【第二回】朝まだき、妙なる鳥声の楽の音に…
人生というものは、煎じ詰めれば、食ったり、眠ったり、友だちと会ったり別れたり、親睦会や送別宴をもよおしたり、涙を流したり、笑ったり、二週間に一度髪をつんだり、鉢植えの草花に水をやったり、隣の人が屋根から堕ちるのを眺めたり、そういったことで暮れてゆくものだが、そういう単純な人生現象に関わるわれわれの考えを、一種のアカデミックなたわごとでよそおい立てるのは、大学教授連が、その意識内容の極度の貧困、ないし極度の空漠さをかくすためのトリックにすぎないのである。
それがために哲学は、勉強すればするほど、いよいよもって人間自身のことを難解にする学問となってしまった。
哲学者が哲学について談ずれば談ずるほど、われわれはいっそうわからなくなってしまう。
これが哲学者の業績である。
⧪
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私は考える、世界でもっとも重要な科学的哲学的発見の九割までは、実際、科学者や哲学者が深更二時、あるいは夜明けの五時ごろに、ベッドの中にまるくなって寝ているときになされたものである。
しかるに、臥床術の大切なことを意識している人のすくなすぎるのは驚くべきことである。
⧪
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床に臥るには、正しいぜいたくな臥方がある。
偉大な人生藝術家孔子は、臥床するのに、「寝不尸」といった。
つまり死屍のようにまっすぐに身体を伸ばして仰臥せず、つねに左右いずれかを下にして、横にちぢこまって臥た。
私は人生最大の愉楽の一つは、床のなかで脚をちぢめて臥ることだと信じている。
⧪
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最大限に審美的愉楽を楽しみ、精神力を活動させたいなら、腕の置き場所も非常に大切である。
もっとも理想的な姿勢は、床の上に平らに伸びる寝方ではなくて、一方の腕か両腕を頭のうしろにまわし、大きなやわらかい枕に頭を三十度の角度に支えておく姿勢だと信ずる。
この姿勢ならば、詩人はみな不朽の傑作を書き、哲学者は人間の思想を革命し、科学者は画期的な発見をすることができる。
⧪
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独居と瞑想の価値を知っている人のあまりすくないのには驚く。
臥床術は、緊張した一日の活動の後にくる単なる肉体的休息以上のものである。
臥床術とは、日中に会った人々、訪問した人々、ばかげた冗談ばかりとばしたがる友人たち、他人の行いをただして天国行きの保証人になってやろうと世話をやく教会の兄弟姉妹たち、そういう人々のおかげですっかりまいってしまった後の完全なくつろぎ以上のものである。
⧪
朝八時まで床にもぐっていたとて、かまうことはないではないか。
上等の罐入り煙草を枕頭のテーブルに備えておき、悠々ベッドから起き上がり、歯を磨く前にその日の問題をいっさいかたずけてしまえるとしたら、そのほうがいくらいいかしれない。
⧪
規則どおり九時きっかり、あるいは九時十五分前に事務所に出て、奴隷の親方のように社員たちを睨みまわし、それから中国人のいわゆる「齷齪営々」として徒事に浮き身をやつすより、自分というものをしっかりとつかんでから、十時ごろ事務所に顔を出した方がいい。
⧪
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いい音楽はすべて臥て聴くにかぎる。
李笠翁は「楊柳」と題する一文で、よろしく臥床して晨鳥(=朝さえずる鳥)を聴くべしといっている。
朝まだき目をさまして、妙なる鳥音の楽の音に耳を傾けてみたまえ。
なんとうるわしい美の世界がわれわれを待っていることだろう。
⧪