支え、才稟はその屋根を塗り上げる。
君子に軽蔑されるより市井の小人にはずかしめられるほうがましである。
有名な学者に認められないより、試験官に落第させられるほうが気がきいている。
人は詩のごとく生きるべく、ものは画のように見えなければならない。
しんみりとはするが、思えば悲しくも侘しい情景がある。
霧や雨などがそれである。
詩的にこそ見ゆれ、その実堪えがたいことがある。
病気と貧乏がそれである。
かわいらしい気もするが、実際は野卑な声がある。
花売り娘の売り声がそれ。
私自身は農民にはなれない。
せいぜい庭に水撒くぐらいのところ。
私自身は樵夫にはなれない。
草むしりぐらいが関の山。
恨めしいこと、腹立たしいこと、それが私には十ばかりある。
襖は紙魚に食われやすく。
夏の夜は蚊のためにだいなしになり。
月見台は雨漏りやすく。
ややもすれば菊の花は枯れ。
松の樹は大きな蟻奴でいっぱい。
竹の葉はどっさり地面に落ちつもり。
木犀と蓮の花はしぼみやすく。
壁らには蛇がよく隠れ。
垣根の花の棘が憎らしく。
豪猪には毒があって食べられぬ。
⧪
山や渓を胸に描いているものは、都会にいても山林に住むような生活を営むことができるし、雲に一心を打ち込んでいると、南方大陸も仙島と化す。
静夜に独り座す────月を招き、わが悲しみを語らばや。
良夜に独居す────虫を呼び、わが悔恨を明かさばや。
都会に住むものは絵画を風景と見、盆景を庭と見、書を己が友と見るべきである。
⧪ ⧪
酒は茶の代わりになるが、茶は酒の代わりにならない。
詩は散文の代わりになるが、散文は詩の代わりにならない。
月は灯火の代わりになるが、灯火は月の代わりにならない。
筆は口の代わりになるが、口は筆の代わりにならない。
痛みに堪えることは容易であるが、痒みに堪えることはむつかしい。
苦味には堪えやすいが、酸味には堪えがたい。
⧪ ⧪ ⧪
ああ、地球こそ美しけれ。
第一、昼夜朝夕の循環がある。多忙な朝の先きぶれに、静かに澄んだ曙がある。これあるかな。
第二、夏と冬のうつりかわり。それ自身すでに申し分なし。しかも、春は夏に、秋は冬に、おのずからうつり行き、完全無欠な四季の姿。これあるかな。
第三、森厳崇高な樹林がある。夏は緑陰、冬は暖光。これあるかな。
第四、月々に花は開き、果実は稔る。これあるかな。
第五、雲あつく霧ふかき日、空澄んで晴朗の日、その折々のうつりかわり。これあるかな。
第六、春の驟雨、夏の雷雨、秋風爽涼、また冬の雪。これあるかな。
第七、孔雀や、鳩や、雲雀や、カナリヤの妙なる歌。これあるかな。
第八、動物園に行け。猿、虎、熊、ラクダ、象、サイ、ワニ、アシカ、牛、馬、犬、猫、狐、りす、山鼠、そのほか考えもしなかった多種多様の動物。これあるかな。
第九、虹魚、剣魚、電気鰻、鯨、とげ魚、蛤、鮑、海老、小海老、亀、その他想像にあまりある多彩の天下。これあるかな。
第十、壮大な杉の巨幹、火を吐く火山、雄大な洞穴、荘厳な山巓、起伏する丘陵、静謐な湖、樹径緑提、これあるかな。
⧪ ⧪ ⧪ ⧪
中庸の歌
なにごとも世は程らいとて、
生きてきた────さてもふしぎな
この「中庸」────噛めば噛むほど
味がでる、さてこうなると、
おもしろい、ものは半分、
あわてず、いそがず、気も楽だ。
天地の間は、ひろいもの、
町と田舎のあいだに住んで、
山と川のあいだの地主。
程よいもの知り、程よい旦那、
仕事半分、あそび半分、
下のものにも程よくあたる。
家屋は良すぎず、粗末にすぎず、
飾り半分、露き出し半分、
着て古からず、新しからず、
口の祭りもほどほどのこと。
しもべは馬鹿とりこうのあいだ。
女房の頭も程らい加減。
してみりゃわたしは半分釈迦で、
半分老子というところ。
この身のなかばは天へと帰り、
あとののこりは子供に残し、
子供のことも忘れはせぬが、
死ねば閻魔にいうせりふ、
ああか、こうかと思案も半分。
酒もなかばのほろ酔いかげん。
花の見頃は半開とあり。
半帆の船が安全第一。
馬の手綱は半緩半急。
宝がすぎると苦労があるし、
貧すりゃ鈍する世のならい。
世は甘辛と悟ってみれば、
半味こそがいちばんりこうだ。